18. 不自由こそが自由なんだ

9.不自由こそが自由なんだ


思ったとおり父のオフィスはすでに灯りがついていて、ノックをすると明るい声で返事があった。ダニエルさんだ。彼がドアを開けると、五年前と少しも変わらない笑顔がそこにあった。彼とぼくはがっしりと握手をして再会を喜びあった。


「おはよう!よくきたね!元気だった?ちょっと身長が伸びたんじゃない?」久しぶりに会った年上の従兄弟のように、ダニエルさんはとても親しみを込めて挨拶をしてくれた。「さあ座って」と来客用のソファーを勧めてくれる。

「ぼくは去年で三十五歳になったから、もし変わっているとすれば身長ではなくお腹の肉の量ということになるね。でも、ご覧の通りまだ体型を維持しているよ」ダニエルさんはそう言って、腰に手を当てる。均整の取れた見事な肉体だ。

「トレーニングは今も毎日ですか?」

「うん。仕事が終わった後に、毎日同じだけ時間をかけてトレーニングをしているよ。おかげで贅肉は増えないし精神衛生の面も良いはずだ」

彼は、学生時代まで競泳をやっていて、オリンピックの代表選手と目されていたこともあったようだ。だが、二年生の終わりに肩を故障して引退した。その後も卒業までチームに残って、マネージャーとしてクラブを支えた。そのときに、チームの裏方として働くことが自分に向いていることを発見したそうだ。

それこそ小学生のころからコンマ一秒単位で泳ぎを追求してきたわけだから、引退した時はかなりショックだっただろう。それにも関わらず、彼は次の仕事に前向きに取り組んで自分の適性を発見した。物心がついたころからずっと競泳に打ち込んでいた大学生がだ。


「君はまだ大学生ではなかったね。あれからどうしてた?」

「ええ。実は少し前に高校を辞めました。色々とあって」

「そうだったんだ。大変だったね。大学には行くの?」

「わかりません。行かないかも」

「今はターニングポイントだ」

「そうだと思います」

「朝ごはんは食べた?」

「はい。例のベーカリーで」

「それは最高の一日の始まりだったね」

ぼくは「お土産です」と言って、デニッシュが入った茶色の紙袋を手渡した。散りばめられたナッツの上からシナモンシュガーがコーティングされているデニッシュと、フレッシュなベリーがどっさりと乗ったデニッシュだ。


ダニエルさんは紙袋の中を見て「ありがとう!一緒に食べよう。美味しいコーヒーを淹れるね」と言って、戸棚からコーヒー豆の入った透明のガラス瓶を取り出した。コーヒー豆を電動のコーヒーミルに入れ、ダイヤルをセットしてスイッチを押す。コーヒーミルは小気味よい音を立ててコーヒー豆を細かい粉に粉砕する。コーヒーミルからダークブラウンの粉を取り出し、コーヒーメーカーに移し替えると、部屋に香ばしい香りが漂った。


コーヒーメーカーのスイッチを押してこちらに戻ってきたダニエルさんは「コーヒー豆も変わってないよ」と言った。ここから五ブロック離れたところにある小さな自家焙煎のお店のコーヒー豆だ。それに、コーヒーミルやコーヒーメーカーはプロがカフェで使うようなちゃんとしたものだ。

父は、生活のあれこれに主体的に関わろうとしないし、秘書であるダニエルさんに細々と指示をするタイプではない。けれど、父は良いものとそうでないものの違いには敏感だ。ダニエルさんはそれを知っているから、快適に仕事ができるようにさり気なく気を配っている。

ダニエルさんは、自分から働きかけて周囲の人たちをサポートすることが本当に好きなのだ。それが彼にとっての自然なのだ。


「で、ボストンに来たのは何か用事があったのかい?」

母の遺言のことを話すのは止めておいた。話がややこしくなりそうだったからだ。純粋に、ダニエルさんとの再会を楽しみたかった。

「大学というのがどういう場所なのか、改めてよく見て理解しておきたいと思って」

「ああ、進路を考えなきゃいけないからだね」

「ええ」

「じゃあ、あとで良さそうな知り合いを紹介してあげるよ」ダニエルさんはそう言って腕を広げた。きっと彼は素敵な人達を紹介してくれるだろう。

「ありがとうございます。とても嬉しいです。ダニエルさんにもここについて伺っていいですか?」

「もちろん」

「大学は高校や中学校とは根本的に違いますか?」

「ぼくの学生時代に限れば、大学と高校は基本的には同じだったかな。ぼくは大学生活を競泳に捧げたことは知っているよね?」

ぼくはうなずく。

「そうなると、大学で変わったことなんて、水がいつも適温に保たれていたことと、ウエイト・トレーニングのマシンずらっと並んでいることくらいなわけだよ」ダニエルさんは均整の取れた自分の上半身とぽんぽんと叩く。

「大学で働きはじめてからはどうですか?」

「そうだね、ぼくの仕事については、高校で働くのとはずいぶん違うと思う。規模が桁違いだから。ぼくの仕事は、お父さんの抱えている書類仕事をできるかぎり肩代わりすることだ。組織の規模とともに、どうしても書類仕事が雪だるま式に増えてしまうんだよ」と言って、ダニエルさんは苦笑いする。

