【011】勇者アルス(三歳)爆誕
人間の幼児を背に乗せて、南大陸の大空を悠々と飛び続ける火竜が一匹。
一見するとモンスターが人間を攫ったように見える構図だろうが、その実、上下関係は真逆である。
火竜の方が生殺与奪を握られたただのペットで、幼児の方が主人だとは誰も思うまい。
いや、思える訳がなかった。
確かに力そのものは幼児の方が弱いだろう。
しかし仮に、この幼児をここで振り落としたり、または主人である幼児に反逆するようなことがあれば、あの悪魔のような男に今すぐにでも殺されるに違いないと、火竜はそう考えていた。
むしろ楽に死なせてもらえるならそれでも良い。
最悪の場合、それこそこの世の絶望をこれでもかと詰め込んだ生き地獄を味わわされるに違いない。
ここには居ないはずの悪魔のような……、いや、悪魔そのものを思い出しブルリと体を震わせる。
故に意味もなく逆らうことはないし、こうしてたまに人間を乗せて空を飛んでいれば平和に暮らせるのだから、この幼い主人の言うことを聞くなどお安い御用であった。
それにあの悪魔はアメとムチの使い方が上手い。
この空を安全に旅させたことを理解すれば、きっとまた極上の晩御飯を用意してくれるはずだと思っているらしい。
この火竜、完全に思考が調教された者のソレであった。
「あ、街が見えてきたよボールス。僕が居なくても、ちゃんと良い子でお留守番してるんだよ?」
「グァ」
ボールスと呼ばれた火竜は街から少し離れた場所で身を伏せ、幼児を背中から降ろす。
まだ街まで結構な距離が空いているが、これ以上近づくと街の人間に無用な警戒をさせてしまうためである。
そのことを理解している一人と一匹はここで別れ、幼児は三歳とは思えない程の超スピードで駆けて行った。
◇
えー、こちらアルス防衛軍団長、カキュー。
現在我が息子の成長を確かめるために、こそこそとあとをつけて尾行中。
繰り返す、こそこそとあとをつけて尾行中。
応答せよエルザ隊員。
「旦那様、アルスに見つかります。バカなことはおやめください」
「はい……」
いや、だってアルスの勇姿を見てるとテンション上がっちゃうんだもの。
そういうエルザだってすました顔してそわそわしてるじゃん。
悪魔に隠し事ができると思うなよ、バレてるぞ!
ちなみに現在、アルスは街で買い物という試練と闘っている。
すでにいくつかのミッションをこなしているが、次の標的は八百屋のおばちゃんで決まりらしい。
さて、いまのところ失敗は無いが、あの値引きには一銭も応じないといった風体のおばちゃん相手に、どうでるアルス!
「綺麗なお姉さん、この黄色の果物と、オレンジの野菜をそれぞれ三つください。お金はこれで!」
「あ、あらまぁ坊ちゃん、こんなおばさん相手に姉さんだなんて。上手ねぇもう! 今日はパパとママは来てないのかしら? だったらほら、特別にその半額で譲ってあげちゃうわ! ふふふ!」
空のように澄んだ瞳と、心の底からの素直な言葉を投げられた八百屋のおばちゃんは一瞬で陥落した。
バカな!
俺が以前値引き交渉をした時は、むしろ販売価格を倍にまで吊り上げようとした悪鬼だぞ!
どういうことなんだ!
いや、それよりも。
我が息子とはいえ、アルス、恐ろしい子!
なお、このやりとりはアルスが街に到着してから既に三回目であり、その数だけおばちゃんは陥落している。
オバチャンキラー・勇者アルス。
人はその幼児をそう呼ぶ。
「アルスに変な称号を与えないでください。殴りますよ?」
「冗談だ。しかし事実でもある」
「チッ」
チッ、って!
いまチッ、って舌打ちした!?
辛辣すぎるよエルザ!
いや、殴りますよといいつつも、いままで一度として殴られたことはないし、心の底から俺のことを信じているからこその態度なのは分かるんだけどね!
