20. 悟りの境地に達したと思いますか?(2)

入り口をくぐり、ビルさんの後ろから階段で二階にあがると、そこにはこぢんまりとしたカフェが入っていた。二人がけの丸テーブルが四つ隙間なく置かれている小さなお店だ。午前中ということもあってか、客は一人だけだった。おそらくほとんどの客が大学の関係者で、彼らはテイクアウトしてオフィスや講義室に持ち込むのだろう。

「ぼくはコーヒーとドーナツ、君は?」

「ぼくもコーヒーと、そして、アップルパイ」

ビルさんはぼくの分までお会計をしてくれ、二人分のアメリカンサイズのコーヒーと軽食がのったトレイを軽々と持って窓際のテーブルまで運んだ。彼が持つと、まるで何も載っていないトレイを持っているように見える。

窓際の席に座ると、さっきまで歩いていた石畳の道を上から見下ろす形になった。学生や教職員が、まるで何か特別なことを考えているようにゆっくりと歩いていて、ちょうど窓の高さには、紅葉した木々の葉が揺れているのが見える。確かに良い眺めだ。ビルさんは、隣のテーブルに座っている女性にアイコンタクトで挨拶をする。

「美しいキャンパスだろう?しかもゲストを圧倒するような威厳も兼ね備えている」

「ええ、アメリカの大学にくると、まさにそう感じます」

「アメリカの大学って、まさにそんなイメージだろう?」そう言って、ビルさんはドーナツをかじった。彼の一口は、アメリカンサイズのドーナツの二十五パーセントに相当する。

「ええ、イメージ通りというかんじですね」

「そのトップスクールのイメージは、誰がなんのために作ったものだろう?」

「伝統によって自然と築き上げたものではないんでしょうか?」

「もちろんその側面もあるだろう。では、イギリスや日本の皇室のイメージは、放置していても保たれると思うかい?」

たしかにそうだ。彼らは皇室のあるべき姿を模索し、その姿に近づけるための努力をしている。

「目指すイメージと、そこへの努力が必要ですね」

「もし放置していても良いなら、ぼくは職を失うだろうね。研究センターのイメージを維持するために、ぼくは雇われている。そして、さっき話していたコンサルタントという仕事の知的なイメージ。君がそのイメージを確立するために、どんな情報に触れてきただろう?そして君が触れた情報は、究極的には誰かが作ったものだ。それはいつどこで誰が何のために作ったんだろう?」ぼくに目を合わせながらコーヒーをすするビルさん。

「つまり、イメージとは人工的に作られたものだ、ということを言おうとしていますか?」

「まさに」ビルさんは軽く手を打った。

「企業での本質的な学びの一つは、ビジネスにおいては思惑というものを第一に考えねばならないということだった」

「思惑ですか」

「ぼくは三十歳まで仏教のくうについて考えてきた。そんなぼくに、二十年以上のキャリアがある凄腕の上司はこう言ったんだ」といって彼はかなり誇張して上司の口真似をした。

「ビル、よく聴け。君はイデア論者だろう?いやいや、否定するんじゃない。業界標準では、君はイデア論者なんだ。それが前提だ。まずはそれを認めろ」

ビルさんの口真似がおかしくて、ぼくは笑ってしまった。彼も笑いながら続けた。

「ビル、その前提から、ひとつの結論が導かれる。人々にとって生活がすべてだということを、君はこれっぽっちも理解していない。ボストン市民がドジャースの勝ち負けに関心がないように、君は生活という側面に興味がない。もっと悪いことに、君は生活がすべてだという人々を見下してさえいる」

「実際にそうだったんですか?」ぼくの目の前にいるビルさんからは、極端さはほとんど感じ取れない。とてもバランスが良い人物に感じられる。高級なスーツが似合いすぎることや、いかにもアメリカ人というかんじの太い腕が、大学の管理者という職種からはややアンバランスに思わないでもない。ただし、アメリカでは普通のことなのだろう。この国では、大学の職員は高等教育組織を運営する専門職だと認知されている。ましてやトップスクールの職員であれば、高い社会的地位と、並の教授をはるかに超える俸給で報いられている。実際、世界的な経営コンサルティング・ファームで高収入を得ていたビルさんは、ここでも十分な報酬と強い権限を持っているだろう。

そんなビルさんが、上司から甘っちょろい理想主義者だと言われるところはあまりイメージできなかった。

だが彼は「その上司の言った通りだった」と答えた。

「日本の大学も大衆化が進んで、商売っ気を出せと圧力をかけられているらしいね。日本の大学だと、アメリカに比べると政府の発言力がかなり強いらしいから、政府からのプレッシャーが強いようだね。そして、実際にお金を稼ぐ組織作りを進めているはずだ。教員主導でね。

