12. 有限性への落胆と意味の無限性(1)
エメラルドグリーンの夢を見た翌朝、覚えている限りの内容を可能な限り細部まで書き出して整理した。夢の記憶は不完全だったが、粗筋は再現できたように思えた。夢を思い出す時、思い出せない何かが残っているようでいつももどかしい。夢の記憶は柵で囲われていて、枠の内側しか表現できない。その柵の外側にも何かがあることはわかるのだが言葉でそれを掴みとれない。
夢の粗筋を書き終えたら、論理的な飛躍をなるべく丁寧に埋めていく。注意深くなれば、支離滅裂な断片の集まりが生き生きとした意味を持ち始める。誰にとっても夢の断片は、妄想であると同時に建築家の前衛的なアイデアのようなものでもある。父は、夢で着想したアイデアの検討に午前中いっぱいを費やす。父にとって、午前中が最も理性が働く時間だからだ。その父を見て育ったぼくは、朝起きたら即座に机に向かうのが習慣になっていた。
「表現することは、不完全さを受け入れることでもあります。なぜなら、すべてを表現しきることは原理的に不可能だからです」
ぼくは、原理的に、というところに少し力を込めて言い、立派な髭を貯えた先生の口元がわずかに開いているのを見ながら、さらに補足を加えた。
「何かを表現するためには範囲を限定せねばなりません。地平線まで続く草原を柵で囲うようなものです。一方で、広大に広がる草原を柵で囲うなんて、馬鹿げたことのようにも思われます。無限の広がりを持つ対象を、柵で囲って有限にしてしまうことに、ぼくは抵抗を感じます」
なぜ抵抗を感じるのかがわからなくなったので、うつむいてしばらく考えてから「おそらく、柵で囲うことに対して、ぼくが違和感を感じる理由は、繋がりを断ち切ってしまうことに、心理的に抵抗があるからです」と、顔を上げずに、ぼそぼそと言って「最後のところは、ほとんど自信がないし、曖昧で、何を言っているかわからないと思いますが」と苦笑いを浮かべた。
「君は、無限の広がりを持つものを、柵で囲ってしまって有限にしてしまうことに、違和感を感じる、なるほど」とぼくに言ってから、先生は斜め上をぼんやりと眺めながら、顎髭に手をやった。何かを考えているようだった。ぼくは先生の様子を見ながら、繋がりを断ち切る、という言葉で頭の中を満たそうとしていた。自分自身を新しい観念で満たすには時間が必要だ。バスタブにお湯を張るようなものだ。ぼくのバスタブの7分目まで「柵で囲うことは、繋がりを断ち切ってしまうこと」という言葉で満たされたころに顔を上げた。先生はいつのまにか、椅子に深く座り直し、肘掛けに両肘を置いて、ぼくの方を見るともなく見ていた。
先生は「無限に広がっているもの、と君は言ったが、それは何のメタファーかな?」と静かな口調でゆっくりと言った。
「表現したい対象です」ぼくは即答した。ほとんどトートロジーだと思いながら、しかし、出発点としては悪くないと考えたのだ。
「表現したい対象が、無限に広がっている?」
「議論の出発点では、つまり現時点では、表現したい対象と関連するものたち、と言うべきかも知れません」
「なかなか難しいことを言うね」先生は軽く両手を上げて口角を上げた。「具体例をあげてくれないかね?」
「予備校講師が、下に凸な二次関数の最小値の求め方を解説するとしましょう。平方完成で解く、高校一年生で習うやつです。予備校講師は、黒板に模範解答をチョークで書きます。丁寧で親切な解答例なので、模範解答が正しいことを理解できます」と言いながら、広げたペーパーナプキンに解答例を書いて先生に見せた。
「けれど、ぼくはこの解説に満足できません。平方完成すれば解けることに気づくこと、そのことが、二次関数の最大最小問題を解くことの肝です。だから、平方完成に気づけるようになる方法を教えて欲しい」
先生はうなずいて「解き方を発見できるようになりたいんだね」と言った。
