第32話 霊山ロコの魔法陣


 マリーンは焦り、ナダに向かって叫ばずにはいられなかった。


「ナダ先生! 先生は有名なお医者さんなのに、諸国の好条件を断ってこの街に来られたって聞いたよ。なのになぜこんなことを?」


「こんなこと? いや、最初からわしは復讐の為にこの街に来たのさ。」


 ナダはまたフラスクを出して飲もうとしたが、既に空っぽだったのか何度か振ると捨ててしまった。そして、虚な目でマリーンを見た。


「わしは元の世界でも名医として有名だったんだ。それなりの地位と財産を築きあげたし、家族にも上司にも部下にも恵まれて、患者にも尊敬されて、何ひとつ不自由のない生活を送っていたんだ。あの日まではな…。」


 マリーンはナダのあまりの泥酔状態が気になったが、話に聞きいった。


「ある日、本当に突然だった。難手術を終えたあとに帰る途中、急にわしの車が光に包まれた。ハンドルも動かず、わしは気を失った…。気がつくと、わしは車ごと全く知らない土地の草原におったのだ。」


「くるま?」


「それからは地獄だったよ。ここが異世界であることに気づいてから、わしはこの世界のことを一から学び、わしの持てる知識を総動員して生き延びて、そしてなんとか医者として生活ができるようになった。徐々に有名にもなり、それからは余裕ができた時間と金で元の世界に戻る方法を必死で探しはじめたんだ。」


「ナダ先生…。」


 プロペラ音が更に近づいてきて、マリーンとナダは空を見上げた。


「だが元の世界へ戻る方法など、まるでわからなかった。研究している者も皆無だったよ。あきらめかけた時、わしはある人と出会った。その人は、異世界の事を研究していて世界中を旅していると言ったんだ。」


 マリーンはまさか、と思いながらも聞き漏らさまいと耳をそばだてた。


「わしが隠していた自動車を見せると、その人は信用してくれた。そして、ガソリンエンジンのパワーと魔力を融合してある実験をしたのだ。異世界間に窓をつくり、わしの世界の様子をのぞき見る実験だった。」


 黒い影が空中にはっきりと現れて、真っ直ぐにマリーンたちの方に迫ってきた。


「実験は成功したが、わしはショックを受けた。わしがいなくなった後、元の世界はでは何年も経っていて、家族は別の者を迎え入れていて、人々もわしの事など完全に忘れ去っていた…。この時、わしはわしをこの世界に呼び寄せた奴に必ず復讐すると誓ったんだ。」


 空中のドローンがマリーンとナダの立つ前の民家に向かって一直線に飛行してきていた。


「あぶない!」


 マリーンはある気配に気づき、ナダに飛びついて地面に押し倒した。頭上で雷のような激しい爆発音が轟き、爆風と熱風がふたりを襲った。



 

 目をうすく開けたマリーンの耳には、うっすらとしか声が聞こえてこなかった。


「…ぶないところ…したわ。マリーンしぶちょ…しっかりなさ…」


 誰かに助け起こされて、マリーンは思わずその相手にしがみついてしまった。


「あらあら、あなたはわたくしの事がお嫌いだったのではなくて?」


 フロインドラは微笑を浮かべてマリーンの抱擁を受け入れていた。正気に戻ったマリーンはフロインドラから飛び離れた。


「安心なさいな。どろーんはわたくしが火球の魔法で撃ち落としましたわ。」


 フロインドラが高笑いをあげる中、あたりの地面には何かのかけらが散乱していたが、結界点の民家は無事だった。よく見ると、周囲は自警団員や魔女によってとり囲まれていた。


