第7話
◇ ◇ ◇ 七月 一六日 午前一〇時 三三分
「それじゃぁ、次は来月に」
「もう来ないよ……僕は何とも無いんだから」
僕は扉を閉めて、精神科医を名乗る詐欺師から離れる。
警察から無理やりに通えと言われたが、時間の無駄だったな。
僕はそのまま消毒液とアロマの匂いが漂う、病院の待合室に戻った。
待合室には会計受付から呼ばれるのを待つ為に、皮のソファが並んでいる。
そこには何人かの患者が、思い思いに寛いで居るが……場違いな人が居た。
「ようっ、坊主。診察は終わりか?」
「北川部長ですか。警察が僕の跡を追って、どうしたんです?」
「そう言うなって。坊主の家に行ったら、お嬢ちゃんからここだって聞いただけだよ」
席に座っていたのは……高内教授の事件で出会った刑事部長。北川部長だ。
彼は相変わらず太ましい体格で毛深く、今日はアロハでラフな格好をしていた。
僕がそんな北川部長の隣のソファに座ると、彼は気軽な様子で話しかけてくる。
「あれから調子はどうだ? 何でも地域課に電話して良いんだぞ」
「悪く無いよ。相続問題は弁護士が対応して、大学は警察から話をしてくれたしね」
「そうか? お前は若いんだから、周りを頼るのは恥じゃないって覚えておけ」
僕は爺様が肉塊に変わって以来、警察の保護下にいた。再犯防止の為である。
中でも北川部長は、僕に時間を裂いてくれた。
とはいえ家に警察が顔を出したり、毎日昼夜に電話をする程度の話だが……。
「そんな事を聞く為に来たのかい?」
「いいや、お前の体の心配さ。外やお嬢ちゃんが居ちゃ、しづらいだろ?」
「別に、何ともないさ」
北川部長はそうかそうかと頷くと、それ以上尋ねない。
いつも彼はこんな調子で、僕の所に来ては軽く話して黙り込む。
爺様が死んで一か月。何度繰り返したか……だが今日、その繰り返しを僕から辞めた。
「……嘘だ。流石の僕でも疲れたよ」
彼は高内教授の事件でも、爺様の事件でも一貫して僕の味方だった。
思えば北川部長には、世話になりっぱなしである。
国家の言いなりの犬共からも、マスコミという名ばかりの銀蠅からも守ってくれた。
別に恩に感じている訳じゃない。だけど世間話位は良いだろう。
「肌の中に何百って蟲が走り回る感覚がして、気が抜くと爺様の幻覚が見えるんだ」
「うん……」
僕が呟いたのは、医者にも言っていない事である。
言わなきゃならないのだろうが……僕は他人を医者だからと信用する程、気安くは無い。
「爺様は死んだ事なんて、気にせず話かけてくる。頭がおかしくなりそうだよ」
「そうか」
弱弱しいバイオリンの音色が響く院内で、幾らほど喋ったろうか。
こんなに喋ったのは、爺様が死んでから初めてかもしれない。
僕は起きた事を話終えるまで、口が止まらなかった。
それを聞く北川部長は最後まで相槌ばかりで、全く何の役には立たなかったが……。
「僕は頭がおかしくなった訳じゃない……幻覚が見えてるって分かっているんだ」
「眠れないのも、そのせいか?」
「不眠症は元々だよ。小さい頃からずっと嫌な夢しか見ない」
漸く全てを言い終わると、僕は項垂れて深い息を吐く。
別に何か変わった訳でも、すっきりした訳でも無い。
ただ北川部長はもう一度頷くと、包みを差し出してきた。
「コイツは警察で押収してた物品だ。渡すか迷っていたんだが……」
「何だい、コレは。ほとんどの物品は帰ってきたんじゃないのか?」
「ほとんどはな。ワシが預かってたもんだ」
北川部長の言葉に、僕は眉が顰める。
勝手に相倉家の資産を、預かっていたと言うつもりか?
僕が不快な表情を浮かべていると、北川部長は軽い調子で理由を語りだす。
「渡すか悩んだのは冬路さんの遺言でな。今なら渡しても大丈夫だろ」
「……ッチ。受付のナースが呼んでる様だから、ここいらで失礼するよ」
僕は舌打ちを弾くと立ち上がって、北川部長に背を向ける。
彼が何か言っていたのは聞こえたが、もう僕には話す事は無い。
僕は別に何ともないんだから……
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