第7話 防犯意識と出自設定
『カラーン……カラーン……』
……鐘の音が聞こえる。そういえば昨日も夕暮れ時にどこかから聞こえてきたな。
硬い木の床の上で布団を敷いただけにしてはよく眠れた。これも睡眠能力のおかげだと思う。ポッチからは一緒にベッドを使うかのお誘いがあったが、抱き枕にしてしまう自信があったので、涙を呑んでその申し出を断った。
「起きて起きて! 朝だよー!」
耳元で叫ばれ慌てて体を起こすと、ポッチが笑顔で見下ろしてきた。顔が柴犬、全身が茶色の体毛で覆われ、しっぽがある以外は……人間と変わらない体のつくりみたいだな。肉球がなかったのは残念……。
「な、何? 手がどうかした……?」
「あっ! いや、ごめん! なんでもないよ。寝ぼけてたみたい」
無意識のうちにポッチの手をつかんでプニプニしていた。危ない危ない、今のところ関係は良好なんだから、嫌われる事態は避けたい。
「そう? とりあえず今から食堂に下りて、昨日教えた水汲みと朝食の準備をしに行くよ。今朝は家族客の分も洗い物があるから大変だからね! あ、これヒビトのエプロンだから着てみて」
俺の奇行に少しも疑問を持たない純粋なポッチ。自分でいうのもなんだが、この子は昨日急に現れた不審者に対して、少々不用心な気がする。俺の境遇を聞いて、同情しているのはあるかもしれないが……。
きっとガイアさんの人を見る目を信頼してるんだろうな。
布団から立ち上がって渡されたエプロンを着ると、長さがくるぶしまであった。
「ガイアさんのなんだけど、最近着なくなったんだよね。汚しても気にしないし、ホント服に関して無頓着なんだよ! ヒビトも早く自分の服が欲しいでしょ?」
服を見る目は信頼してない様子。
「まぁ、色やサイズはともかく……着替えは早く欲しいかな」
昨日からずっと同じ服を着たままなので、臭いが出てないか気になる。自分だと分からないが、獣人の鼻には(感覚は同じはずだが)相当臭いんじゃなかろうかと思ってしまう。……もう一度体拭いたほうがいいかな?
寝ていた布団を折りたたんで隅に置く。従業員部屋は昨日使っていた個人客室より広めの造りだが、その半分は室内扉で仕切られ、寝具や掃除道具の倉庫として使われている。従業員用として置かれているのは、ポッチが寝ていたベッドに、タンスと机くらいか。
部屋が狭くなってごめんねと謝ると、寝る時くらいしか使わないし気にしなくていいよと笑われた。年下の子に気を遣われて……申し訳ない。
「服を買ったらこのタンスに入れるといいよ。半分以上空いてるから一緒に使お!」
「同棲したてのカップル……」
「え、なになに? 何か言った?」
「いいや、喜んで使わせてもらうよ。じゃあ水汲みに行こうか!」
元気な声でごまかしながら、先に部屋を出る。……俺が心配するまでもなく、近いうちにポッチから不審者認定されそう……。
厨房にある桶を片手に1つずつぶら下げて水汲み場に行くと、既に来ていたガイアさんが4つ目の桶に水を入れてる最中だった。
他の住人の姿は昨夜と同様まだ見当たらない。……あれ、昨夜もちらっと思ったが、ガイアさんもここにいたら、宿屋が従業員無人状態じゃなかろうか?
「おはよう! よく眠れたか? 布団だけじゃ寝にくかっただろ? 早めにベッドを運び込まないといけないな」
「おはようございます。布団だけでもよく眠れましたよ。ベッド入れると場所取りそうだし、今のままで十分です。それより、宿は……誰もいなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫って何が?」
きょとんとした顔を向けてくるポッチ。……くそっ、可愛いな! もしや、この国には防犯意識というものが存在しないんだろうか? みんながポッチみたいなら犯罪なんて起こらなそうだけど。
「いや、お客さんだけにして何か盗られたりしないかとか……。あ、他に従業員の方がいるんですか?」
住み込みで働いているのがポッチだけで、通いで何人か雇ってるのかもしれない。
「従業員はポッチだけだよ。20年前に妻を亡くしてからは、去年ポッチを雇うまでずっと1人で経営してきたなぁ」
「えっ、結婚されてたんですか⁈ あ……すみません、まだ若そうに見えたので意外でした……」
20年も前に結婚できる年齢だったことに驚いたのであって、決して結婚相手がいたことに驚いたわけではない。……同じ種族の人だったのかな?
