宮廷の音楽家だった過去
「坊っちゃんは何故あのような素晴らしい技術をすてて騎士になりにシーザに来たのですか?」
起きたてのアシュレイに、ルバートはあれから考えていたらしき疑問をぶつけた。不躾だったかもしれないし、立ち入った話をしているかもしれない。でもルバートは聞いたのだ。少し眠気眼のアシュレイは、はっとして、少し考えていた風で、でもはっきりと口にした。強くなりたかったからだと。その答えを聞いたルバートは自分なりの感想を返そうとした。でも何も浮かばなかったのである。何故強くなりたかったのですか‥‥と少し間を置いて聞いて、アシュレイの答えを待っていた。
「きっと弱い自分に耐えられなくなったんだと思う」
音楽家というものは無力なものだと思い知ったからと続ける。何故無力ではいけないのか人は誰でも無力なものだ。と、ルバートは少しそう思っていた。多分男爵に長年仕えたせいだろう、弱い人間だった男爵は。いやだからこそ愛されていた。守らねばならないと思わせる何かがあった。他の使用人も同じだっただろう。子供のいない独身のルバートにとって男爵は子供のような存在だった。またこのひとを男爵と比べていると気づき、もう忘れねばならないとアシュレイの顔を見て、朝食が出来ていますよと微笑んだ。その時アシュレイがした暗い表情は、見逃してしまった。
「いつかするかもしれない過去の話をまた聞いてくれよ」
過去の話とは何のことだろうか。歌を忘れて遠い国まで来た動機には深い何かがあるのかもしれなかった。ダイニングに行くまでアシュレイは歌を歌った。
花嫁は紫陽花の咲く海の見える教会で
いまかいまかと待ち続ける花婿を待たせて
白いヴェールを羽織って
亡き乙女の母を思いつつ
また自分も母となるために
これは嫁ぐ乙女の歌だとルバートは寄り添いながら思った。声量はプロなのでよく通って響き、偶然聞いた他の使用人たちが目を輝かせて聴いていた。多分素晴らしい人にお仕えしている。使用人たちは喜んで仕事に戻った。ルバートは朝食のパンケーキと玉子焼き、肉のスープなどを運び、いつか坊っちゃんが過去を打ち明けたのなら、男爵のことも話そうと決意するのだった。
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