「大きな組織だと、書類仕事が増えるのは、避けがたい現象なんですね」

「そう思う」

「それはヒトという種の能力の限界なんでしょうか?それとも組織に由来する限界なんでしょうか?」

地獄の鬼は果たして書類仕事に忙殺されているだろうか?ぼくはそれを知りたい。

「興味深い疑問だね」ダニエルさんはそう言って目を細め「どういうことだろう、もう少し詳しく説明してくれるかな」と聞いた。

「規模が大きくなって何が変わるのかを考えてみたんです。それは、コミュニケーションを取り合えない関係性が増えることと、結果的に想像力が及ばなくなることではないでしょうか」

コミュニケーションの時間は組織の人数に対して線形に増えるけれど、コミュニケーションすべき関係の数は組合せ論的に増える。

「たしかに、濃密なコミュニケーションが存在する間柄ならば、書類を取り交わす必要は減りそうだね」

「もし、親友を千人もつことが普通の状態であれば、千人単位の組織の書類仕事は、数人規模のスタートアップと大差ないかもしれません」

「コミュニケーションが無い所で働く想像力は、時として猜疑心に変わるからね」

「猜疑心ですか」

ダニエルさんが猜疑心を持つことは想像できない。

「想像力が豊かであることは、強い猜疑心を必然的に生み出してしまうのでしょうか?」

「そんなはずはないよ。疑う前にコミュニケーションを取ればいいわけだから」

だから、鬼は二次元の言語を持つのだろうか。



「とても失礼なことかもしれないのですが」

「なんだろう」

「もし肩を故障しなかったらどうなっていたか、想像することはありますか」

彼はぼくから目をそらしてテーブルのほうを見つめ、向き直ってぼくの目をしっかりと見て「たまに、いや、たまにじゃない、そのことは毎日考えるよ」と言った。それからにっこりと微笑んだ。ぼくも彼から目をそらさず、真剣な表情を作ってうなずいた。

「医師から引退を宣告されるまで、タイムを短縮するために人生のすべてを捧げていたからね。アメリカでは水泳部の男はすごくモテるんだ」彼はそう言ってウインクをする。

「でも、ガールフレンドとカフェに行っても、スイムのことばかり考えてしまう。プールからあがるといつも上の空だったんだ。魂はいつも水の中で泳いでいた。君はスポーツはやるんだっけ?」

「中学校に入る前に野球。中学校からは何もしていません」

「スポーツを真剣にやっていると、不自由さこそが自由なんだと感じるんだ。その自由よりも気持ちの良いものをぼくは知らない」

そう言って、ダニエルさんはわずかに恍惚とした表情を浮かべた。彼の内省的な面を見たのは初めてだった。

「スポーツ選手はルールや常識にがんじがらめに縛られている。例えば背泳ぎの大会を見たとして、選手ごとの違いは未経験者にはほとんどわからないと思う。正直に言うと、ぼくから見ても、ほとんどわからないよ。でも、実際に泳いでいると、ほんの僅か——ミリメートル単位で——フォームを変えるだけで、水からのフィードバックが全然違ったものになるんだ。面白いもので、タイムはそんなに変わらない。コンマ一秒も変わらない。じゃあ、フォームを思いっきり——センチメートル単位で——変えるとどうなるかと言うと、水が応えてくれなくなるんだよ。水が沈黙してしまうんだ。そして何より、自分ではなくなってしまう感じがする。自分の抜け殻が水中でもぞもぞと動いているだけの感じ。だから、客観的にはミリ単位でフォームを変えて、コンマ一秒以下のタイム変化にアタックするわけ。これって、ある意味で不自由なことでしょう?けれど、主観的にはまったく違う。ミリ単位の変化のバリエーションは無数にあって、バリエーションによって水のフィードバックがそれぞれに異なる。これが快感なんだ。水と抱き合っている感覚だね」

ぼくは真剣な表情のままうなずく。

「そうするとね、陸上でも常に水のことを考えてしまう。想像のなかでいつも水とやりとりしているんだ。さっき君が想像力って言ったよね。ぼくにとってのスイムは、想像力の快感だったと思う。ミリ単位に縛られた中にある無限の可能性のひとつひとつに対して、水が返してくれるフィードバックを想像するんだ。想像通りのときもあれば、違うときもある。想像通りであれば、水を理解していることが嬉しいし、違う時は新たな発見が嬉しい」

「ミリ単位に縛られていること、相手を選べないこと、こういった不自由さが、ダニエルさんにとっては自由の源泉だと感じていたんですね」

「まさにそうだよ」

「水との関係がうまくいかなくなる時もありますか?」

「もちろんだよ。調子の悪い時は、どれだけ工夫しても水はなにも応えてくれなくなるよ。自分自身も抜け殻がもぞもぞしているだけになってしまう。とにかく退屈だし泳ぎたくないんだけど、そういう時こそ水の声を丁寧に聞く姿勢をとらねばならないんだ。長い時は数ヶ月にも渡って抜け殻状態から抜けられないんだけど、ふとある時、沈黙した水からほんの少し声が聞こえることがある。はじめのうちは意味のない雑音なんだけど、たとえ雑音でも水の小さな声を身体に引き寄せていく。それを繰り返すことで、抜け殻だった自分に、段々と魂が戻ってくる感覚があった」

「水が応えてくれない時、もうやめようと思うことはありましたか?」

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