第6話


 ◇ ◇ ◇ 七月 二九日 午後三時 三七分


 ユナイタマに捕まった僕達は、羽交い締めで海院神社の納屋に連れていかれた。

 奴らの肌は軟体動物特有の弾力があり、触れていると背筋に怖気が走る。

 その所為もあって、殺されるかと思っていたが……目的地は納屋の地下室だった。

「離せぇドサンピンがぁ! 僕を相倉家当主。相倉有馬だと知っての狼藉か!?」

「先輩、お願いだから暴れないでっ!」

「何だコイツぅ……元気良いぇ」

 地下室は階段、天井、床。全てが岩壁で構成されていた。

 歩く度に緑カビとユナイタマ共の腐臭が混ざり合い、吐き気がこみ上げてくる。

 そうして階段を降りた先は、岩の窪みに太い木材をハメた座敷牢だった。

「おん……入れぃ。黙ってぃ、入れぃ」

「ぐゥっ!」

 開かれた檻へ押され、僕とアワナ君は岩床に転がされる。

 僕は反骨心が折れておらず、扉に突撃するも寸前で閉められてしまった。

「くとぅるん様ぉ、気に入られたぉ。喜べぃ」

「名誉な事ぁ、お前らは運良いぇ」

「クソがぁ!! 僕らがお前らに、何をしたって言うんだっ!!」

 こいつらの仲間を呼び出し、一人ぶっ殺したが。そんな事はどうでも良い。

 これからユナイタマが僕らを歓迎し、帰してくれるとは思えなかった。

 実際に奴らは見張りも立てずに、地下室から立ち去って行く。

 残されたのは、薄明かりを点す壁際の蝋燭だけだ。

「はぁ……はぁ。くそぉ」

「……先輩、大丈夫?」

 想定が甘すぎた。異常の世界で常識が通じる筈が無いと、気づくべきだった。

 僕は檻を握りしめ、無力感に縛られて岩床に崩れ落ちる。

 そんな僕を見かねたのか、アワナ君が隣に膝をつき僕の背中を撫でた。

「ごめんね。ボクが役立たずなせいで、巻き込んじゃった……」

 アワナ君は僕以上に恐ろしいだろうに。震える声音でそう言い出す。

 僕は情けないやら、奴らへの怒りやらで彼女の顔を見ずに言い返した。

「甘く見るなよ、アワナ君。君が巻き込んだ事件程度で、どうにかなるものか」

 強がりを吐き捨てると、アワナ君が涙ぐんで頷く。

 彼女は僕の背中に抱きつくと、僕の頭を撫で始めた。

 彼女は鼻をすすり嗚咽を漏らし、容姿も相まって幼子に見える。

 僕の女性恐怖症は面に出ない……好きにさせよう。

「それに満更、無策でも無いんだ」

「でも携帯も、船も何も無いよ?」

「あぁ。だが僕がこの島に居る」

 僕は病院を夜中に抜け出した。今頃、病院と警察は僕を探している筈。

 船にも身元を隠さず乗った以上、すぐに天上島に向かった事に気づくだろう。

 後は簡単だ。幾ら化け物でも、近代武装の警官には敵うまい。

「その為には、一人でも良い。外に出なければ」

 僕は抱きついているアワナ君を見た。

 彼女を危険に晒した責任ある以上、逃がしてやりたいが……勘づかれた。

「ダメだよ。二人で逃げなきゃっ!」

「それが最上だな。片方が捕まっても、もう片方が警察に駆け込めば良い」

「じゃぁ最初から、二人で抜け出す方法を探そうよっ!」

「……んぐ」

 僕はアワナ君に正論を言われ、ショックを受けた。

 ユナイタマ共を見ると、脳髄に針を刺され重圧に押し潰される錯覚に襲われる所為か。

 僕は今、弱気になっている。

 深く息を吸い、吐く……僕の背中に小さな暖かみを感じた。

 僕は一人じゃない。奴らの正体が分かった以上、仲間の為に決断する時が来たんだ。

「奴らは危険だ。人間と相容れる様には見えない……僕らなりに戦おう」

「うんっ。二人で逃げる為にもっ!」

 見れば檻は使われた形跡が少ない上に、結露塗れである。

 腐食が進んだ木材は壊れやすい。

「後ほら。外で変な音……雷が聞こえるし。案外壁は薄いかもっ!」

「それは雷じゃない。海鳴り……波が固形物にぶつかって、空気を押し潰す音だ」

 僕も耳を壁に押し当て、聞いてみる。

 ……ゴォォと耳鳴りにも似た音が聞こえる。

 海鳴りが聞こえるという事は、思ったより壁は薄いのか?

