【010】エルザのお母様計画



「いいですかアルス。母は美しく、気高く、そして賢いのです。将来お嫁さんにする人は、この母を超える者でなくてはなりません。分かりますね?」

「はいっ! お母さん!」

「お母さんではありません、お母様です。やり直しなさい」

「お母さま!」

「よろしい」


 一体俺は何を見せられているのだろうか。

 この世界に漂流してかれこれ六年、アルスを拾いエルザを母親としてつけてからは三年になるが、「あれ? もしかして人選ミスった?」と思わざるを得ない光景が目の前で繰り広げられている。


 そして、これは毎日のように行われているのだ。

 もはや教育というより、洗脳である。


 というかそもそもエルザ以上のあんさつしゃなど、そうそう居ないだろ。

 アルスの結婚に対するハードルを上げるのをやめろと言いたい。


 それに息子はまだ三歳だ。

 自分の価値観を決める大事な時期に、母こそが理想の女性であるという洗脳を施すのはいかがなものなのだろうか。


 そう、三歳。

 三歳なのである。


 拾った時はあの丸っこくて小さかったアルスが、いまや一端の幼児だ。

 人間の成長とはなぜこんなにも尊いのだろうか。


 感動である。

 父ちゃん、感動した!


「尊いッ!」

「旦那様は少し御黙り下さい。今はアルスの教育中です」

「あ、はい」


 怒られた。

 最初から遠慮が無かったこのエルザだが、二年の任期を終え奴隷から解放された今、さらに輪をかけて遠慮が無くなってきたらしい。


 本人もまさか自分が解放される日が来るとは思っていなかったみたいだけどね。

 だが、その意外性も良い方向に作用したのか、奴隷でなくなった今も俺とアルスには絶対の忠誠を誓ってくれている。


 たとえ俺に辛辣な言葉を投げかけたとしても、たとえアルスに洗脳かと見まがうような教育を施していたとしても、その心の内に陰りなど一片もない。

 むしろ、奴隷の時以上に忠誠心が振り切れていると言っていいだろう。


 そんな平和で楽しい家族円満な三年間であったが、今日この日、ついにエルザがとんでもない事を言い出した。


「……そうですね、そろそろ良い頃合いでしょうか。アルス、あなたは今日から一人でお遣いができるようになりなさい」

「おつかい?」


 …………な、なに?


「そうです、お遣いです。このまま旦那様の城で幼少期を過ごしていては、人生経験というものが積めません。幸いあなたには三歳児にしては相当な力があります。街での単独行動にも支障はきたさないでしょう。……いいですか。これは任務です。分かりましたか?」

「はいっ! お母さま!」

「よろしい」


 な、なにぃーーーー!?

 俺の大事な大事なアルスたんを、人間の街に、単独で、お遣いさせるだとぉーーーー!?


 ダメだダメだダメだ!!

 そんな事は父ちゃん絶対に許しませんよ!


 もし、もし仮にだ。

 もし仮にアルスが街の暴漢に襲われでもしたらどうする!?


 攫われてしまったら、どうするというのだ!


「ダメだ!」

「御黙り下さい」

「はい……」


 ダメだった。

 父ちゃん頑張ったけど、ダメだったよ。

 お母ちゃん怖いね?

 視線だけで人を殺せる目をしてるね?


「だけど、危険じゃないのか?」

「はぁ……。これだから親バカは……」


 親バカって言われた。

 そんなこというなし。

 エルザだって親バカじゃん。


 やーいやーい。

 親バカエルザ~。


「いいですか旦那様。まずアルスは賢いです」

「その通りだ。全く以てその通りだ」

「そして、強い」

「うむ」


 当然だな。

 なにせ俺が赤ん坊の頃から英才教育を施しているのだ。

 将来は絶対にいい男になるぞこいつは!


「はぁ……。全く分かっておられないようですね」

「何をだ?」

「まず、この強いというのは三歳児として強い、という意味ではありません。戦士として強いという意味です。そして賢さ。これも比較するのは三歳児に対して、ではありません。……分かりますか?」

「お、おう」


 あ、はい。

 何て言いたいのか、だいたい分かりました。

 はい、すみません。

 全て俺のせいです。


 大変申し訳ありませんでした。


「そのすべてが旦那様の英才教育による賜物でございます。もはや街に一人で赴いたところで、アルスを止められる暴漢などおりません。と言いますか、普通の人間には止められません。よって、アルスに必要なのは人生経験だけということになります」

「分かった。分かった。分かったよエルザ。君の言う通りだ。確かにお遣いは必要だな、うん」


 なるほど、そういうことか。

 確かにこの俺が全霊を以て鍛え育てたアルスが、そんじょそこらの冒険者やゴロツキに負けるなどありえるはずがない。

 たとえそれが三歳でもだ。


 エルザの言う通りであった。


「お母さま。ぼうかん、というのはなんでしょうか?」

「ゴミです」

「ゴミ、ですか?」

「そうです。ゴミです。奴らは人を攫い、痛めつけ、弱者から金を毟るクソです。見つけたら殴り飛ばしなさい」


 いや、事実だけど。

 事実だけど、もうちょっと言い方あるじゃん?

 アルスが他の人間に対して変なイメージを持ってしまったらどうするのさ。


 情緒や常識、感受性などの育て方は一任してきたが、心配になってきた。

 いやでも、アルスのこの純粋無垢で素直な育ち方を見るに、任せてよかったとは思っているけどね。


 エルザ曰く、これこそが「お母様計画」とか何とか言っていたが、きっと成功しているんだろう。


「いいですかアルス。期限は今から二日。この二日で、この表にあるものを全て、一人で用意してくるのです。分かりましたね?」

「はいっ! お母さま!」

「では、行ってきなさい」


 エルザがそう言うと、アルスは初めてのお遣い、もとい初めての単独行動に目をキラキラと輝かせる。

 さっそく荷物をまとめ、この南大陸の拠点からペットのに乗って出発していったのであった。


 ちなみにペットの火竜くんは家族兼用の乗り物である。

 転移できる俺とは違い、エルザが移動の足をなんとかして欲しいと要請してきたので、奴隷購入後すぐに調教してきた移動手段である。


「じゃ、俺はちょっとアルスの様子でも見に行ってくるかな」

「当然です。もしあの子に何かあったらどうするというのですか? 私もついて行かせてもらいます」


 ありゃ、やっぱりエルザもそのつもりだったか。

 まあ、そりゃそうか。

 いくら能力が高く、安全に人生経験を積めるとはいえ、まだ三歳だ。

 これくらいの安全マージンは確保しておくべきことだし、何より親の義務だろう。


 よかった。

 エルザにもこのくらいの常識はあったらしい。


「もしアルスがちょっとでも危険だったら、すぐに連れ戻すからな」

「いえ、それには及びません。その時は私がこの手で暴漢を殺します」

「いや、それは止めてやれ……」


 訂正。

 常識はぶっ飛んでいた。




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