6. 脳天気なマロニエと下腹部に蠢く黒い蛇— (2)

処方薬のおかげで症状は軽くなった。一方で、その化学物質が届かない範囲に別の何かがあるように思えた。物質が届かない場所に、根源的なしこりを感じていたのだ。深層に硬結したしこりを、時間をかけて削り取っていく必要がありそうだった。深層にある硬いしこりは、一生かけて削っていっても取り除けないかもしれなかった。そもそも、削り取ろうにもその場所ににたどり着くことすらできないかもしれない。それでも、目を逸らしてやり過ごすことはできないのだと、そいつは訴えかけてきた。


退学届を出した後に起きた発作は、ぼくが経験したものの中でも比較的軽いものだったから、ここから最寄り駅まで歩き、電車に乗って永福町の家に帰るのに問題はなさそうだった。息苦しくはあったが、可能な限り早足で高校が面している通りを抜けた。あまりに早足だと発作が悪化する。ゆっくり歩いても苛立ってしまうから、これも発作に悪影響だ。絶妙なバランスに歩く速さを制御せねばならない。そのスピードを維持して通りを抜けて商店街に入ると、ようやくいくらかまともな呼吸をすることができた。小さく深呼吸をした。大きく深呼吸しすぎても逆効果だ。絶妙なバランスで制御された深呼吸が大事だ。


自分の症状は、ごく軽度のパニック障害と、不思議の国のアリス症候群が混ざったようなものだと思われた。医師は、不思議の国のアリス症候群については何も言わなかった。だが、視界にあるものが小さく縮んで見えるという不思議な症状は、それによく当てはまっていた。医師にそのことを尋ねた時、そうかもしれないと曖昧に返事をした。そしてオンラインの医療情報は、ほとんどすべてが間違いだとその医者は言った。


薬によって症状が比較的軽くなって以来、発作とは五年近くに渡って付き合ってきた。症状に変化は無く、その不愉快さに慣れることはなかったが、発作が出た時の対処の仕方には習熟することができた。今回のように高校の帰り道に起きた場合は、商店街にあるドトールコーヒーに入ってホットココアを注文し、慎重にテーブルに腰掛け、適度に制御された深呼吸をしながら甘いココアを飲む。たいていは十五分で発作はおさまる。


ただ今日に限っては、ドトールコーヒーに立ち寄らずに一刻も早く家に帰り着くべきだと思った。この発作の原因は、高校を辞めたことにあるようだった。もしそうであるなら、高校を連想させる事物から離れたほうが良い。この商店街にいる限り、発作はいつまでも続いてしまうだろう。


実際、商店街のアーケードの下を駅に向かって真っ直ぐ歩いている間、退学届を渡した担任の教師のことが頭から消えなかった。発作を抑えておくには別のことを考えるべきなのに、どうしても頭から離れなかった。

その社会科の教師は背こそ低いが骨格はがっしりしていた。高校時代は柔道の軽量級で全国大会に出たとのことだった。禿げ始めている頭頂部と、下腹部の肉付きは年相応だった。授業では、教科書を片手に熱心に社会科を教えた。その熱心さからは、必要にして十分な内容が収められた検定教科書の内容を生徒に習得させることが、自分の存在意義であるという主張が伝わってきた。常に熱心であると同時に、彼は常に何かに向けて怒っているように感じられた。その怒りは抽象的で、具体的な対象や行動として現れているものではなかった。検定教科書を習得しない落ちこぼれの生徒に向けた怒りのようでもあり、検定教科書を教える宿命にある自分の存在意義への怒りであるようでもあった。大学生になったばかりの娘がいて、彼氏に唆されて腕にタトゥーを入れたという噂だった。根も葉もない噂話だったが、真実味があった。


ぼくが発作を抱えているように、その教師だって問題を抱えているはずだ。娘は本当にタトゥーを入れたのかも知れない。問題を抱えているという観点では、一種類の人、つまり、問題を抱えている人しか存在しないのだ。


さっきぼくが退学届を出して立ち去った時、教師は何か言いたげだった。実はぼくにも聞いてみたいことがあった。だが、お互い何も言わなかった。結局これが正しい選択だった。我々の間の会話は、何ら意味のあるものを生み出さなかっただろうから。


対話によって意味を生み出せるかという観点では、二種類の人がいるようだった。対話によって、意味を新しく生み出す人と、意味を生み出さない人だ。意味を生み出す人は、砂漠のオアシスのような人だ。彼らは問題を抱えたぼくの渇きを潤してくれる。意味を生み出さない人はただの砂漠だ。その砂漠がゴビ砂漠くらい広大なら、その広大な渇きに胸を打たれることもあるだろうが、ぼくの観測範囲にいる人々は、砂漠というよりも、1メートル四方の柵で囲まれた公園の砂場だ。


ぼくは、新しい何かを生み出す対話が大好きだ。対話は、空気の振動と神経細胞の発火パターンに還元されるはずだと思う一方で、限られた特定の人々との対話においては、そこには還元されない何かが生成されていると感じられた。


ぼくが好きなのは、何かが生成されていることを確かに実感できる対話だ。この対話で生み出されている何かを言い表す言葉をぼくは知らない。だからぼくはそれを意味と呼ぶことにしている。広辞苑にも載っていない、ぼくだけが使う特殊な用法だ。だが、対話で生まれている何かは、意味と呼ぶのがふさわしいと感じる。


ぼくが高校を辞めたのは、大学に行かないことにしたからで、大学に行かないことにしたのは、父のような研究者として生きていく上で無意味だと思ったからだった。


大学に行くことで得られるものは、授業で得られる知識、同窓生や教員との人脈、そして愉快な思い出であるようだった。

理工系において、三年生までの授業は座学と実験に分けられる。ぼくは実験家になるつもりはなかったので、実験の経験がなくてもなんとかなるはずだった。少なくとも、わざわざ実験の経験を得るために大学にいくのは非効率だと思った。

座学では教科書の解説に終始する。勉強することはたくさんあるが、それは、世界中のトップクラスの大学が公開している授業を聞けば十分だと思われた。ぼくの学力で通える日本の大学の授業が、オンラインで閲覧できる講義よりも劣っているわけではないだろう。だが、授業のレベルは、学生の学力に合わせて調整されるものだし、トップ大学の講義が、平均を大きく下回る品質ということもないだろうと思った。どう考えても、手堅い選択だと思われた。

一緒に講義を受ける同級生と議論する機会は大学に通ったほうが多いと思ったが、ぼくは同級生と講義について語り合うタイプではなかった。むしろ、オンラインの掲示板を通じて議論するほうが、自分には向いていると思われた。

四年生から始まる卒業研究で、研究指導を受けることは、研究者を目指す上でメリットになるだろうと思った。このメリットがなければ、迷うことは無かったと思う。

このことを、父に聞きたくてメッセージを送ったら


研究指導については俺がどうとでもできる。だが、学位が無いと苦労する。大学には絶対に行くべきだ。ボストンに来いよ


と返信があった。これまで父から進路について頭ごなしに意見を言われたことはなかったから、驚いてしまって返事をどう返せばよいのかわからなかった。しばらく放置していると、父から


苦労するという意味は、テキストメッセージでは伝えられない。よかったらボストンに来て話さないか


とメッセージが送られてきた。

父と面と向かって話すというプロセスを踏むのは、進路を決める上でまっとうなことだと思いはしたものの、飛行機やホテルの予約を取るのが億劫で、そのままなんとなく時間が過ぎていってしまった。母が死んで以来、父との間に気まずい雰囲気があったせいもある。


母が入院して間もない頃、研究するとはどういうことなのか父に尋ねたことがある。

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