「実戦で出会う問題を解けるようになりたいんです。入試問題のような数十分以内で解ける、インスタントな加工食品のような問題ではなく、もっと自然で生々しい問題です。もちろん、平方完成のような標準的な解法をたくさん覚えておくのは、生々しい問題を解くための基礎体力になると思います。お相撲さんにとっての、四股や鉄砲、すり足といった基本の稽古のようにです。でも、実戦で強い力士になるためには、実戦的な稽古が必要なはずです。数学も実戦的な問題であるほど、基礎的なトレーニングだけでは足りないと思うんです。せめて一日できれば一週間以上かけて取り組むような、生活の一部になるような問題が本当の実戦的な問題だと思います。実戦的な問題に必要な力、なんというか・・・陳腐ですが発想力、でしょうか。そういったものを鍛える方法を知りたいということです。つまり、生々しい真正の問題を解くための、『発想力』がどこからくるのか、そのことへの言及が動画の中にないことに、ぼくは満足できないんです」と言った。
先生は一度大きくうなずいてから、斜め上に目をやり、しばらく顎髭を撫でていた。ぼくは、自分の言ったことを自分自身の芯の部分に馴染ませながら、先生がこちら側に戻ってくるのを待った。
ぼくの口から出ていく情報はいつもひとつにまとまらず、切れ切れの雲のようにてんでばらばらにぷかぷかと浮かんだままになる。
それをかき集めて元の形に戻そうとするが、出来上がった形は何かがずれてしまう。元の形を知っていたはずなのに、いったん口から吐き出してしまうと、それが何だったのかよくわからなくなってしまうのだ。
学校でも動画投稿サイトでも、石膏のようにカチカチに固めて見慣れた形に加工したものを口から吐き出している人たちが尊敬される。ぼくのように切れ切れの雲を吐く人間は見向きもされないのだ。
社会では、切れ切れの雲のことを「生煮えのアイデア」だとか「単なる思いつき」と呼ぶそうだ。そのことを母から聞いたとき、小学生のぼくは「切れ切れの雲に名前がついていた!」と思って嬉しかった。しかし、これらの言い回しは悪い意味で使われるのだと、ぼくの頭を撫でながら母は言った。ぼくは驚いて何も言えなかった。当時のぼくにとって、人と人が話し合うこととは、父との対話のような、アイデアを互いにぶつけあうことだと思っていた。それはつまり、切れ切れの雲——生煮えのアイデア——を互いに口から吐き出し、それが合わさってどんな形を作れるのかを一緒に想像し、協力して形にしていく作業のことだ。
だから母からそれを聞いた時、切れ切れの雲を吐き出さずにどうやって「会議」なるものが進むのかまったく想像できなかった。しかし、将来会社に勤めるようなことがあれば、切れ切れの雲を吐き出さないように注意せねばならないことは理解できた。その教訓は、早くも中学校で役立つことになったわけだが。
ぼくはもう少し先生に説明を付け加えたくなった。あまりに目の前の雲がとっ散らかっていたからだ。先生がこちらを向き直るのを待ってから「発想力の鍛え方に言及しないことは、仕方がないことだと思います。色々な問題を解いてみる、そのくらいしか方法がないのかもしれませんから。お相撲さんだって、実戦形式の練習を繰り返しているだけかもしれない。だから、言及されないことへの違和感はありません。ぼくの違和感はそこではなくて、本当に大切な何かはここでは語られないのだという了解をお互いにしないままに、あたかも動画で表現されていることが完璧にすべてを包含しているという態度だと思います」と先生に伝えた。
先生はうなずき「発想力の鍛え方なるものを、誰かに教えてもらいたいというのは、単なる例え話かな?それとも、本当にそう思っている?」と聞いた。
「発想力の鍛え方を教えてもらえたら嬉しいですが、本当にそんなものがあるのか眉に唾を付けて聞く必要はあるでしょうね」
