第8話
◇ ◇ ◇ 七月 一六日 午前一一時 一三分
爺様が死んでからは、あっという間だった。
僕の身柄が警察に確保され、何度も昨晩に起きた事の調書を取られ……。
何も分からない事が分かった。
遺産でも面倒を覚悟したが、騒ぎにもならなかった。
爺様が家の資産を使い潰し、相倉家に碌な遺産が無かったのである。
更には爺様も変死したし呪われていると、親戚連中は誰も遺産に触りたがらない。
かくして相倉家当主になった僕は、警察に全て話した事で……。
「誰も居ない家と、狂人の誹りを手に入れましたっと」
病院からの帰り道、自宅……ではなく古物研究事務所のログハウスへと向かう。
僕は今、あのログハウスを自宅にしていた。
土と汗の臭いが混じる山道を登り、ひぐらしの鳴き声にさえ神経が逆立つ。
「あぁクソ寒い……冬服を出さないと」
あの日以来、僕の五感は酷く変質している。
今も肌に感じるのは熱風なのに、骨身に染みるのは寒気だ。
地面を踏みしめて現実感を感じなければ、日々を夢だと逃避していただろう。
僕は汗を拭いながら、漸くログハウスに辿り着くと扉を開けた。
「おかえりっ、先輩!」
「ただいま……まだ掃除してるのかい? 放っておけば良いだろうに」
「そんな訳にいかないよっ。こんな貴重そうなの、雑に扱っちゃダメだって!」
扉の先。玄関には引っ越しの手伝いに来た、アワナ君がエプロン姿で箒を持っていた。
周囲は僕の家や鑑識から戻ってきた、ダンボール群が埋め尽くしている。
「……? 顔色良くなったね。先輩」
「馬鹿を言え。変なおっさんに絡まれて、僕は大変だったんだぞ」
僕は北川部長から渡された紙包みを机に置き、冷蔵庫内の飲料水を飲む。
爺様が死んだ日以来。味覚は鈍り甘みを感じないので、ジュースを口にしなくなった。
その背後ではアワナ君が、警察から押収されていた事務所の物品を片付けている。
「そういえば君は何で、僕の家に居るんだ?」
「何でって、片付け?」
「教典は僕の手元に戻ってきたが……調べるツテなんてもうないぞ」
僕は机の上に置かれていた、黒ずんだ箱を見てそう呟いた。
相変わらず滑気を感じる表面に刻まれた文字は、僕には読めない。
爺様は読めたらしいが……聞く事が出来ない場所に行ってしまった。
「ボクが放っとけ無いからだよ」
「放っといても良い。僕がその内、片付けるさ」
僕が適当に呟くと、アワナ君が不思議そうな顔をする。
上手く話が噛み合っていないな。彼女もそう感じた様で補足を続けた。
「放っとけないのは、先輩だよ」
「僕がっ!?」
予想外の返答だった。何で僕が放っとけないのか。
見ての通り家もあれば、遺産で大学だって行ける。順風満帆な一人暮らしだ。
だがアワナ君は僕の姿を見て、「ほら」と笑いかけてくる。
「前の先輩なら、癇癪起こしていたよ?」
「まるで僕が気難しい人間みたいに言うな」
彼女は「ほらやっぱり」と言ってコロコロ笑った。
僕だってそんな様子に腹は立つ。口を開けて声を出そうとして……閉じる。
「……そう見えるのか、君にも」
僕だって分かってる。今の僕は航路を失った船だ。
どちらに進むべきか分からないから、フラフラ動くだけで前には進んでいない。
だがどうすれば良い? 爺様を奪ったのは何だ? 何に怒りをぶつける?
アワナ君は何を言うでもなく、僕が持ち帰った袋を破いていた。
「あっ、先輩。これって何?」
「北川部長からのお土産だよ。適当に捨てておいてくれ」
「えぇ? えーと相倉 有馬……って書いてある手帳だけど良いの?」
僕はアワナ君の言葉に、心臓を捕まれるよりも驚いた。
アワナ君の元へ駆け出し、小包の中身……一ヶ月前まで僕の物だった皮手帳を見る。
あの日、爺様に黒ずんだ木箱と共に渡した手帳だ!
「それを寄こせっ!」
「えっ!! 何々、ボク何かしちゃったっ!?」
僕はアワナ君から、手帳をひったくってページを捲った。
ページを捲り続け……僕が爺様に手帳を渡した、六月一八日まで飛ばす。
何も書かれていない白紙のページを見て……ゆっくり次のページを捲る。
「……」
「先輩? 大丈夫……?」
「……はは」
熱く迸る目頭から、何かが零れだす。
ボタボタと零れるソレは水滴だった。古い家だから、雨漏れだろうな。
見下ろすノートへ零れる水滴が、僕とは違う筆跡に当たっては弾けて滲む。
「アッハッハッハッハハハハハッ!!!!」
「ちょっ、先輩っ!? 言いすぎちゃった? どうしたの!?」
僕は天井を仰いで、大きく笑った。
全身に満ちる脱力感が、浸透する様に地面へと消えていく。
代わりに残ったのは、沸々と滾る怒りと誇らしさだった。
「だよな爺様。アンタなら、相倉家当主なら……しっかり残してるよなっ!」
僕は手帳を持って、勢いよく立ち上がると階段を登る。
二階には爺様の書斎机に、僕の家から持ち込んだ希少本もある。
アワナ君は僕の背中を掴むと、説明を要求する様に引っ張った。
「先輩っ、どうしちゃったの。何を見たの?」
「アワナ君、何を遊んでるっ!! 片付けは良いから、アイスを買って来いっ!!」
僕は彼女に指示を出し、やるべき事を考える。
さっきまで靄がかっていた思考が、青天晴れになっていた。
手に持ったペットボトルが不思議と冷たく感じ、部屋にはハーブの匂い。
こんなに気分が良いのは、いつぶりだろうか?
「この相倉家新当主。相倉有馬が、謎を残したままにすると思うなよっ!」
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