「ハハッ! あと2年で50になるおっさんだよ。今年28になる息子もいるしね」
獣人の年は見た目で判断しづらい……。ポッチから桶を受け取って水をつぐガイアさんを見つめる。まだ20歳と言われても通用する姿だよなぁ。何か獣人だけの見分け方があるんだろうか?
「ラントさんでしょ? 去年、お墓参りで帰って来てたよね。挨拶くらいしかしなかったけど、ガイアさんにそっくりだったなぁ。王都で警備隊の副隊長をやってるんだよ。うちの父ちゃんがその若さですごいって言ってた!」
ポッチの説明を聞き、やはり虎の獣人はみんな体格が良さそうだなと思う。というか、そんな2人が宿屋にいたら客の気が休まらないのでは……。
「話がそれたな。まぁそういうわけで、1人で経営していた時も何度か店を空けてたが、今のところ何か盗られたことはないぞ。貴重品は鍵をかけて自分の部屋にしまってるし、宿泊前にギルド証とかで住所確認もしてるから、何かあれば宿帳の記録で追跡できるはずだ」
ギルド証とは身分証明か何かに使うのだろうか? ギルドとはまたなんともゲームの世界みたいだが、俺の会話能力でそれっぽいワードに翻訳されただけかな? 宿で泊まるのに必要な物なら、俺も作ったほうがいいと思うけど……。
「さて、水も汲んだし店に戻ろうか」
軽々と4つの桶を持ち運ぶガイアさんの後を追いながら(ちなみに俺は2つ、ポッチは1つ)この人から追跡される恐怖が、防犯装置として働いているんだろうなぁとしみじみ感じた。
宿に戻った後は朝食の準備を手伝った。ナイフのような物で慎重に野菜の皮を切っていると、昨日見た2名の客に加え、今朝は猫の獣人と思われる4人家族がテーブル席に座るのをカウンター越しに確認できた。
できた料理をポッチと一緒に客のもとへ運んでいると、昨日いなかった家族客だけでなく、俺の存在に気づいていなかったと思われる個人客からも、まじまじと見つめられた。
猿の獣人が珍しいのだろうか? ……いや、単にこのぶかぶかの服を妙に思われてるだけかもしれないが。
「ねぇねぇ、この人、毛が生えてないよ⁈」
テーブル席に皿をおいた時、3歳くらいと思われる可愛らしい三毛猫顔の女の子に指差されながら叫ばれた。失礼な、もうとっくに生えとるわ! ……と、違う違う。他の種族に比べて体毛が薄いことを言ってるんだよな。
「こらっ! すみません、この子、猿の獣人の方を見るのは初めてで……」
隣に座っていた同じ三毛猫模様の母親から謝られた。こっちも結構、興味津々で観察してるのでお互い様ではあるが。
「いや、そんなに気にされなくても……」
「えー、猿の獣人ってしっぽが無いの?」
俺の返事を遮って、今度は母親の向かいに座っていた5歳くらいの黒猫顔の男の子から質問が飛ぶ。
やばい、なんて答えたらいいんだこれ……。ふ、不吉の前兆……。
「君くらいの時に馬車の事故に巻き込まれて、しっぽはその時に切ることになっちゃったんだよ」
いつの間にか厨房から出てきたガイアさんからフォローが入る。
「君も通りを渡るときは周りをよく見て気を付けるんだよ。知り合いの子なんですけど、ここに住み込みで働いてもらってるんです」
男の子の関心を交通ルールにうまく持っていった後、ガイアさんは隣に座っている父親(黒猫)に、ポッチと同じ設定にした俺の境遇を説明してみせた。よく機転が回るな。
「不躾な質問をして悪かったね。……しかし、猿の獣人が女神様の直系と言われてるのも、君を見てるとうなずけるな」
「ちょっと、あなたまで参加しないの! ごめんなさいね、家族そろって」
「い、いえ、本当に気にしなくて大丈夫ですよ。では、失礼します」
これ以上このテーブルに長居して、またぼろが出そうな質問をされたら困るので、ガイアさんと一緒にそそくさと厨房に戻る。しばらくは洗い物に専念し、ポッチには悪いが、表は1人で頑張ってもらおう。
……しかし、旦那さんの発言は気になったな。女神様とは、おそらくあの管理者の庭で会った女の子の神様で間違いないと思うが、その姿までこの世界の住民に知れ渡ってるのだろうか?