「動くんだ。奴らの言いなりになんて、なってたまるか」

「そうじゃなきゃっ!」

 僕らは動いてみた訳だが……結論から言うと、馬鹿な奴らでは無かった。

 岩壁は叩いて分かったが、外に空間があるとは思えない程分厚い。

 木材の檻も腐食はあっても、人間が壊せる限界を超えている。

 二時間も座敷牢を調べたが、遂に出口は見つからなかった。


 ◇ ◇ ◇ 七月 二九日 午後七時 四九分


 僕達は調査後、ベットも何もない座敷牢で眠りこけていた。

 逃げられるチャンスに、体力を残す為である。

 とはいえ僕は不眠症で眠る事が出来ない。横になって目を瞑るだけだ。

 対してアワナ君が寝息を立て、一時間経った頃……頭上から声が聞こえた。

「ひぃさまぉ、こんな所ち、閉じくみちゃ駄目だる」

「仕方ねぇん。人間とぅしてぃ、すだちゃるからなぁ」

 唸り声に似た、だぶつく声に重い足音。

 僕達を閉じ込めた奴らも、同じ音を発していた……ユナイタマ共だ。

「おいアワナ君。起きろ、奴らが来た」

「ん、ぅう? あっ!?」

 僕がアワナ君の体を揺すると、彼女は瞬きをしながら目を覚ました。

 跳ね起きて周囲の牢屋を見る……そして落胆したのか肩を落とす。

「ごめん。どうしたの?」

「奴らが来た。機会が来るかもしれない、起きててくれ」

 頭上から鉄片が擦れる音がして、地下室の扉が開く。

 檻の隙間から灯が漏れ出し、人ならざるシルエットが浮かび上がった。

「ひぃさまぉ。お迎いんあがりまちゃん」

「男は動んじゅくなよぉ」

 淀む空気を掻き分けて現れた二人組のユナイタマは、やはり熱帯魚の姿をしていた。

 相変わらず見るだけで、脳髄の奥が掻き出される様に痛い。

 だが濡れたエラが肉を叩く音が反響し、薄暗い地下室の方が不気味に感じた。

「標準語を喋ってくれ。ウチナーグチでも無いだろ、その喋り方」

 僕は軽口を叩きながら、心で舌打ちを弾く。奴らは装飾された三叉槍を持っていた。

 鉄製の矛は人間への殺傷力は十分である。下手に暴れる訳には行かない……のだが。

「ぬに言っちど? コイツ」

「ふっとけ。そりよか、ひぃ様や」

「……っ。アワナ君っ、後ろに回れぇ!」

 奴らは顔を見合わせ、アワナ君を見た。僕はその挙動を見て、目的を悟る。

 即座に彼女を背に庇い、ユナイタマと相対する。

 奴らはペットショップの店員が、子犬の檻を開ける気軽さで南京錠を解いた。

 そのまま檻を開け、屈みながら入ってくる。

「ふぅっ、ふぅっ。ふぅ……今だっ!」

「んぁっ!?」

 僕は荒く息を吐いて覚悟を決めると、屈んだユナイタマの腹に飛びかかる!

 奴らの狙いが分かった以上、動くしか無い。

「魚風情がぁ、その槍はお前達には勿体ない。寄越せぇっ!」

「妨ぎるなっ、殺されたぬのがっ!」

「先輩っ!?、ダメぇ!」

 冷たい肉と鱗。溢れる粘液に塗れながら、僕は奴の顎下に頭突きを叩き込む。

 悲鳴が響き。更には頭上で歯をガチガチと鳴らされ、槍の風切り音が耳を掠める。

 小柄な僕では、組み付いてもどうしようもない……だけど槍を奪えればっ!

「うこまでにしちょけっ!」

 頭上ではなく、檻の外から怒鳴り声が聞こえた。

 そう思った瞬間、僕の右側頭部で火花が弾ける!!

「ぶぐぉッ」

「伸してちょけっ、危かねどっ!」

「歯ぬぅ、歯ぬぅ~っ!」

 僕は地面に転がってから、後ろの奴に槍の柄で殴られたのだと気づく。

 濡れた岩床で頬が擦られ、前後不覚になりながらも体を起こそうとする。

 そこへ怒りに駆られたユナイタマの報復が、襲いかかってきたっ!

 内臓を衝撃が穿ち、後頭部を蹴り飛ばされ。槍で頬を殴られ続け……。

「止めて待って、謝るからぁっ! 先輩を殺さないで」

 見覚えのある暖かさが、僕の背を包み込むと暴力が止んだ。

 耳鳴りと痛みで頭が回らず、周囲の状況が分からない。

 視界一杯に広がる岩床に、黒い花が咲き乱れて―――僕の意識は落ちた。

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