「話の本筋は、大切な何かを説明から切り捨てているのに、あたかも完璧な説明だと振る舞う態度への違和感、ということだね?」そう言いながら、先生は車のハンドルを握って左右に動かす手振りをした。メインストリートに合流したつもりらしい。大黒天そっくりの先生が車を運転している姿が、妙に板に付いていたので可笑しかった。先生の車は、レクサスやメルセデス・ベンツではなく、ポルシェのクーペやテスラのロードスターのような車であるはずだった。
「まったくその通りなのですが、態度への違和感だとズバリと指摘されると、自分がただのクレーマーのような気がしてきますね」とぼくは苦笑いをした。
先生も「講師の態度にイライラします、というようなことをコメント欄に書いたら、面倒なクレーマーだと思われるだろうね」と言って笑った。「だが、相手に伝わらなければ苛立つのも怒るのも自由だ。それに、きみの苛立ちは講師個人に向けられているのではないだろう?」
「気恥ずかしいですが、自分自身に向けられた苛立ちだと思うんです。もし自分が予備校の先生と同じような役割を期待される時、その講師と同じように自信を持って話すことがとても難しいことのように思えるんです」
「それは不安ということだね?」
「ええ、将来、社会から期待される役割を果たせないだろう、という不安が苛立ちの裏に隠れていると思います。自分の不完全さを謙虚に受け止めながらも、自信を持って生徒を導く先生として振る舞うなんて、想像もできない」
「だがそのように振る舞う必要を君は感じている」
「教師になりたくはないですが、会社でも同じことだと思います。母が言っていました。会社のミーティングでは、自信を持った振る舞いが求められると。自分の担当範囲で曖昧な態度を取ってしまうと、周りが尻込みしてしまって物事が前に進まなくなる」
ぼくは、母から聞いていた少ない手がかりをもとに、会社で働くことが、どういうことなのかを想像した。会社の仕事のプロセスをモデリングしようとしているということだ。人々は、ある制約のもとで自律的に行動するエージェントだ。時間の経過とともに、エージェントの相互作用を通じてヒト・モノ・カネ・情報が流動するようなマルチ・エージェント・システムをぼくは頭の中でイメージしている。所詮は実態を知らない無職少年が、自分の主張に合致するように都合よく作った歪(いびつ)なモデルにすぎない。
「担当者が自信満々にコミュニケーションすることに違和感はありません。担当範囲とは責任を取る範囲ということですよね?もしそうなら、担当者は断言することが期待されているはずです。加えて、ビジネスの場では、常に間違える可能性があると前提されているでしょう。状況はいつも少しずつ違う。状況が違うから同じ行動が違う結果を生みます。参加者は、間違っている可能性も考慮に入れながら発言を聞いているということです」
「自信のある態度が便利な道具として使われているということかな?」
「ええ。このモデルのもとでは、高校の授業は会社のミーティングとまったく違う構造をしています。生徒は教師を信じることが前提されるからです。それは想定通りにプロセスが進行するための制約です。」
そうだろうか?という表情で先生は少し首を捻り、顎髭を撫でながらぼくが続けるのを待った。
「教師は、政府が定めた『知識』を均一に生徒へ伝達します。生徒はその知識を習得します。中学や高校での授業とは、煎じ詰めればこれだけのことです。その知識に対して生徒が疑義を呈しても、それは無視して構いません。なぜなら『正しい知識』だけが伝達されるように設計されているからです。だから、このプロセスの内部においては、発せられた疑義はすべて『誤り』です。だから、生徒の疑義を無視しても『知識の伝達』は達成されます。生徒の疑義に対する教師の対応は、心理的な効果を狙ったもので、知識の正当性について議論しているわけではありません。乱暴に言えば、疑義を呈した生徒をなだめているということです。情熱を持って伝えたり、はきはきと話したり、自信満々に授業をしたりします。どれも心理的には有効な技術です。立派な顎が選挙に有利に働くのと同じです」
