第12話


 ◇ ◇ ◇ 七月 一八日 午前二時 三分


「先輩、先輩っ!」

「わぁっ!?」

 放心していた僕の頭を、小さな影が胸元に抱き留めている。

 アワナ君だ。彼女が僕を抱きしめていた……僕は一体何をしてたんだ?

 周囲を見てみると、その惨状に思わず目を見開く。

「これは……僕はあの怪物を殴って」

「あぁ良かった、正気に戻ったんだね」

 潮風を消す程の鉄錆の匂いが漂う坂道には、鱗と血肉が散乱している。

 水風船が地面で割れた様な散乱具合は、猟奇殺人現場さえ遠く及ばないだろう。

 その供給源たる魚人は……頭部の頭蓋から黄色い脳汁が零れていた。

 僕自身もその体液を、頭から被っている事に気付く。

「ふぅふぅ、うおぇっ!」

「見ない方が良いよ、酷い事になってるから……」

「あ、あぁ。あっ。儀式はっ! 他には何も起きてないだろうなっ!?」

 僕は周囲を見渡すと、海は黒い深淵に戻っていた。

 あの青緑色は幻覚だったのか? いや異形の存在が、ソレを否定している。

「動いちゃダメだってっ!? 肩が……止血しないとっ!」

「ぅう、痛いと思ったら。思い出したぞ、君は怪我をしていないか?」

 アワナ君が僕の頭部を膝に抱え、肩口を破いた服でキツく縛る。

 僕は随分と暴れていたのだろう。

 何せ怪物の返り血と脳漿で僕の体はベタベタな上に、ぬるま湯に浸かる様に生暖かい。

「……うん。先輩が守ってくれたから」

「嘘をつくな。君がスタンガンで助けてくれたんだろ?」

「あはは、バレた?」

 僕が殺される寸前。異形の眼球が爆発して痙攣を起こした。

 魚の体ではスタンガンの電流に耐えられず、あんな事になったのだろうか。

「ありがとう。君は僕の命の恩人だよ」

「んもぉっ、大げさだよ。先輩は怪我しちゃったし」

「そんなの病院に行けば治る。あぁ連絡は……」

「ボクが警察も救急車も呼んだから、もう大丈夫」

 意識が遠退きそうになる僕を、アワナ君が優しく撫でる。

 僕は女性が苦手だが、彼女の手つきは誰よりも純粋で優しい気がした。

 だからこそ空気を絞る唸り声が聞こえた時、背筋に怖気が走る。

「ぢぅ、はぃだぁ……ぢぅはぃだぁ」

 異形が砕けた頭部から、耳鳴りにも似た声で呟く。

 僕はその姿を見て、最後の力を振り絞って問いかけた。

「お前……一体お前達は何なんだ? 何が起きてる」

「海へ、うみへ」

「分かった。海には運んでやる」

「先輩っ、動かないで!?」

「良いんだ……だから最後に答えろ」

 僕はアワナ君が静止する中、上半身だけ起き上がる。

 これでは怪物を殺しただけだ……コイツに聞かなきゃいけない。

「アワナ君とお前らに何の関係がある。お前は何処から来たんだっ!」

「全ては……ノロが知る」

「ノロ? おい、何処だっ!! 何処へ行けば良いっ!?」

「ニライカナイ……天上のしま、こきょ――」

 そう呟いた巨大魚にしか見えない怪物が、ゆっくりとエラを閉じる。

 背びれは力なく倒れ、口も閉まると動かなくなった。

「先輩……」

「あぁ、クソっ死んだか」

 僕はオカルトを遂に直接見たのに、酷く残念だった。

 そして奴らが爺様を殺したのならば、僕が何をするべきなのか。

 考えなきゃいけない事は多い。

「アワナ君……僕が起きたら、警察に話すから。君は余計な事は」

「気にしなくて良いからっ、動かないで!! ほら、来たよ。救急車も警察もっ!!」

 遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえた。

 だが正直、意識を保っていられる自信がない。

 安心した所為で力が抜けていく。

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