こんなにドSなクールビューティーに責められてしまうと、変な性癖に目覚めてしまうかもしれない。
どう責任を取ってくれるんだ。
「旦那様。アルスが八百屋のミッションに成功し、ラストミッションであるセバスター奴隷商へ向かいました。追いますよ。ここからが正念場です」
「ついに来たか」
そう、何を隠そう最後の仕事は、あのセバスター奴隷商店での買い物である。
正直ここまでの任務はまさに小手調べ。
アルスに自分の力で交渉を成し遂げるという自信を持たせるための、いわば布石。
この最後の試練こそが本命の中の本命であった。
まずセバスター奴隷商の前にはゴロツキがたむろする入り組んだ裏路地があり、そこを超えた先の奴隷商では、さらに今までとは比べ物にならないほどの手練れである、歴戦の奴隷商人との交渉が待っているのだ。
これぞ冒険。
力だけでは解決できない、知恵と勇気と三歳児の冒険である。
そうこうしていると、さっそく第一のモンスターが現れたようだ。
貴族と見まがうほどに良い身なりをしたアルスを攫おうとする、ゴロツキ一号である。
すぐさま気づいたアルスは足を止め、そのゴロツキに向けて不思議そうな目を向けた。
たぶん純粋無垢なこの子の常識に、人から悪意を向けられるという概念は存在していないのだろう。
未知の体験に、ちょっとどうしていいか迷っているところのようだ。
「おい、そこのガキ!」
「おじちゃん、どうしましたか?」
現れたゴロツキはにやにやと薄ら笑いを浮かべ、アルスに歩み寄る。
あー、あいつ、かなりの前科があるな。
人間に称号なんて便利なものがついている訳ではないが、俺が悪魔である以上、そいつがどれくらいの罪を犯した者なのかは大まかに判別できる。
こいつの魂の色はそういった暴力・色欲・独占欲といったもので染まり切っているのだ。
これはアカンわ。
「へへへ! ついてるぜ、身なりのいいガキがひと……りで……」
「……あっ! もしかして、おじちゃん、ぼうかん、ですか?」
だがその瞬間、エルザの殺気が膨れ上がった。
「っておい! 落ち着けエルザ! アルスにバレるだろう!」
「放してくださいませ旦那様。あの男を殺せません」
「いいから落ち着け! ステイだ、ステイだエルザ! あんな奴にアルスをどうこうできると思うか!?」
「…………ッ! …………ッ!」
今にも飛び出そうとするエルザの口を塞ぎ、なんとか押しとどめる。
危なかった。
あとコンマ数秒抑えるのが遅かったら、あの男は次の瞬間スプラッタになっていただろう。
いくらゴロツキとはいえ、あんなものは殺気でビビらせるくらいで十分だ。
なにもいきなり殺す事はあるまい。
しかしこのエルザの本気の殺気が功を制したのか、ゴロツキはどこからか自分に向けられる寒気のようなものに怖気づき、きょろきょろと辺りを見回して去っていこうとする。
「い、いや! 暴漢だなんて、そんな訳ねぇだろう坊っちゃん? へへへ、じゃあ、オレはこれで……」
「おじちゃん、ぼうかん、なんですね?」
「い、いや? オレは────」
おや?
この流れは……。
「えいっ!」
「ギャァーーーー!?」
次の瞬間、三歳児とは思えぬアルスのマッハパンチがゴロツキの股間にクリーンヒットし、意識を奪った。
まあ、そうなるよな。
アルスは純粋で素直だが、バカではない。
初めて受ける人間からの悪意に戸惑ってはいたが、ちゃんと悪者かどうかの区別はつくくらいの知恵はある。
なにせ俺の息子だからな。
「お、おおう……。躊躇無しの先制攻撃か……」
「ナイスですアルス。さすが私の子。母は大満足ですよ」
「いや、俺の子でもあるんだが……。あいつ、けっこう容赦がないんだな……」
その後、アルスはなぜかゴロツキをその辺のゴミ捨て場まで連れて行き、頭からバケツに突っ込ませて放置した。
いや、確かに暴漢はゴミだと教え込まれていたが、あれは比喩だぞ。
たぶんこの調子だと、本当にお片付けの延長として意識しているのかもしれない。
そんな感じのやりとりが二度三度あり、ついにアルスはセバスター奴隷商へと辿り着いたのであった。
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