14. 母が残した動画

「溶けてドロドロになります。瓶に詰めたら、その生命の存在は消えてしまいます。閉鎖された所で生命は生きられない。水源が絶たれた河川が干上がってしまうようにです。だから、生命は束縛から逃れようとする傾向にあります。そういった傾向を持たないものへの淘汰圧が働くでしょうから。ぼくの感じていた違和感はそれかもしれません」

ぼくは大黒先生が理解してくれていることを確認して続けた。

「ただし、瓶詰めのような物理的な束縛ではありません。ぼくが言いたいのは観念的な束縛です。意味付けを束縛されることへの忌避感です。先生が指摘して下さったように、ぼくの言う意味は定義が広すぎるかもしれません。とても広い意味を持ったものとして使っています。近隣住民にとって放置車両は目障りであり、警察にとっては取締の対象であり、資産家にとっては商売の種であるようにです。これこそが、自然で生々しい対象だと感じるんです。車としての役割を終えて、ただモノとしてそこにあるモノ。意味付けされない限り、名前すら持たないようなモノ。そういった名前の無いモノにこそ無限の可能性を感じます。それは、スーパーで売っている鮭の切り身とはわけが違う。ぼくは、そういう生々しい対象を相手にしたい。無限の可能性を持った対象と抱き合っていられるのなら、自分の有限性に落胆することはあっても絶望することは絶対ありません。です。これは理想的な生き方ではないでしょうか?」

そう言い切ったぼくは、自分が興奮していることを感じていた。前回と同じように自己開示したことの恥ずかしさも多少は感じていたが、今まで感じたことのない高揚感が含まれていた。海賊が伝説の宝をついに発見した時の気持ちといったら大げさだろうか。ジュースに刺さったストローに息を吹き出して泡がブクブクと出てくるように、自分のお腹の中から音を立てて際限なく未知の概念が湧き出していた。


大黒先生は腕を組んで何かを考え込んでいる様子だった。大黒先生がそうしているあいだ、ぼくは興奮で震える手でノートを開き、お腹の中からブクブク出てくるアイデアを夢中で書き留めた。


生煮えの覚え書き

X月Y日


問題:自由とは何のことだろう?決定論的な世界において、我々に選択の自由は残されているのか?


仮説:たとえ決定論的であっても、ヒトの内部処理だけで決定される物事は、そのヒトの自由になっている。決定論的な世界においても自由意志は存在しうる。自由意志とは、内部処理の一部であるから。


例:人間そっくりのアンドロイドがポーカーをやっているとする。アンドロイドだと知らずに一緒にプレイしている人たちは、そのアンドロイドが自由に手札を切っていると考える。少なくとも周囲の人たちはアンドロイドに自由があると思うだろう。そして、自己認識としての自由については、予測不可能性と、意思決定から行為に至る過程が内観されることによってもたらされる。ポーカーをプレイしているヒトは、自分がどのカードを切るのか、実際にカードを切るまで予測できない。そしてカードを選択する過程が自分の中で起きていると感じている。仮に完全に決定論的に定まっていたとしても、彼女は『私が自分で決めた』と感じることだろう。たとえ、ポーカーの筋書きが決定論的に定まっていたとしても。


問題 自分自身の意味とは何か。放置車両のように、自分自身も無限の意味付けを持ちうるか。


仮説 持ちうる。それは予測不可能に基づく自由意志が担保する。


帰結 自分自身は世界の一部であると同時に、世界そのものでもある。世界の任意の部分集合が自分自身の意味付けに該当しないことを、どうやって証明できるだろうか?そんなことを証明できるわけはない。意味付けは無限の可能性なのだから。


問題 この事態を客観的かつ厳密に表現せよ。


仮説 意味づけする主体——典型的には生命——を、物質的には物理に、観念論的にはシャノンの理論に基盤を置いてモデリングすることで表現できる。例えば以下のように。


ヒトやミジンコのような生き物を考える。

生き物は行動し続けることを通じて生存している。時刻tの行動をa_tと書く。

行動は生き物の内部状態z_tで決まる。

a_t~ P(a_t | z_t ) (1)

内部状態は、インターフェイスの状態y_tと以前の内部状態で決まる。

z_t~ P_θ (z_t | y_t,z_(t-1) ) (2)

ここで、θは分布のパラメーターである。

インターフェイスは、例えば感覚器や消化器の表面である。

インターフェイスの状態は、環境の状態x_tで決まる。簡単のため、インターフェイスの状態は、以前の状態に依存せずに定まると仮定しよう。

y_t ~ P(y_(t ) | x_t ) (3)

環境の状態は、生き物の行動と以前の環境の状態で決まる。

x_t ~ P(x_t ┤| 〖 a〗_t,x_(t-1)) (4)


次に、この生き物と環境とのインタラクションを、シャノンの情報理論の枠組みに当てはめる。シャノンの理論では、次のモデルで通信が表現される。

1. 情報源はメッセージを生成する。

2. 送信機は生成されたメッセージを信号に変換する。

3. 信号は通信路を通じて受信機に到達する。

4. 受信機は受信した信号をメッセージに変換する。

5. 受信者は受信機からメッセージを受け取る。

この五つの手順のうち、1から3の手順を、環境との相互作用による生き物のインターフェイスの状態の更新に対応付けることができる。なぜなら・・・(あとで書く)

また、手順4は・・・(ここもあとで書く!アイデアは頭の中にもうある!)


