第8話
◇ ◇ ◇ 八月 一日 午後一〇時 三九分
僕と八尾比丘尼はボート程の大きさの小型船に乗って、港端まで辿り着き停泊中だ。
遠くに見える港の浜辺では、大人より大きな巨大松明が爛々と焚かれている。
夜目の効かない僕は、浜辺を双眼鏡で監視している訳だが……浜辺は地獄と化している。
「僕は今、悪夢を見ているのか?」
「まだまだ増えますよぉ。アワナちゃんを乗せた神輿を担いでる筈ですからぁ」
浜辺には大小様々な忌まわしき半魚人。ユナイタマ共がひしめき合っている。
恐ろしき造形の口や目、陸にあるべきじゃない冒涜的な魚類の特徴。
夜の闇に脂が滲み光り、一つの軟体生物の如く蠢き騒ぐ奴らは本当に現世の生物なのか。
「良いですかぁ。儀式を終えた時、全員の意識がアワナちゃんから逸れるでしょぉ」
「それは間違いないんだろうな?」
「間違いないですぅ。その時だけがチャンスだから、じっとしていて下さいぃ」
僕はそう言われて、ひたすらに待った。
十秒が一分にも、十分にも感じる。どんどんユナイタマ達は増えていく。
だがアワナ君の影も形も無い……本当に待っていて良いのか。悩んでいた時だ。
「来ましたぁ。祭り太鼓と神輿ですぅっ」
「アワナ……くん」
大通り。海院神社へ続く道に、大きな炎と共に一塊の集団が現れる。
中心に座す名状しがたい流線的な陥没を飾る神輿には、アワナ君が乗せられていた。
彼女が纏う服は着替えられており、袖口の広い神官服を鮮やかな紅で染めた着物である。
金の刺繍が施されたソレは、場違いにも華やかで。されど……。
「耐えてぇ、まだユナイタマ達が居ますぅ!」
「離せっ、お前達は彼女に何をした!? 何があったんだ彼女にっ!!」
彼女の瞳は全く光も無く、その口から涎が零れていた。
天真爛漫さは影も形もない。この場で無ければ、他人の空似だと思っていただろう。
「秘薬で意識を飛ばすんですぅ。儀式の祝詞をあげさせる為に……抵抗出来ない様に」
「麻薬だろ、それはっ!? 止められなかったのか!!」
「怖がらせるよりは良いでしょぉ?。アワナちゃんが逃げたら、殺されちゃいますしぃ」
神輿は浜辺へと辿り着き、異形共は断末魔の如き喝采をあげてアワナ君を迎え入れる。
ユナイタマ共の余りの必死さに、僕は海の潮風よりも冷たい恐怖を感じた。
これから何が始まるというのか。
「やっぱり見ない方が良いと思うのぉ。あの子も見られたく無いと思うぅ」
「黙ってくれ……少しでも機会があれば飛び出さないといけないから」
「お願いだから、動かないでねぇ」
一瞬の静寂が生まれた時、遂に儀式が始まったと僕は確信した。
ユナイタマ達に手を引かれたアワナ君が浜辺に立ち、居並ぶ異形共が一斉に口を開く。
めんおう くとぅるん ららいや ぢぃおぅだ!
ちゃんるめんしゃん じしゅうだい!!
ぢぅはぃだぁ! ぢぅはぃだぁ!! くとぅるん!!!
それは人間には決して出来ない、喉自体を震わせる発音だった。
深淵に隠されていなければいけないものだ。
呪われた賛美歌は何度も繰り返される。夜の闇を震わせ、海に響き渡り。そして……。
「アワナ君がっ!?」
「しぃぃ、静かになってるぅ。声が響いちゃうぅ」
「まだか……まだ動いちゃダメなのかっ!?」
視界の果てで、小さな影が動いた。
赤い着物を纏い濡羽色の髪を垂らすアワナ君が、浜辺から海へと歩を進める。
アワナ君の着物は、不思議と海へ近づく程に緩やかに脱げていった。
「めんおう くとぅるん ららいや ぢぃおぅだぁ」
帯が風に揺られて解け、着物がはだける。
アワナ君は気にも止めず、透き通る歌声で邪教の賛美歌を歌う。
「ちゃんるめんしゃん じしゅうだい」
遂に彼女は生まれたままの姿へ変わり、その裸体を惜しげも無く晒した。
肉付の良くない幼体は真珠よりも色白く、闇夜に照らされる様は儚くも美しい。
対して風に揺れる濡羽の髪は、闇の中で輝くばかりに艶やかで存在感を発している。
「ぢぅはぃだぁ ぢぅはぃだぁ」
神々が巫女に処女性を求める理由が、今なら理解出来る。
完璧に磨かれた自然体とは、無垢さとは……これほどに妖艶で価値あるものなのだ。
「クトゥルフ」
彼女の足が海に触れた時、潮風が止んだ。
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