第2話 見知らぬ場所で

 パタン、と扉が閉まるような音で目が覚めた。寝たまま音がした方に目を向けると、木の扉の向こうから微かに話声がする。


「ねぇ……起こしちゃだめかなぁ? 俺、話してみたいよ」


「今は寝かしといてあげような」


「何か訳アリのお客さんかな? 裸で倒れてるとか普通じゃないよね? 警備隊に連絡しなくてよかったの?」


「まぁ、事情を聴いてからでも遅くないし、個人的に気になることもあるんだ。さ、他の宿泊客の朝食の準備を進めてくれ」


「……はぁーい」


 声からするに成人男性と、小学生くらいの男の子だろうか。神様からもらった能力が機能しているのか、ちゃんと日本語として聞き取れる。

 会話の内容からすると、どうやらあの管理者の庭という所から、この宿屋と思われる建物の前に転移して、そのまま気を失っていたらしい。……全裸で。


 扉の向こうの足音が遠ざかると、ゆっくり上半身を起こし掛けてあった薄手の毛布をめくった。寝てる間に服を着せてもらったようだ。

 ダボっとした黄色いシャツにぶかぶかの黒いズボン。下着ははいてなかったが、裸で倒れていた不審者にこの対応、ここの宿屋の店主はかなり親切な人(そして巨漢)みたいだ。


 見える範囲では、体は今までと全く変わらない。鏡があれば顔も確認しておきたいところだけど……。


 顔に両手を当てながら形を確認していると、ふと何か香りがしてドアの反対側に目を向けた。自分が寝ているベッドのすぐ横、窓際に置かれた机の上に、パンと数種類の野菜が入ったスープ皿がスプーンと共に置かれていた。


「……ありがとうございます」


 俺がいきなり路頭に迷わないよう、ここに転移させてくれたんだろうな……。天井を見上げながら、届くか分からない感謝をつぶやいた後、机の上のスープ皿を手に取った。作ったばかりみたいでまだ温かい。

 恐る恐る口にしてみると、ちょうどいい塩加減でホッとした。味覚は人間と変わらないって言ってたしな。入っているじゃがいもや玉ねぎといった野菜も、日本の物と同じ色、味だった。


 ……でも、ここはもう日本ではないんだ。……地球ですらない。


 ふいに最後に両親と一緒に食べた朝食が思い出された。何か欲しいものはあるか、夕食は何が食べたいか、俺の誕生日を祝うために、楽しそうに聞いてくれた……。

 

 もう、二度と会うことはできないんだ……。別れの言葉すら交わしてないのに。


 そう思うと目頭が熱くなり、涙が込み上げてきた。最期に見た両親の顔も涙でぐしゃぐしゃだった。あの後、魂の抜けた肉体はどうなったのだろうか……。何の前触れもなく倒れた原因なんて、一生……分からないままなんだろうな。


 ……俺は最低の親不孝者だ。育ててもらった恩も返せず、感謝の言葉も伝えられず、あげくに親より先に……よりによって誕生日の日に……。


 どうしようもなく涙が溢れ出た。

 抗えない運命だったとはいえ、この歳で家族、友達、今まで慣れ親しんだ全てと別れなければいけないのは……あまりに酷すぎると感じた。


 これから見知らぬ世界で一人で生きてゆくくらいなら……死んだほうがましだったかもしれない。

 

 どれくらい泣き続けたか覚えてないが、最後はそんなことを思いながらベッドに倒れこんだ。全てが……夢だったらいいのに。目を閉じて見慣れた自分の部屋を思い浮かべながら、ゆっくりと意識を手放していった……。





『カラーン……カラーン……』


 遠くの方で聞こえる鐘の音に目を開けると、窓からオレンジ色の夕焼け空が見えた。どこかに教会でもあるのかな、とぼんやり考えて……ふと異変に気が付いた。


 ……あれほど悲嘆に暮れていたのに、今ものすごく気分がすっきりしている。


 にわかにお腹が空いてきて、そういえば食事の途中だったと机の上に目をやると、パンはそのままだが、飲みかけの野菜スープの代わりに、オレンジ色の液体が入った皿が置かれていた。また寝ている間に食事を持って来てくれたらしい。


 ベッドに腰掛けて食事(かぼちゃのスープだった)をしながら、一時は死にたいとも考えていた気持ちが嘘のように消え、食欲さえ湧いてきた理由に思い至った。


 昼寝して、全回復したのか……。


 まさか精神的なことにも作用するとは思わなかったが……今はこの能力を授けてくれた神様に感謝した。

 そうだ、俺はまだ死んでない! 生きる世界が違っても、産んでもらい育ててもらったこの命をちゃんと全うしないと。……それが、今の俺にできる唯一の親孝行だ。


 俄然この世界で第二の人生を送ることに前向きになってきた時、ドアをノックする音と共に、優し気な男性の声が聞こえた。


「起きてるかな? さすがにいつまでも寝続けるのは体に悪いだろうし、一度体を起こして話でもしないか?」


「あ、はい! もう起きてます!」


 慌てて立ち上がると、扉の向こうに届くよう大声で返事をする。


「よかった、じゃあ入らせてもらうよ。と言っても、寝ている間に何回か勝手に入ったんだけどね」


「いえ、食事ありがとうございました。この服も……」


 机に皿を戻して、振り返りながらしゃべった感謝の言葉が……途中で途切れてしまう。


「ハハハッ、少し大きかっただろ? あいにくここには、男性用で君に合うサイズの服を置いてなくてね」


 そう言って鋭利な歯を見せて笑う彼の姿を見つめながら、なるほど、服の色はヒントになってたんだな……と馬鹿なことを考えていた。


 宿屋の主人は、2メートル近くある二足歩行の虎だったのだ……。

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