第6話 ガイアの回想

「隣にお客さんがいるんだから、大声でしゃべるんじゃないぞ」


「わかってるって。おやすみなさい!」


「今日はお世話になりました。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ。また明日な」


 階段を上がっていくヒビトとポッチを見届けてから、自分の部屋に入る。着ていた服を脱ぎ、濡れたタオルで全身を拭いてから、寝間着に着替えた。

 やっと一日が終わった……。


「……ふぅ」


 ベッドに腰かけると大きくため息が出た。今日は朝から慌ただしかった。


 食堂で朝食の準備をしていると、ポッチが『裸の人が倒れてる!』と叫びながら駆け込んできた。急いで勝手口から外に出ると、この街ではあまり見かけない猿の獣人の男の子が、体を丸めるようにして地面に横たわっていた。『おい、大丈夫か?』と軽く体を揺すってみたが、返って来たのは静かに立てている寝息の音だけだった。

 見たところ怪我はしてなかったし、体調が悪そうでもなかったので、教会に連れて行くのはやめて空いている客室で休ませることにした。


 ベッドに寝かせ自分の部屋から取って来た服を着せていると、ポッチが作ったばかりの朝食をおぼんにのせて持って来た。ポッチが何かしゃべろうと口を開きかけたので、首を振って制し、受け取ったおぼんを机に置いてすぐに部屋を出た。


 警備隊に知らせなくていいのかポッチに心配されたが、彼の素性が気になった。猿の獣人でしっぽを切除しているのは、パンジャルの王侯貴族によく見られる特徴だったはず……。だが、彼がそんな身分だとすると、なぜ全裸で俺の店の前に倒れていたのか……。


 何があったにせよまず話を聞こうと、朝食の後片付けをして再び彼の寝ている客室の前に行くと、中から微かにすすり泣く声が聞こえてきた。

 音を立てないようにそっとドアを開けて覗くと、ベッドの上で体を小さくして座り込む彼の姿が目にとびこんできた。漏れないようにする努力の甲斐なく、腕で押さえた口から悲痛な叫び声が響いてくる。


 ふと、自分が妻を失った時……母親を亡くした時の息子の姿を思い出した。その背中にのしかかる悲しみを何とか取り払ってやりたいと思っても、ただただ自分も同じように泣いて抱きしめてやることしかできなかった。


 今はそっとしてやるべきだと、声をかけたい衝動を抑え、気づかれないようにゆっくりドアを閉めた。なにも事情を知らないのに、俺が慰めるわけにもいかない。


 宿泊客が出発し、部屋の掃除や洗濯などを終えると昼近くになっていた。部屋の前を通るたび、ポッチが中に入りたそうにしていたが、俺が話をするまで待ってくれと我慢させた。


 自分とポッチの食事を終え、彼の分の昼食を持って行った時には、泣き疲れたのか彼はベッドの上でまた横になって眠っていた。

 起こさないように窓際まで歩いていき、少し食べたと思われるスープ皿だけ取り替えておいた。早く食欲が湧くといいんだがと思いながら、まだ涙の痕が残る寝顔を見つめ、部屋をあとにした。


 午後は今日の宿泊客の対応や食料の買い出し、そしてその合間に、警備隊舎に行って猿の獣人で捜索願が出てないかを聞いてみたが……残念ながら手掛かりはなかった(保護していることは黙っておいた)。

 

 夕方になり、再び彼のいる部屋まで行くと、今度は元気のいい返事が扉越しに聞こえてきた。


 ヒビトと名乗った彼は、記憶を無くしているとは思えないほど丁寧な言葉遣いで、幼少の頃からそれなりの教育を受けていそうだった。

 もしパンジャル出身なら……貴族間の権力闘争に巻き込まれたのか、国の定める思想教育に違反して追放されたのか。

 

 ……明日教会に行ってみれば、何か思い出すかもしれないな。


 いったん回想をやめ、明日の予定を立てる。掃除が終われば、みんなで服屋と靴屋に行って……昼食も外で食べればいいか。その後に教会に寄って、聞きたそうにしてた話を司祭様にでもしてもらおう。


 それにしても……管理者の庭とは何だろう?


 先ほど路地裏で彼がこぼした独り言が、妙に心に残っている。本人は聞こえないように言ったつもりだろうが、長年の接客業の影響か、ぼやき声には耳が敏感に反応する。

 まさか、奴隷商館の名前じゃないよな……。奴隷制度があったリフラでは30年前に廃止されたし、知っている限りでは、どこの国も禁止しているはずなんだが。

 でも裸で倒れてたし……そういう場所から逃げ出してきた可能性も……。


「ヒビト……君は、どこからやって来たんだ?」


 思わず口からこぼれた問いに、答えてくれる者はいなかった……。

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