だが違うんだよ。知識の探求に心血を注ぐ人々の心根と、日々の生活を関心事とする人々の心根は違う。出家した僧侶と在家信者の心根がまったく異なるようにね」

そう言って彼は二口目のドーナツをかじった。これで彼のドーナツはちょうど半分無くなった。


「例えば、閉じているか、外に開かれているかという違いがある。閉じているからこそ開かれるし、また、開かれているからこそ閉じこもってしまうという逆説もあるわけだけど、コンサルタントらしく乱暴に、いや失礼、本質だけを捉えた議論にしよう。ゴータマ・ブッダのオリジナルの仏教だと、出家が必須だったわけだ。出家して狭いコミュニティに閉じる。その上、修行は基本的には一人の作業だ。ペラペラとおしゃべりをしながら修行するなんてことはありえない。座禅は、目をつぶり自分だけの世界に閉じる。君のお父さんの仕事は、仏道修行と似た側面がある。ヨーロッパでは、近代以前の科学や思想は聖職者が担っていた。日本でもそうじゃないかな?近代以降も、山に籠もっていたツァラトゥストラはおそらくニーチェの写し鏡だし、カントや、マルクス、パース、ダーウィン、アインシュタインなんかの仕事も自分だけに閉じた作業だった。もちろん、先人の業績を参照するが、その先人は共同作業者ではない。基本的にはテキストを通じて語りかけてくるだけだ。友人や家族との語らいの時間は、気晴らしであって探求に直結するものではなかった。実際、カントは、午後の社交の時間に自分の研究について議論をふっかけられるのを随分と嫌っていたようだ。芸術家も生活者というよりは探求者だろうね。別荘に籠もっていたマーラーの午前中は、一人で作曲に没頭する時間に充てられた。日本の村上隆の本も読んだよ。彼の本を読むと、現代の芸術家は社交性が命だと誤読しそうになるけど、実は全然そうじゃないんだと思う。彼は、芸術のことを『世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること』だと書いている。向き合う対象が『自分』と『歴史』だからね。まさに閉じた作業だと言える。同時代人と馴れ合ってばかりいては、『自分』も『歴史』も見つからないだろう?」彼はそこで話を区切り、コーヒーをすすりながら小声でぶつぶつと独り言を言った。彼は作品を売ることも相当意識しているから、探求者と生活者の両方を兼ね備えているということなんだろうか、ということを言っていたようだった。

そして「まあ、ほとんどの現代アートは金持ちのニーズを満たしているだけだろうけど。だいたいからしてアートの出自は金持ち貴族の下僕だからなあ」と言ってから、ぼくのほうを見て話を続けた。

「現役の人だと、フェルマーの定理を証明したワイルズの仕事のしかたは、出家僧のそれだったね。大学や学会の雑用から逃れるため、彼が自宅の屋根裏部屋に隠れてフェルマーの定理に取り組んでいたことを、サイモン・シンが書いたよね。それを読んだとき、少女アンネのことを連想せざるを得なかったよ。歴史上最悪のクソ野郎どもから逃れるために隠れ家に籠もっていたアンネをね」そう言った彼は、半分残っていたドーナツをすべて口に放り込み、しばらく外の街路樹を見つめながら咀嚼し、最後はコーヒーで胃に流し込んだ。

哲学の博士が、クソ野郎どもと言う姿を、ぼくはとても好ましく感じた。

「長々と例をあげてぼくが言いたかったのは、探求者にとっては閉じることが本質で、生活者は開かれていることが本質的に重要だということだ。商売をするなら、同時代人が何を欲しがっているのかをなるべくリアルタイムで知る必要があるし、職人になるなら自分の腕を買ってくれそうな人を見つける必要があるし、また、農業や漁業に従事するなら自然の状態に目を光らせておく必要がある。自分の殻に閉じこもっていては、とても生活は立ち行かない。自分や歴史なんぞにかまっていられない。いま現在の外部の動向が、生活を立ち行かせるための本質的な情報だ」

ぼくは、ある起業家が「自分は雑誌しか読まない、なぜならそれ以外の情報は古すぎるからだ」と言っていたことを思い出した。

それからビルさんは、自分は仏教のことを毛ほども理解できなかったと前置きをした上で「いったん自己に閉じこもって内省することによって、結果的に自己が徹底的に開かれた存在であることを認識するのが修行なんだろうね。もっと言えば、そもそも自己などは錯覚によって生じたもので、実は存在しないというのが仏の教えなんだろうとぼくは想像している」と言った。

ぼくは首を捻りながら「世俗にいる限り内と外は対立している。けれど、内を徹底して極めることで、内と外の境界は溶けていくということでしょうか。そうなると、内と外という概念の意味が変わるのでしょうか」とビルさんに確認した。

「そうかもしれない」

「日本の仏教だと、世俗と関わりながら悟りを目指すという考え方もありますね」

「源信、法然、親鸞あたりの流れかな?」

「仏を念ずれば救われるという考え方です」

「面白いもので、多くの偉大な先人が、徹底して自己と対話した結果として、歴史に大きな影響を与えているよね。しかし、ぼくたち凡夫はそこまでいけないよ。徹底して内にこもるか、徹底して外に出るか、基本的にはどちらかを選んで生活を営む。ぼくは内と外の両方をかじったわけだけど、今のところはその点と点が線になることはないね。残念ながら」