生き物にあってシャノンの枠組みに無いのは、式(3)の受信者の内部状態の時間発展と、式(4)の環境へのフィードバックである。これらは、まさにウィーバーが述べた通信のレベルBとレベルCに該当するものである。これらは(少なくとも表面的には)シャノンの枠組みから意図的に切り離された通信の側面である。ウィーバーはレベルBを意図の側面、レベルCを効果の側面であると述べている。

我々は意味という言葉の日常的な用法に従って、レベルBとレベルCをひとまとめにして、通信の『意味』の側面であると考える。これは、次のような用法に依って正当化される。

  「G}S4h5@6.7!?」「それどういう意味?(What does that mean?)」(意図の側面としての意味)

  「その参考書、やる意味あった?」「すごく意味があった!入試で同じ問題が出たよ (This book was really meaningful to pass the exam.)」 (効果の側面としての意味)

このとき、『意味』を次のように定義したことになる。


定義(意味) 送信者のメッセージ(あるいは、受信者が復号したメッセージ)の『意味』とは、そのメッセージを受信した場合としなかった場合の受信者の未来の内部状態z_(>τ)と行動 a_(>τ) の差分である。


我々は、この定義の意味で、意味という単語を使う場合に『意味』と書いてきたのである。


定義(効果) メッセージの効果とは、『意味』のうちで受信者の行動に関わる部分のことである。


定義(意図) 送信者の意図とは、送信者がメッセージを発することで受信者に引き起こしたい効果のことである。


ヒトに対して、文脈に依存しない純粋な意味を定義する意義があるとは思えない。実際、強いて行うならばこのような無意味な結果をもたらす。

・なるべくコンテキストによらない意味を定義するため、まっさらな状態の受信者にとっての意味を「純粋な」意味と考えようとする。

産まれたばかりの赤ん坊に対してメッセージを送る。真っ白な部屋で十分に時間が経過した受信者にメッセージを送る。


主体に依存しない普遍的な意味は、(その内部状態の多様さを無視して『効果」だけに着目するとしても)程度の問題であって白黒はっきりするようなものではない。

・信念に関わる問題。「幸福とはなんですか?」に対する回答は主体によって大きくばらつくだろう。

・意味が時間で変化する問題。「鎌倉幕府の成立はいつか?」というメッセージに対して、1192年と回答する人たちと、1185年と回答する人たちがいるだろう。

・山はどこまでが山かという問題。「ここは富士山ですか?」という問は、富士山の五合目より上では共通した回答が得られるだろうが、富士市役所でこれを尋ねた場合は回答にばらつきが起きるだろう。


帰結 上記のモデルは以下を帰結する。

・『意味』に唯一絶対の言葉や状態が対応するのではない。辞書的な意味は、辞書的な意味として共通了解が得られるという以上のものではない。

・「勇気とはなにか?」という問いは、唯一絶対の勇気の『意味』を問うているのではない。ただし、この問いを通じて勇気に関わる様々な物事を想起することで、何らかの効果(例えば社会秩序の安定、自他の違いの発見、自己発見)が得られる可能性はある。


A. シャノンのモデルで除外されていたのは、

・『意味』は文脈によって変わる。なぜなら、意味は以前の内部状態z_tに依存するからである。

・明らかに『意味』は個々人によって変わる。

・ある主体にとっての『意味』を他者が理解するためには、事実上、その主体の行動を観察することによって間接的に理解するしかない。なぜなら、内部状態をすべて観察する観測技術に限界があり、また、コンテクストによっても変化するからである。

・人工的に意味を観察することは可能である。例えばコーパスを学習させたリカレントニューラルネットワークの中間層を内部状態、出力を行動だと考えよ。

・人工神経回路網にとって、内部状態は学習結果が蓄積されたデータベースであると同時に、将来の内部状態や行動を定めるプログラムでもある。

このとき、内部状態である『意味』は、入力の結果であると同時に、将来の経験を定める原因でもある。

未来の内部状態が過去の内部状態に全く依存しない場合、反射的な行動が観察される。

推論や学習は・・・・

B. 意味のモデルにおいて、人工神経回路網による単語埋め込みや文埋め込みが与える単語や文を表現する埋め込みベクトルが、人工神経回路網にとっての意味に他ならない。


6.母が残した動画


ノートを閉じたとき、大黒先生は腕を組んで何かを考えているようだった。先生はノートの内容の説明を求め、ぼくはノートを見せながらかいつまんで先生に説明した。


それからもう一度腕を組んで悩んだ後で、ぼくの目をじっと見て、「実はこれを君に渡すように頼まれていてね」と言い、革鞄から封筒を取り出してぼくに差し出した。封筒の表には達筆な字で「遺書」と書いてある。宛名はぼくだ。裏を見ると母の名前が書かれている。


ノートに向かっていた興奮が冷めやらないところに、殺されたはずの母の遺書を大黒先生から渡されるという事態に混乱し、ぼくは何も言えなかった。「君のお母さんから預かってね。亡くなる1年ほど前だったかな。然るべき時に息子に渡して欲しいと言っていた。おそらく今が然るべき時だろう」と大黒先生は言った。


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