10. エメラルドグリーンの夢(1)

「そうですね・・・」と言ってから視線を下に落として軽く目を閉じ、と話す美人の予備校講師の講義を思い出そうとした。そして、その講義動画を見ているときに抱いている自分自身の感覚を、時間をかけて丁寧に探った。

すぐ目につく表層面には、たしかに嫉妬の感情があった。まずは嫉妬の感情を認めるのがフェアだと思った。

「くどいようですが、嫉妬の感情が含まれていることは間違いないです」と下を向いたまま早口で淡々と報告した。見えない場所にそれが逃げ出さないように注意を払いながら、中庭に座って写生するように、表層面に見えている感情をありのままに表現しようと試みた。

「嫉妬は、渇望しているのに得られない何かがあるということを意味します。渇望している何かとは、自分の考えのありのままを表現したい、ということだと思われます。実際、いつもうまく伝えられないんです。学校でもずっとそうでしたし、今だって嫉妬という感情について表現しようとしていても、どうしても見えている通りの表現にならない。それで苛立ってしまう。美学生が自分のデッサンのまずさに落胆するような気持ちかもしれない。あるいは、探しものが見つからないときの気持ちにも似ています。この部屋のどこかにあるのは確かなのに、どうしても見つからない時に感じる悔しさや怒りです」

母には説明は不要だった。ぼくが見ているものを母も見えていたからだ。父は、ぼくよりも遥かに上手にぼくが見えているものを説明した。苛立ちを感じずに意思疎通ができるのはその二人だけだった。

顔を上げて大黒先生を見ると、こちら向かってうなずき、こちらに注意を向けながらモンブランケーキをフォークで切って口に運んだ。ぼくは表層面の嫉妬を横目で見ながら「今の嫉妬の表現だって、『周囲の人に理解されないのが苦しい』という陳腐な内容を単純に引き伸ばしただけのような気がします。そう感じませんか?」と言った。

大黒先生は、モンブランを口の中で転がしながら、どうかなあという表情で小首をかしげる。

「でも、それとは違うんです。あえて要約するなら『考えている内容を、そっくりそのまま客観的に了解可能な表現に変換する困難さ』なんです。でも、それも少し違っているんです。そもそも、考えている内容をぼく自身が漏れなく捕まえている感覚が希薄だから」

大黒先生は、ぼくの目をみたまま、美味そうにキリマンジャロコーヒーを口に含んだ。

いつもならここで諦めてしまうのに、ぼくは先生に話し続けた。先生が横で見ていてくれれば、今までで一番うまいデッサンができる予感がしたからだ。またしばらく表層面の嫉妬を眺めていると、ふとその表面に亀裂があることに気づいた。その亀裂を両手でぐいと広げてみる。「自分の表現に不安を見せないことへの違和感かもしれない」とぼくは小声で呟いた。

「何かを伝えようとするとき、その対象への理解の限界を思い知ることが必ず付いて回ると思うんです。表現の巧みさの問題ではなく、表現したい対象の性質に由来する問題です」

先生は、右斜め上に顔を向けながら何度かうなずき、腕を組んだまましばらく天井の方に目をやる。おそらく天井を観察しているわけではない。わずかとはいえ亀裂から中を覗いたことでぼくの話が飛躍した。きっと先生は、その飛躍して着地した場所に体を馴染ませようとしているのだ。ぼくの言葉から連想した先生の中ではなく、ぼくが覗き込んでいるに大黒先生は一緒にいるからだ。先生は上の空のままモンブランケーキに視線を移してゆっくりとケーキを口に運び、それからぼくに視線を戻し、話の続きを目で催促する。

「表現したい対象への理解が不完全なのに、その不安がまったく表出しないことに違和感があります。理解の薄っぺらさへの違和感、または、詐欺的行為への違和感だと思います」ぼくはそのように力強く言い切った。それから急に恥ずかしくなった。自分自身の言葉で我に返り、自分の中の景色を共有することの気まずさに気づいたからだと思った。それと同時に、まさに今の自分が表面的な理解を体裁の良い言葉で塗り固めて言葉にしている詐欺師であるような気がして、ますます恥ずかしくなった。顔が火照り、先生の顔を見られなくなって下を向いた。ぼくは取り繕うために小声で「単なる仮説です」と付け加えた。先生は「うん、もちろん」と言い「ここのケーキ、自家製で美味しいよ。食べないなら私がもらうけど」といたずらっぽく笑った。


顔の火照りはしばらく続いたが、発作が起こる気配は無かった。フォークを手に取り、口をつけていなかったシフォンケーキを切って生クリームと一緒に口に運んだ。体温で溶けたシフォンケーキからレモンの爽やかな柑橘の風味が広がり、生クリームのコクが脳幹のあたりを心地よく痺れさせた。何かを食べて美味しく感じるのは久しぶりだった。ぼくがシフォンケーキを食べきってしまうまで、大黒先生はコーヒーをすすりながら黙ってノートパソコンを操作していた。


ぼくが顔をあげ椅子に深く座り直したとき、先生は「自信をもって表現できるのは他人から借りてきた表現だから、ということもあるかもしれないね」と言った。たしかにそうだ。