ビルさんは腕を組んで肩をすくめて苦笑いを浮かべた。

「だから、探求者的な心根を持つ哲学科と、生活者が集まっているコンサルティング・ファームでは、まるきり違っているわけだよ」



「思惑を第一に考えるというのは、開いた状態でいろということなんですね?」

「そう。ようやくそこに戻れた。生活者の関心事は明日の食事だ。生活者は気取ったメタファーなんて使わない。具体性が命だ。今すぐ井戸から水を汲んでこい、次は軒下の掃除だ、それが終わったら畑の草むしりだ!てな具合さ。その一つ一つに大して意味なんて無い。とにかくやるべきことをやっていく。だから、人々の思惑を第一に考えろというのは、生活者にとっては最も普遍性を持った部類の発言だったと思う。それで、ぼくはそれを胸に刻み込んだというわけさ。上司には感謝している」

「今はすっかり開いた状態で生活しているんですか?」

「理想は中道だね。実践は難しいけれど。君は日本人だから知っているかな?仏教の中道という概念」

ぼくは首を振り、よく知らないと答えた。

「乱暴に単純化すると、極端に偏りすぎずにバランスをとって真ん中を進めくらいの意味になる。でも、そんな簡単な話ではないことは知っている。なにせ、ぼくの研究のテーマは中道とニヒリズムの関係についてだったからね」

「ビルさんにとって、中道はどういう意味でしょう?」

「人に説明できるほどの理解には達していないね。気を抜いてはいけないという人生訓を得られたくらいさ。おばあちゃんに教えてもらえるような、ありふれた教訓だね」彼は肩をすくめて笑った。

「気を抜いてはいけない、ですか」

「心地よい平穏を得るためには、気を抜かずに動き続ける必要があるということさ。ちょっとした実験をしてみようか。目をつぶって片足で立ち続けるところを想像してみて。いや、実際にやってみようか」

ビルさんはすっくと立ち上がり、狭いカフェの中で目をつぶって片足立ちになった。カウンターにいた若い店員がこちらに気づいて笑いながら「ビル、慎重にね!」と声をかけた。彼は片足立ちのまま笑顔を作って手をあげて答えた。高級スーツを身にまとった柔道無差別級のような恰幅のよい男が真剣に片足立ちをしている姿は見ものだった。

しばらくして彼は目を開け、体操選手が着地したポーズを取った。カウンターの店員が「金メダル級だ!」と言って拍手をした。ビルさんは店員を名前で呼び「ありがとう」と両手をあげた。

「さあきみの番だ」

たかが片足立ちではあるが、これで目をつぶってしまうと格段に難しくなる。

左側に倒れたら、今まで座っていた椅子の角で左の側頭部をしこたま打ってしまうだろう。

右側に倒れたら、隣のテーブルを押し出してしまうことになりそうだ。ぼくは無事かもしれないが、隣の隣に座っている恰幅の良い女性のコーヒーをぶちまけてしまうかもしれない。その場合、クリーニング代で済むならば幸運なほうだろう。まったく気が抜けない。

ぼくは立ち上がり、ビルさんの方を向いてそっと左足をあげる。店員のほうを横目で見ると、笑いながらこちらを見ている。片手を自分のコーヒーが乗ったテーブルに添えて慎重に目をつぶる。

「簡単すぎる?押そうか?」と声が聞こえたので、すぐさま「やめてください」と答えた。色々な方向から笑い声が聞こえた。その瞬間、知覚のテーブルに座っていた恰幅の良い女性の姿が頭に浮かび、慌ててテーブルを掴んで左足を下ろした。

「難しいですね」

「もう一回やってみる?」と彼は言った。

ぼくはもう一度慎重に片足立ちになった。一度目よりも長い時間耐えることができた。

「どう。中道の難しさが体感できたかな」

「狭い店内なので、緊張感がありました」とぼくは椅子に腰掛けながら答えた。

「リスクがあると陳腐な遊びも面白いよね」

「まったく気が抜けませんでした。客がぼくたちだけなら気楽だったんでしょうけど」

「ぼくの言った意味が実感できただろうか。心地の良い真ん中にとどまり続けるためには、動き続けなければいけないという教訓。自分自身を鋭敏に観察し、傾いてしまった方向と逆の方向に戻すために、繊細な働きかけを続ける」

片足立ちをしている間、足の裏の荷重を感じながら、数センチ単位で体の位置を微調整し続ける。ときには、大きくバランスを崩した体を元に戻すため、思いっきり体を逆の方向に振ってやる。

「油断できない。突然、誰かが押すかもしれないし」

ビルさんはごめんと言って、口を開けて笑った。

「たとえミスしても、致命的な失敗さえ避ければ、何回でもやり直せます。ぼくは二度トライしました。二度目のほうがうまくやれた」

「素晴らしい学習能力だね」彼はいたずらっぽく笑った。



ビルさんはとてもリラックスして日々を過ごしているように思えた。何一つとして問題を抱えていないように見えた。そんな人に会うのは初めてだった。

その彼が抱えている問題はなんだろう?問題を抱えながら、まるで問題がないように生きていくことなど、できるのだろうか?

「ビルさんは悟りの境地に達したと思いますか?」

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