父と似たような話をしたことがあった。父は表情を変えず「教育とは矯正をマイルドに言い換えたものだから」と言った。「矯正されたくない」とぼくは言ったが「宇宙のパラメーターを決めた偶然に文句を言っても仕方がないだろう」と無精髭が薄っすら伸びた口を面倒くさそうに動かして言い「矯正されるか死ぬかどちらかだよ。俺みたいな特殊なケースを除いて」と言ってお尻をポリポリと掻き、そのままどこかにフラフラと出かけてしまった。
「授業における教師も、ミーティングで説明する担当者も、自信を持って正しい発言をすることが期待されます。違いは、教師は『正しい』ことだけを発言し、担当者はそうとは限らないと前提されていることです。教師の『正しさ』は、教育モデルの拘束条件です。そうでなければ、教科書を片手に教壇から一対多で授業をするという形式が成立しません。
さて、このモデルを仮定したとき、完璧な内容を教えているという態度を教師が示したら、その教師は無知であるか、嘘をついているかのいずれか、ということにならないでしょうか?差し当たり、完璧さを演じることも嘘をつくことに含めています」
「そのモデルのもとで知識の伝達を担うのであれば、教師は無知でも嘘つきでも構わないのではないかい?」
「構いませんね」
「教師に非は無いと。ちゃんと仕事をしている」
「ええ」
「でも君はその先生たちのこと、あまり好きになれないんだろう?」
「ええ・・・」
「なぜだろう?なんで先生たちのことを好きになれないの?」
ぼくは顔を上げて、ええと・・・、と言ったまま沈黙した。「少し休まないかい?」と先生は言った。
*
大黒先生は喫茶店の外に出たところで、ポケットに手を入れ、顔を上げた姿勢で眩しそうに青空を眺めている。ぼくは、先生の姿が背景になるように地と図を逆転させてその青空をじっと見た。
母は今日のような天気の良い日の青空が好きだった。冬のペールブルーの青空も、力強い真夏の濃紺の空も両方とも好きだった。夏と冬で色が逆だったら、それほど好きではなかったかも知れないと言っていた。同感だと思った。
ニュートンのリンゴが落ちた日も、こんな青空だったのだろうかと想像した。ぼくの苛立ちは、彼が見出したような世界の根本的な成り立ちへの苛立ちかもしれなかった。それは例えばリンゴが地表面に引かれることに苛立つようなものだ。
きっと父ならば、宇宙のパラメーターに文句を言っても仕方無いと言うだろう。同感だ。だが、その抑え込まれた苛立ちがヘドロに変わって心に沈殿していくのではないだろうか。父は、ぼくのようなありふれた人間には、ヘドロで重くなった心を引きずって生きていくしか選択肢がないと考えているのだろうか。
店の中に戻ってきた大黒先生は、店のオーナーらしき中年の店員とひとしきり談笑していた。終わりに、オーナーは大黒先生に丁寧にお辞儀をしていた。大黒先生はずっとにこにこと笑っていた。
先生がテーブルに戻ってくると、その中年の店員が若い店員と一緒にお茶がたっぷりと入ったポットを二つ運んできて、笑顔で「ごゆっくり」と言って戻っていった。若い店員は、天井のライトを反射して輝いているティーカップを置き、会釈してテーブルを後にした。
「彼女からの差し入れだそうだ」と先生は中年の店員を横目で見ながら言った。「顔見知りなんだ」と付け加えた。実は先生がこの店のオーナーなのかもしれないと思った。先生ならありえると思ったのだ。
お茶をティーカップに注いでいる先生に「リンゴが地面に引かれることに苛立っていたようです」と、なるべく大げさにならないように注意しながら言った。先生はポットを慎重に操作しながら、顔を上げずに「ふうん」と言った。
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