第61話 女神様 ヒントを頂く

 数日を置き、今度は大阪で修行する番となった。今回はエビスさん紹介の店だ。前回は初日も二人だけで訪問したが、今回はエビスさんが案内してくれる。

 前を行くエビスさんについて歩くも、周りの景色がイメージと違う。新世界辺りの大衆食堂で学ぶものと思っていたが、周辺からは高級そうな雰囲気を感じる。


「ねえ、アンナ。どう考えてもこの辺に大衆食堂なんてないわよね」

「そうですね。ちょっと考えにくいです」

 エビスさんは聞こえていないのか、ペースを変えずに進んで行く。そして一本路地を入るとくるりと振り返った。

「さあ、こちらです」

 静かな佇まいの上品な店先。白く美しい暖簾に小さく『割烹 善』と書いてある。


「このお店って……」

「ささっ、どうぞ。今日は客として料理を頂きながら話をしましょう」

 先に店へ入るエビスさんに続く。店内は意外に狭い。カウンター十席と座敷が二つだけ。カウンター内には男女が一人ずつ立っていた。

「いらっしゃいませ。どうぞカウンター席に」

 エビスさんがご主人の正面に座る。私たちもその横に並んで座った。


「板さん。こちらが先日話した二人です。どうぞ宜しくお願いします」

 板さんと呼ばれた男性は見たところ四十歳を過ぎたぐらいだろうか。物静かな職人という雰囲気の人だった。

「初めまして、私は佐々木善です。こっちが妻の静香です。宜しくお願いします」

 板さんだから板の付く名前かと思ったが違っていた。


「私はベスタでこちらがアンナです。宜しくお願いします」

 緊張しつつ挨拶をする。

「ベスちゃん、一か月浅草の大衆食堂でよく頑張りましたな。話はダイコクさんから聞いておりますぞ。それで同じ大衆食堂では芸がないと思いましてな。こちらの割烹料理屋さんで学んでもらおうと思います。ここでの経験は色々役に立つでしょう」


「ここって高級店ですよね」

「いえいえ、良い場所に店を出せたけど、高級店って程やあらしません。懐石料理がメインやけど、家庭的な料理も出しますよって」

 いや、どう見ても高級店だ。

「大衆とか高級なんてもんは周りが分類してるだけで、根っこは同じやと思てます」

「分かりました。こんな素敵なお店で学べるなんて夢のようです」

 板さんの言葉が胸を打つ。やはり一流は違うと感じた。


「では、早速料理を召し上がって頂きましょう」

 善さんは小鉢を二つ出してくれた。一つは濃い緑色の野菜。上にかつお節がかけてあるのでおひたしだろう。もう一つは淡いピンク色をした一品。魚介類と思うが初めて見る食材だ。見た目からすると高級料理ではなさそうだ。


「日本酒の冷やが合うと思いますので、こちらをどうぞ」

 昼間から飲んで良いものかと思ったが、お勧めを断るのは無粋だ。

「いただきます」

 まずは野菜から頂く。

「ぱくっ。あ、酸っぱい」

 この酸味と風味は梅干しだ。そして野菜には独特の風味がある。ほろ苦さが梅干しとよく合っていた。そして薫り高い出汁を使ったつゆで和えている。主張は強くないが洗練された旨味が広がってゆく。


「ベスちゃん、明日葉は如何でしたか。自慢の味覚を板さんにも披露して下され」

「そんな大した味覚じゃないですよ。そうですね。このお野菜は力強さを感じる独特の風味ですね。でもそのほろ苦さが梅肉とよく合います。そして和え物として全体を纏めるつゆですが、主張は強くないのに心地良い旨味が広がります。相当良いお出汁が使ってあるんだと思います」

 善さんは笑顔で頷いている。的外れでなくて良かった。


「見事ですな。ではもう一つは如何ですかな。こちらも恐らく初めてでしょう」

 薄いピンクがかった魚介と思しき料理を頂く。

 面白い味と食感。これはイカだ。火を通していないが刺身とも違う。やや強めの塩味と爆発的な旨味が味覚を刺激する。酒や白米が欲しくなる味だ。


「これは初めましてです。このイカはもしかして発酵食品の一種ですか?」

「こちらはスルメイカの塩辛です。如何でしたか?」

「はい、まず複雑で強烈な旨味に驚きました。それで発酵食品かなと思ったんです。後は食感ですね。表面はややねっとりしているのに歯切れがよく刺身とは違う感覚です。強めの塩味も相まってお酒や白米が恋しくなる味ですね」


「これはエビスさんから聞いていた以上かもしれませんね。イカの塩辛は発酵より熟成という感じやね。旨味の秘密はワタ、つまりイカの内臓です。塩を振ったイカの身とワタを一日寝かせて塩をふき取り、更に半日から一日乾燥させた後で身とワタを合わせて、みりん、味噌などで味を調える。それを一晩ほど寝かせれば完成です」

 発酵ではなく熟成か。色んなテクニックがあるものだ。


「スルメイカの刺身はイカの中でもコリコリとした食感が人気です。なので塩辛にしても歯切れの良さが生きるんですわ。どちらの小鉢も味、香り、食感を見事に感じ取れているのがしっかり伝わってきました。実にお見事です」

 ひょっとして試験だったのか? ともあれ合格点を頂いたようだ。


「明日葉もスルメイカも今が旬で量も出回っています。なので手頃な値段で仕入れることが出来ますぞ」

「確かに下町の居酒屋さんでも、スルメイカの刺身はよく見かけますもんね」

「和食の神髄は素材の良さを生かしながら最大限美味しくするところです。そして旬の食材は質が良く価格も安定している。工夫次第で安価な絶品料理が作れますぞ。ベスちゃんの目指すお店にとって武器になるのではないですかな」


 エビスさんは深い考えの基、私にこの店を紹介してくれていた。確かにこれは武器になりそうだ。こちらで旬の食材やその特徴を学び、素材を生かす調理法を身に付けよう。


「有難うございます。ここでしっかりと学ばせて頂きます」

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