第三章
第1話
◇ ◇ ◇ 七月 二九日 午前一〇時 四分
夏らしい青天の下。揺れる海上を船が征く。
目指すは日本最南端の離島の一つ……天上島である。
満潮の海は波こそ穏やかだが、いつ荒れるか分からない。
その為に僕は小型船の転覆を恐れて、席に座っている訳だが……。
「先輩っ。良い景色なのに何で座ってるの!」
「何でアワナ君が付いて来ているんだ……」
波が船体を叩く音とウミネコの鳴き声に紛れて、天真爛漫な少女が僕を呼ぶ。
見れば水色ワンピースを着たアワナ君が、麦わら帽子を被りはしゃいでいた。
「この僕が君の為に、危ないから付いてくるなって言っただろっ!」
「一緒に行こうって言ったじゃん」
「いいやっ、心では言ってなかった!」
「口では言ってたんだね」
コイツは人の親切を、何だと思ってやがる。
僕は船の甲板ではしゃぐ馬鹿を尻目に、席のシートベルトを確認して睨む。
アワナ君はお構いなしに、海風にワンピースを揺らしていた。
「お母さんは箱を、天上島から持ってきたんでしょ?」
「分からない。でもご母堂は模倣女教典の危険性を把握していた筈だ」
「それなら天上島にお母さんの……お父さんの事を、知ってる人が居るかもしれない」
言いたい事は僕にも分かる。
ご母堂が邪教について知っていたならば、天上島の人間であった可能性が高い。
父親はともかく、出生について分かる可能性は大いにあるだろう。
「先輩に頼んでも、調べて来てくれないでしょ?」
「何で僕が君の出生を、調べないといけないんだ?」
「じゃぁボクが、島に行くしかないじゃん……」
「危ないから、僕だけで島に行くって言ってるだろっ!」
「でも調べてきてくれないんでしょう?」
「だからそう言ってるだろっ!!!!」
良く分かってる事を、何度も聞くな!!
僕が怒鳴り返すと、アワナ君は頭のおかしな奴を見る目を向けてくる。
「そもそも僕は何が起きているのかを聞いて、事態の収束を話し合うだけだ」
「えっ……ボクはてっきり」
アワナ君の視線の先は僕のバック。その中に入っている模倣女教典に向いた。
まぁ言いたい事は分かる。
「これを返しに行かないのかって事かい」
「うん。ぁっ、交渉材料にするつもり?」
そんな事するかよ。相手の正体さえ、まだ掴めて無いんだぞ。
交渉は相手が何を求めているか、分かってからするものだ。
だからアワナ君を連れて行きたく無いんだが……。
「これは敵対しない印に持って行くだけだ。手土産は必要だろう?」
「一応ボクの家の物なんだけど……」
「どうせアワナ君が持っていても、捨てる以外に何かできるとは思えないね」
「うーん、先輩の社会不適合さが凄い」
カチンと来たので何か言おうとしたが、船が波で揺れた為に僕は黙りこくった。
そんな僕を見たアワナ君が、ニヤついて囃しだす。
「もしかして先輩……海が怖いの?」
「良いかい、アワナ君。海というのは人の領域の外にあるんだ。沖縄神道のニライカナイしかり、ギリシャ神話のネプチューンが持つ王権しかり……僕は人間が居るべきじゃない場所で、安全ベルトも付けないでいる愚か者とは違うんだよ」
「めっちゃ早口で言うじゃん」
仕方ないなぁと呟くアワナ君が、僕の隣に腰掛ける。
シートベルトを付けさせようとするが、拒否られた。信じられないなコイツ。
「海にトラウマでもあるの?」
「小さい時から海底に沈む夢を見るから……溺死が苦しいのは知っているんだ」
「不眠症の夢かぁ、それなら怖いよねぇ」
意外にもアワナ君は分かってくれた。
だが海が嫌いな事は理解してくれないらしく、ウミネコや白波を指さして喜んでいる。
「はぁ。そんなに海が珍しいかね。いつでも来れるだろ」
「実は初めて来るんだよねぇ。ボクの家、田舎だから」
「あぁ~。川はあっても海に面してないのか」
「うんっ、だからずっと憧れてたんだ」
嬉しそうに言っている彼女には悪いが、僕は逆に海が大っ嫌いだ。
実の所、最近は水に浸かるのもキツい。肉塊の粘液を思い出してしまう。
それなのに船でここまで来たのを、褒めて貰いたい。
そんな事を悟られれば大笑いされそうだし、島での予定を話そう。
「まず向こうについてだが、ノロから話を聞いたらさっさと帰る」
「ボクはお父さんについて、調べたいんだけど……」
「天上島は小さな離島だ。島の中心人物のノロなら、知ってるだろうさ」
「……そうかな?」
「危険な島に行く事になる。そのつもりで居ろよ」
アワナ君の表情が曇る。まるで何かを嫌がるかの様に。
見ればワンピースを、皺ができる程に強く掴んでいる。
さっきまで楽し気だったのが嘘の様だ。
「船に酔ったのかい?」
「ううん。本当にお父さんが見つかるかもって思うと、何だか不安で」
彼女の未知の出生について……か。
今までの事件。ここまで良く付いてきた彼女が、怯える理由はソレか。
「……良いかい、アワナ君。恐怖とは未知から生まれるモノだ」
「蟲とか怖いじゃん」
「正体に気付き判断を下せるようになれば、怖くも何とも無いんだよ」
「波が怖いって……」
「茶々を入れんなっ小娘がぁ!! この相倉家当主。相倉有馬が折角っ!!」
僕の好意に蹴りをかました小娘が、僕の怒った顔を見て大笑いする。
何だか彼女の笑顔を見ていると、怒りが萎んでしまうから卑怯だ。
僕は力無く椅子に座ると、項垂れるしか出来なかった。
「はははっ。慰めようとしてくれたんでしょう? ありがとう、先輩」
「全く……もう慰めないからな」
「ふふっ、でも震えは止まったみたいじゃん? ……ぁ、また震えだした」
思い出させんなっ!!!
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