技術発展の介入をしていると言っていたが、お告げみたいな声だけじゃなく、実際に姿も見せてたのかな? 教会に行けば、絵や銅像とかがありそうだ。
ガイアさんに、一応客が宿を出発するまでは厨房にこもっておくよう言われたので、客が全員食堂から出た後も1人で念入りに掃除を続けた。台所掃除って何気に人生初かも。
「ヒビトー! 最後のお客さんが出発したよー!」
「お疲れ様。もう出てきていいぞ」
鉄板の頑固な焦げ付きと格闘していると、食堂の入り口からポッチとガイアさんが入って来た。
「しかし、俺の予想以上にヒビトが注目されたな。この町にも少ないとはいえ、猿の獣人は住んでいるのに」
「今日行く教会の司祭様も確かそうだったよね」
「……これは街に出る前に、3人でヒビトの出自設定を決めて、話を合わせておいたほうがいいな。正直に記憶がないと言ってしまうと、警備隊かギルドに通報されてしまいそうだ」
「……すみません、お手数かけます」
指名手配犯になった気分だな……。
「しっぽが無いのはさっきの馬車の事故ってことでいいかな。生まれた所や、親が住んでる所はどこにするの? この近所じゃまずいよね? 外国にする?」
「……正直、ヒビトはパンジャル出身の可能性が高いんだが、あそこの貴族連中は警備隊の評判が悪いらしいからな。リフラは地続きとはいえパンジャル以上に遠いし。無難に国内で……ラオの田舎の方に住んでたことにするか?」
「知らない場所があったら俺がフォローできるし、それがいいかもね! 王都と違ってラオならギルド証なしで行き来できるし」
「あ、それ聞いておきたかったんですけど。ギルド証って身分証明みたいなものですか? もしかして買い物する場合に必要だったりします?」
ガイアさんとポッチが話を進めている中、気になったので割って入る。
「何か事業を始めるときや、ギルドに依頼があった仕事を受けるときに必要な許可証だな。メガリア国内でギルドに登録せず商売をしたら罰金なんだよ。名前や住所が記載されてるから、身分証としてもよく使われるんだ」
なるほど、免許証みたいな感じなのかな?
「服や食べ物程度なら問題ないが、物件の購入や宿に泊まるときは、身元確認用で使う場合があるかな。ポッチも言ってたように王都を出入りする際、警備隊から提示を求められることがあるが……この町から出ない限り必要ないだろう」
「俺はここで働くことになった時、父ちゃんに作ってもらったけどね。ヒビトも一応持ってたほうが怪しまれないんじゃない?」
「作るのが大変なんですか?」
「さっき言った名前や住所の記入と、信頼できる保証人……親や配偶者の場合が多いが、その同意で発行できたはずだ。登録料はいくら納めるんだったかな……?」
親は……どうしようもないけど、宿も経営しているガイアさんが保証人になってくれれば、俺でも作れるんじゃないか? ……さらにお金の負担をしてもらうことになるが。
「ならガイアさんが保証人になってあげれば?」
俺の心を読んだようにポッチが提案すると、意外とガイアさんは難しい顔をした。
「ヒビトの記憶が無いのが問題でな……。もしすでにヒビトがギルド証を発行していたら、二重取得でヒビト本人や保証人の俺が罰金を科せられるんだ。最初の保証人がヒビトの親御さんなら、その方にも迷惑がかかるかもしれない」
「うーん……危険を冒してまで作る必要はないってことか」
「とりあえず、ヒビトの記憶が戻るまではギルド証はいらないだろう。さ、話のすり合わせの続きだ」
……今さらギルド証は作ったことないし、親もこの世界にいませんとは言えない。
その後しばらく、2人が語る自分の半生を黙って聞いていた……。
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