第4話
◇ ◇ ◇ 七月 二九日 午後一時 三八分
あら、驚いた顔をするかと思ったけどぉ。意外としないのねぇ、良かった良かったぁ。
私は貴方達とお話ししたいだけで、取って食ったりしないからぁ。
まずはそぅ。何処まで知ってるか教えて貰えるぅ?
……なる程ぉ。若い人には私が書いた教典は、難しかったかしらぁ?
うん? えぇそうよぉ。アレは私がこうなった時に、啓示を受けて書いたのぉ。
平安京が始まった頃かしらぁ?
証拠と言われてもねぇ……そう怒鳴らないで下さいな。これでもお婆ちゃんなのよぉ?
そうねぇ。まずは島と私についてから、話しましょうかぁ。
元々私は海辺に住んでいた海女でねぇ。
数年間続いた飢饉で何もかも失った時ぃ、ユナイタマの遺体を見つけたのぉ。
ユナイタマは私達の事よぉ。私はそれ以来……んん~?
別に食べたからって訳じゃないのよねぇ。でも食べなければ……難しいわぁ。
何にせよ人間だった私はぁ、人魚の肉を食べてユナイタマの仲間になってぇ。
それから……ええと何年経ったでしょぉ。ごめんなさいね、物忘れが激しくてぇ。
今から百年前かしらぁ。米国からユナイタマの流民が沢山やってきたのぉ。
故郷を奪われたんですって、物騒よねぇ?
彼らは泳いでここまで来てぇ……私を頼れって、啓示を受けたらしいわぁ。
大変だったろうけど、うみんちゅは怪我や病気も老いもしないからねぇ。
あるのは殺される事だけぇ。
だから彼らは仲間が大勢亡くなったと、泣いていてぇ……不憫でしょぉ?
私はまだ人間の姿だったけど、きっと心は彼らになっていたんでしょうねぇ。
助けてあげようって思ったのぉ。
こうして私は彼らを連れて、この島を作ったのよぉ?
彼らの故郷の代わりにぃ。
◇ ◇ ◇ 七月 二九日 午後二時 九分
床に座る僕は今どんな顔をしている? 血の気は引いているだろうな。
八尾比丘尼を名乗る異形から聞いた真実は、それだけ衝撃的だった。
僕は冬の海に飛び込んだより、冷え切った体を抱きしめ。荒く息を吐くと呟く。
「待て……落ち着かせてくれ。少し整理がしたい」
「あら、分かったわぁ。ゆっくり深呼吸してねぇ」
「お構いなく、現実感を取り戻したいだけだ」
僕は八尾比丘尼から目を逸らさず、頭を冷やす為に本堂を見渡す。
内装は神社を囲む石垣に比べて随分と質素で、壁や床は木目板のフローリングだけだ。
他には八尾比丘尼が背にしている、港町でも見た神像が飾られている。
「……何で貴様は僕達が来る事を知っていた? それに教典を持っている事もだ」
「それはそこの子……アワナちゃんだっけぇ?」
八尾比丘尼の目線が僕から、隣に座っているアワナ君に移る。
だがアワナ君の様子がおかしい。
今も体を左右に揺らして、目には光が無かった。
「去年の冬に島民がテレビで貴方を見てねぇ。干虎ちゃんの娘だって気づいたのよぉ」
「それがどう繋がるってんだ」
譫言を零すアワナ君に変わって、僕が質問に答えた。
礼を失した振る舞いだが、八尾比丘尼は気にもせずに続ける。
「干虎ちゃんが島から教典を持って逃げたからぁ。帰ってくる様に呪術を送ったのぉ」
やはりアワナ君のご母堂は、この土地から教典を持ち去っていたのか。
僕が頭の中で、今までの事件を振り返っていると……八尾比丘尼が驚く事を言い出す。
「何だか怖い顔してるけど、私達は大した事してないわよぉ?」
「……それは高内教授を狂わせ、爺様を殺した事を知っての事か」
八尾比丘尼は首を傾げて、不思議そうな顔をした。
頷いたり、考え込んだりした後に「あぁ」と呟く。
「私達は教典を呪術で探しただけぇ。脅したりはしたけどぉ、殺したりなんて……」
「嘘をつくなっ!! 僕は二人の死に様を見たぞっ。あんなの人が出来る訳ない!」
「そうねぇ。私達にも出来ないわぁ」
「はぁ? いや待て……誰かが言ってたぞ」
そう、そうだ。僕は港の儀式? 幻覚の中で、いや違う。あれは幻覚だった。
僕の背後で姿のない風鈴が、絶えず鳴り響く……ソレは虫の知らせだ。
これ以上考えるな、コイツの話を聞くなと生存本能が警鐘を鳴らしている。
「私達の呪術は偉大なる者に請願し、千里眼を賜る祈祷なのぉ」
「何が言いたい、蛙頭……」
「支配者もアワナちゃんを一緒に見て、気に入ったのでしょうねぇ」
八尾比丘尼は僕の質問には答えず、ただ笑う。
蛙の笑みなんて初めて見た……僕が殺した忌まわしき異形に似た、恐ろしい笑みだ。
八尾比丘尼は神道を冒涜する、邪教の像に振り返ると拝み始める。
「 めんおう くとぅるん ららいや ちゃんるめんしゃん じしゅうだい 」
微風も無い息苦しい空間に、猛烈な寒気と潮臭さが滲み出す。
景色は変わらず、沈香の煙は経机で昇っている……普通の神社と変わらない。
なのに境内の至る所から、地獄から響く亡者の鳴き声が聞こえ出した。
めんおう くとぅるん ららいや ちゃんるめんしゃん じしゅうだい
めんおう くとぅるん ららいや ちゃんるめんしゃん じしゅうだい
めんおう くとぅるん ららいや ちゃんるめんしゃん じしゅうだい
「はぁっ、ふぅぃぃっ。はぁっはぁ」
僕は全身から吹き出す、脂汗と病的な考えを振り払い。必死になってバックを漁る。
そして取り出した模倣女教典を、勢いよく地面に叩きつけると叫んだ!
「これは返すから、アワナ君に近づくなぁっ!! 僕らに関わるんじゃねぇ!!」
「秘宝ではあるけど、別に持って行かれて怒った訳じゃないのよ?」
僕の絶叫はがらんどうを奔り、周囲からゆらりと上る声も霧散する。
対する八尾比丘尼は、穏やかな口調を崩さず……それが一層不気味だった。
「むしろ貴方には感謝してるのぉ」
「アワナ君っ、逃げるぞぉっ!」
「ぇ、ぅぁ……」
呆けているアワナ君の手を取って立ち上がらせると、僕達は入口に駆け出した。
背後では蛙頭の聖女が振り返る、衣擦れの音が聞こえる。
どんな表情を浮かべているのか、僕には振り返る勇気は無かった。
「ありがとうねぇ……アワナちゃんを連れてきてくれてぇ」
少なくとも碌な事にはならない気がしたからだ。
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