第60話 女神様 家族が増える

 ソフィアは二週間の滞在を経てギリシャへと帰国した。両手に紙袋を下げ、笑顔の帰国である。これで奉仕作業に集中してくれれば良いのだが、改心は難しいだろう。


 そして私とアンナの修行が始まった。最初にお世話になるのは、ダイコクさんに紹介頂いた東京の大衆食堂である。定食は勿論、壁一面にこれでもかと貼られたお品書きが目を引くお食事処だ。御主人が若い頃に中華料理屋で働いていたらしく、ラーメンが人気らしい。


 こちらの店は典型的な家族経営だ。御主人、女将さん、息子夫婦に加え、忙しい昼食時には娘も顔を出す。調理は主に御主人と息子さんが担当するが、品数が多いので仕込みには女将さんも加わる。若女将は私同様修行中らしい。

 私は料理を学ぶ為に朝の仕込み段階から入らせてもらっている。その間アンナは店の切り盛りの仕方や仕入れなど経営面について若女将から学んでいた。


「料理を作る上で大切にされているポイントって何ですか?」

「やっぱり出汁だろうね。うちはラーメン用と料理用と分けて寸胴三つ分なんだけど、これで味の半分は決まるといってもいいね。出汁はみそ汁や煮物から野菜炒めの隠し味等々かなり幅広く使うんだよ。こっちは女将カミさんがやってんだけど、ここまで辿り着くのに色々苦労したもんだよ」


「確かに料理は出汁が命ですもんね」

「特に和食は出汁の旨味が欠かせないわね。手軽に市販の出汁を使う店もあるけど、化学調味料が多かったり色々とね。多少経費が掛かっても自前で出汁を取ってるの」

 市販の出汁もあるのか。しかもその方が安いとは。


「それと、うちはメニューが多いんで食材には関連性を持たせるようにしている。一つの食材を色んな料理に使えるようにメニューを決めてるんだ。じゃないと仕入れが大変だし仕込みも時間が掛かるからさ」

 日本人は食材の無駄を嫌う。それが商売となれば猶更だろう。そして時間も大切にする。試行錯誤の上に積み上げたノウハウが学べるのは貴重だ。


「例えばこのもやしなんかだとさ、サッと茹でればラーメンの具材になるし、和え物やナムルが作れる。野菜炒めやレバニラにも使えるしな。効率的に仕入れてメニューをそれに合わせるってのも大衆食堂の肝だな」

「有難うございます。勉強になります」

「じゃあ今日は出汁からやってみようか。ダイコクさんの紹介だし、特別にレシピを教えちゃうから」

「え、良いんですか」

「良いのよ。試行錯誤って言っても特別なもんなんて使っちゃいなんだしね。その代わりこの近くにはお店出さないでよ」

 女将さんは明るく笑っている。この朗らかさが下町のお母さんらしさだ。


 こんな調子で御主人と女将さんは毎回惜しみなく料理を教えてくれた。それも単に料理の仕方だけでなく、こういうアレンジも出来るなどのアイデアも交えてだ。

 最高の先生に習い、私の料理スキルはグングン上昇していった。女神の特性だけでなく私と料理の相性も良かったのだろう。忙しい時間が過ぎると私に調理を担当させてくれる機会も増えていった。



 料理の習得に明け暮れる日々はあっという間に過ぎ、いよいよ最終日となった。

 すっかり店の一員になり、昼の忙しい時間にも調理を任されるようになっている。幾つもの作業を並行して行うのは大変だが、何とかこなせる程に成長していた。

 また顔馴染みになった常連さんから、カウンター越しに声を掛けられる機会も増えた。充実した日々が私のヒッキー体質をすっかり変えてくれた。

 こんなに楽しく充実した日々が送れるのなら、このままここで働けないかとの想いが芽生る。だが私には目指すべき頂がある。甘えは禁物だ。


 それは昼時の慌ただしさが一段落して休憩をしている時だった。息子さんがやって来てこんな話を聞かせてくれた。

「うちに大黒様が来た時、ベスちゃんについて熱心に話をしてたんだよ。聞いている内に親父らは甚く感動してさ。気合入れて面倒見ないといけねえって言ってたよ」

 そんなことがあったのか。


「うちは両親を中心に昔のスタイルのままでやってるだろ。手軽に市販のソースで効率を上げたり出来ねえ質なんだよ。だからベスちゃんが目指す夢に共感出来たんじゃねえかな。その上利益を子供たちの為に使うってんだろ。そんな話聞いちまったら、日本中が応援してくれる筈だよ。頑張って夢を叶えなよ」

 彼は私の肩をポンと叩いた。


 この日も忙しく動き回り、気がづけば終わりの時間を迎えていた。

「うちのメニューの基礎はほぼ全部覚えたな。後はベスちゃんの努力次第だ。みんなの度肝を抜くような看板メニュー作ってくれよ」

「ベスちゃん、アンナちゃん。一か月本当に頑張ったね。絶対に夢を叶えてよ。応援してるからさ。それと偶には顔出してね。もう家族みたいなもんだから」

「はい、皆さんの期待に応えられるように頑張ります。そして必ず夢を叶えます」


――また一つ頑張れる理由が出来たな。思えば日本に来て沢山の思い出が出来た。その全てが頑張れる理由になっている。必ず夢を叶えて恩返ししよう。

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