ぼくは疲れてしまって、これ以上考えることはできなさそうだった。完璧な表現への違和感に関する問題は、「発酵中」というラベルをつけて、しばらく頭の中に置いておきたい気分だった。だから「自分自身のことを自分だけで考えるのは難しいです」と陳腐なことを思いつきで言った。挨拶は陳腐なほうが有効に働く。サッカー選手が試合後に肩を叩きあいながら交わす言葉のようなものだ。先生はうなずいて「時として危険を伴う作業だしね」と言った。先生もあえて陳腐なことを言おうとしたのだと思った。


それから約束の時間がくるまで、先生はおかわりをしたコーヒーをすすりながらキーボードを滑らかに叩き続けていた。ぼくは先生に促されてケーキセットをもうひとつ頼み、チョコレートケーキのビターな甘みを堪能しながら情報理論の教科書を読み進めた。


帰り際、先生はノートパソコンを革鞄にしまいながら「毎週月曜日の同じ時間にここに来ればいいのかな?」と尋ねた。ぼくは「はい。先生さえよろしければ」と答えた。先生は親しげに片手を上げて帰っていった。

4.エメラルドグリーンの夢


大黒先生と初めて会った月曜日の夜、こんな夢を見た。


ぼくは地球ではない惑星の森の中にいた。目を細めて顔を上げると、エメラルドグリーンの空が広がっていた。すぐ近くに小さな湖があるのが見えた。湖の色は、空の色を反映したエメラルドグリーンだった。地球とは違う形をした木々の樹冠を見上げて深く息を吸い込むと、暖かく湿った空気が胸を満たした。樹冠の葉が、風に吹かれて擦れあった。ほかに動くものは、湖上の波紋と地表の背丈の低い草たちだけだった。


(完璧さについて、考えているんだろう?)

いつものように、そいつは姿を見せずに言った。遠くの方で黒い鳥の鳴き声が聞こえた。


ぼくはそうだと答えて、手頃なサイズの石に腰掛けた。


そいつはどこから話しかけているのだろう。少なくともそいつに物質としての存在感は感じない。だが言葉は力強く、ぼくを励ますような響きを、聴覚野のある側頭葉でダイレクトに感じることができる。物質的な存在よりも観念的な存在——あるいは情報論的な存在——のほうが、手触りのある存在として確かに感じられるという状況がありえるのだ。


(無理解を自覚していないことと嘘をついていること、それらへの違和感だと言っていたね?)

「そうだね。オオグロ先生は、他人から借りてきた表現に対する違和感についても指摘していたね」

そのように応じてから、腰掛けた石の斜め後ろに両手を置いて、体をのけぞらせながら足を前方にのばした。そのままの姿勢で空を見ると、ちょうど目の前に、太陽よりもいくぶん大きな恒星がエメラルドグリーンの空に鈍く光っているのが見えた。大気の組成のせいだろうか、その惑星の太陽は霞んでいて輪郭が曖昧だった。だから鈍く曖昧に光る太陽をじっと見ていることができた。それは混じりっ気のない真っ白な色をしていた。


その太陽を眺めていると、暖かく湿ったエメラルドグリーン色の空気がぼくの表層から芯に向けてゆっくりと染み込んでいった。こうしていると、ぼくがこの星の一部であると同時にこの星がぼくの一部なのだと、矛盾を感じること無く実感できた。


この星では、何か別のことを気にするという不自由さは無い。この惑星で動くものはごく限られているからだ。惑星の空気に体が馴染むのを待っている最中に「お知らせがあります」と後ろから声をかけられることはない。ただ自分自身を感じているだけで良い。あるいは同じことだが、この星を、輪郭が曖昧な白い太陽を、暖かく湿った空気を、枝葉が擦れ合う音を、柔らかな風が首筋を撫でていることを、それらすべての事象を感じているだけで良いのだ。


(そいつはとんでもなく贅沢なことだぜ)と、そいつが茶々を入れた。

その通りだ。ぼくらは産まれた瞬間から不自由だ。母と切り離された瞬間に、自然はぼくらに終身刑を宣告し衣食住の獲得という労働を課す。もしぼくが本当に自由なのであれば、将来のことで悩む必要はないはずだ。他の人間がぼくから奪った自由ならば取り返すことができるかもしれない。しかし、埋め込まれた自然の制約に由来する不自由さから逃亡することは原理的に不可能だ。自然の課す制約はどこまでも追いかけてくる。


唯一、このエメラルドグリーンの空気を吸っている時だけは、その自然に埋め込まれた制約を心配する必要はない。やるべきことに集中することができる。

注意を自分自身に向け、自分の中に向かって集中する。こうすると、考え始める準備が整っているかどうかを感じることができる。別の言い方をすれば、ぼくの芯の部分がエメラルドグリーンの空気にしっかりと浸り、空気と芯の部分が調和しているかを感じることができる。


ここの空気とぼくの芯が調和するためには、空気に含まれる湿り気や温度がぼくの芯の部分に届くのを待たねばならない。慌てる必要はない。動くものは限られている。それまでの間、同じ姿勢で太陽を眺めたり、時々、木々の枝ぶりや葉っぱの形を確かめたりしていた。そいつも同じように、景色を眺めているようだった。でも実際のところ、ぼくらは何も観察していない。エメラルドグリーンの空気に馴染んでいく自分自身を観察しているのだ。


(表現の完璧さとは何なのだろうか?)と、そいつが切り出した。芯の部分がここの空気とよく混ざって調和している。良い頃合いだ。

「その問題は、対象が大きく広がりすぎていないか。どの入り口を選んでも底なし沼のような場所に引きずり込まれそうだ」

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