 マリーンが視線をおろすと、焼けただれた背中が見えた。


「ナダ先生!?」


 マリーンと同時にフロインドラもかけより、しゃがみこんでナダの怪我を調べた。


「先生が…守ってくれたの?」


「つい体が動いてな…。」


 マリーンがフロインドラの顔をうかがうと、魔女は厳しい表情をしていた。


「ナダ先生、しっかりして!」


「わしはここまでのようだが…あとはあの人が…。」


 そこでナダは目を閉じ、体は動かなくなったてしまった。


「ナダ先生!!」




「マリーン、大丈夫か!」


 松葉杖をついたミサキ団長が寄ってきて、マリーンを渾身の力で抱きしめた。マリーンはその感触に気を失いそうになったが、懸命に意識を保ち続けた。


「はい…。団長もケガを?」


「マリーン、話はあとだ。まずは手当てと休憩だ。」


「団長! そうはいかないんです、まだ終わっていないんです!」


 ミサキとフロインドラは驚いた表情を見合わせてから、マリーンに向き直った。


「新帝国の潜入部隊は全員とらえた。王国に要請して港は軍船で固めたし、他の結界点も修復作業中だ。まだ他に脅威が何かあるのか?」


「あの人を、あの人を探さないと。あの人はどこ?」


「落ちつきなさいな、マリーン支部長。誰ですか、あの人とは。」


 フロインドラが苦笑しながらマリーンに問うたが、その返答を聞くと驚きの顔に変わった。


「偉大なる魔法使い、カザベラさんを!!」




 フロインドラのほうきに必死でつかまりながら、マリーンは叫んだ。


「霊山ロコの山頂!?」


「そうですわ。異世界への攻撃魔法陣は、最も万物のパワーの集まるロコ山の頂上付近に設置しました。カザベラさんはそこで指揮をとっていますわ。」


「そこで魔法の儀式をやるんだな!」



 霊山ロコ。

 それは、トマリカノートの街の背後にそびえる中央大陸最大の標高にして人々から霊山と敬われる山だった。



 他の魔女のほうきにしがみつきながら、ジーンが叫び、コナが応じた。


「早く儀式をとめなければなりませんね。このままですと異世界に甚大な被害を与えてしまいます。」


「心配しすぎですわ。とっくに、わたくしからは現地には儀式の緊急中止を指示しましたわ。なぜ急ぐのです?」


「異世界の事を研究していたのはカザベラさんだけ! ナダ先生に協力していたのはカザベラさんにまちがいないよ!」


 マリーンは風の音に負けないように大声で叫んだが、フロインドラのほうきは急下降し始めた。


「どうして降りるの!?」


 フロインドラは無言で急降下を続けて、ロコ山の麓の灯りが点いている場所に降り立った。そこは小さな村のようだった。

 他の魔女たちも次々と降り立った。


 ほうきから降りたフロインドラはツカツカと歩き始め、ひとつの建物に入っていった。

マリーンたちも慌ててフロインドラのあとを追って建物に入った。

 そこはカウンターがあり、テーブルや椅子が並べられていて、何人かの村人が酒を飲んでいた。


 隅の方に、床までつく位の長い金色の髪が見えた。フロインドラは鋭い声をかけた。


「やはりカザベラさんでしたね! 上空から金髪が見えましたわ。」


 カザベラはジョッキを持ったままフロインドラをにらみつけた。


「おやまあ。あたいをあざ笑いにきたのかい、フロインドラ魔女商会長どの?」


 カザベラはジョッキをひといきに飲み干すと息をついた。フロインドラは腕組みをして呆れたように言い放った。


「いったいこんな所で何をなさっているのです? 儀式の指揮はどうしました?」


「はあ? なにを言ってんだい。ひとをいきなりクビにしておいて。あたいの長年の研究成果を与えた途端にこのしうちかね。」


 フロインドラは妙な顔になり、マリーンはカザベラにつかみかかった。


「カザベラさん! 儀式は…儀式は中止したんだよね!?」


「はあ? とんでもない。あたいに解雇を告げて、代わって指揮官になったあいつが実行中さ。」


 その場にいた全員が顔を見合わせてから、一斉に外に飛びだしてほうきに飛び乗った。そして、山頂に向かって飛んでいった。


「あれ? みんな、どこに行っちまったんだい?」


 

 山頂には開けた一角が造成され、巨大な魔法陣が描かれていた。その魔法陣を取り囲んだ多数の上級魔女たちが呪文を詠唱していた。フロインドラが上空から声をはりあげた。


「何をしているのです! 儀式は中止を命じたはずです! 今すぐにやめなさい!」 


 返事の代わりに、一条の光線がフロインドラを貫き、上空の魔女たちから悲鳴があがった。

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