第3話 再出発
ここが宿屋と気付いた時は、神様たちが気を遣ってくれたんだろうなと感謝していたが、今は……ただの嫌がらせだったのではないかと疑っている。
「さすがに俺の下着は、はかせないほうがいいと思ってね。着心地が悪いだろうけど我慢してくれ」
「……いえ、すごく助かります」
初遭遇の獣人がまさかの虎だったことに動揺していると、彼はゆったりと歩いてきてベッドに腰かけた。近い! でかい! 怖い!
「お互いに自己紹介がまだだったね。俺はこの宿屋を営んでいるガイアと言うんだ。見てのとおり虎の獣人の上、この図体だから、初めて会う客はびっくりしてね。なかなか接客に苦労しているよ」
そうでしょうね、と言いかけて慌てて言葉を飲み込む。彼はベッドを軽く叩いて、立ったままの俺に横に座るよう促した。中身は人間、中身は人間と心の中で唱えながら恐る恐る横に座る。
「そんなに怖がらなくていいぞ、取って食ったりしないからさ! こう見えても今雇っている従業員の子には、優しくて面白い人だって言われてるんだ」
冗談に関しては全く笑えなかったので面白いかは疑問だが、今まで世話をしてくれたことを考えると、ガイアさんが優しい人だというのは信じられた。
「すみません、虎の獣人の方は初めて見たので。えーと、俺、あ、いや僕は猿の獣人で……その……」
「無理に敬語を使わなくていいぞ。もっと気楽にしゃべってくれ」
すごく気を遣われて、申し訳ない気持ちになる。
言葉に詰まったのは、丁寧に話そうとしたのもそうだが、別れ際に神様たちに言われた注意事項を思い出していたからだ。話せないことが多い上、この世界の日常生活を知らないとなると……記憶喪失の設定でいくのが無難だろうか……?
「……君は、もしかしてパンジャル出身じゃないか? ここ……メガリアと違って、あそこは猿の獣人が多い国家で……一部の住民は生まれてすぐに、しっぽの切除を行っていたはずだから」
どう話すか筋道を立てていると、ガイアさんから話を振ってきた。パンジャルってどっかで聞いたな……。ああ、王女が暗殺されかけたというやばそうな国だ。
「それが……ここに来るまでの記憶がほとんどないんです。物の名前とか道具の使い方とかは何となく覚えてるんですけど……。自分がどこで生まれたのか、どんな生活をしていたのか、なぜここに来たのかを全く思い出せなくて……」
かなり都合のいい嘘をついているが、信じてもらえるだろうか? 心配になり、横に座っているガイアさんを見上げると、なぜかすごい形相で目に涙を浮かべていた。
「きっと、つらい思い出に対して、君の体の防衛反応がはたらいたんだな……」
うっ……心配かけ過ぎたかな? 騙しているのが後ろめたくなり、大丈夫ですよ、と言おうとしたら……急にベアハッグ(虎だが)をかけてきた!
いたたたたたっ! 取って食わないが、絞めて殺す気かっ⁈
「……すまん、君が泣いていたのを、見てしまったんだ。君さえよければ……落ち着いて記憶が戻るまで、ここにいるといい。今、住み込みで働いている子と相部屋にはなるが、それで構わないなら……」
泣くのをこらえ、途切れ途切れに話すガイアさん。
……泣いていたところを見られた恥ずかしさや、騙していることへの申し訳なさ、そして何より、彼の優しさへの感謝で胸が苦しくなった。……当然、物理的にも苦しかったが。
「……君を探している家族が見つかるかもしれないから、警備隊に保護してもらう手もあるんだが……」
この世界には家族どころか知り合いすらいないし、警備隊(警察官みたいな人たちだろうか?)に、根掘り葉掘り質問される事態は避けたい。
「その、できれば、しばらくここに居候させてもらえると助かります……」
「……わかった。もちろん、その間は店の手伝いをしてもらうが、いいかな?」
彼はそう言ってゆっくりと体を離すと、まだ涙が残る目を細めながら笑った。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。精一杯、働かせてもらいます」
「ハハハッ、そんなに硬くならなくていいぞ。さっきも言ったが気楽にいこう。しかし、君をなんて呼べばいいんだろうな……。名前とか年齢とかも覚えてないかい?」
確かこの世界は苗字を持たないのが一般的だったな。名前と年齢だけ覚えているのは不自然だろうかと思いながらも、これも嘘をつくと後々ぼろが出そうだったので、正直に答えた。
「15歳になったのは何となく覚えてるんです。名前は……ヒビトって言います」
こうして、獣人世界での俺の新たな人生が始まった。
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