第6話
◇ ◇ ◇ 六月 一九日 午前八時 二一分
「つまり君の実家に隠されていたのは、宗教犯罪の証拠って事さ」
「うぅぅ……薄っすら想像はしてたけど、聞きたくなかったよ」
次の日の朝。平日ではあるが、爺様のログハウスを目指している。
山頂に行く道は森から一本道であり、爺様が歩く為になだらかで歩きやすい。
道中。アワナ君に携帯電話で経緯を喋ったが……反応は悪く、半信半疑だった。
「というか今日の大学、どうするの?」
「えっ、大学と世界の神秘。比べる必要があるのかい?」
不思議な事を言うアワナ君に常識を問うと、電話口から呆然とした唸り声がする。
まさか……
「君っ、一緒に来ないのかいっ!?」
「行かないよっ!! ボクだって朝の五時から電話来てて、眠いんだからねっ!?」
僕は酷く驚いた。アワナ君は今頃、合流の準備をしていると思っていた。
まさか昨日の経緯について、僕の説明が足りなかったなんて有り得ない。
もしかしたら彼女も、何か見つけたのかもしれないな。聞いて見るか……。
違うと即答された。
「幾らなんでも、大学休んでまでは行けないよ」
「……へぇ、なんだい。君は平凡な常識を学びはしても、真実を暴く勇気は無いのか」
「えぇ~? そんな臍曲げないでよぉ。学校終わったら聞くからさぁ」
未知に挑む事を勇気、未知を解き明かす事を知恵。そう信じている僕は酷く落胆した。
秘密を解き明かす事は、人命を救うと同等かそれ以上に尊い行いじゃないのか。
「まぁ良いさ。爺様の話が始まったら、電話を繋いでおくから聞いておきなよ」
「えぇっ!? 今からご飯にお風呂に、着替えも……」
「そろそろ着くから、その間に行っておけ」
僕は一旦携帯を切ると、辿り着いた山頂を見渡す。
そこには木々に囲まれた二階建てのログハウスがあった。
青緑色の屋根に、ニスの塗られた丸太の壁。
玄関前のウッドデッキには、休憩用のテーブル等も置かれている。
これこそが没落した相倉家の、唯一纏まった資産だ。
「爺様っ! 来たぞ、しっかり寝てただろうなぁ~?」
空は青空で絶好の研究日和。僕はログハウスに入ると、大声で爺様を呼んだ。
だが一階のリビングや寝室の生活スペースには、影も形も見当たらない。
居るのは、今にも動きそうな動物の剥製達だけである。
子供の頃はこの剥製が酷く恐ろしくて、アトリエが苦手だったっけ。
生きている様に見えて生きていないという存在が、怖かったのだろう。
「おいおい、まだ寝ているのか? 疲れて動けないとかやめてくれよ……」
僕は剥製を横切り、昨日話し込んでいたアトリエに向かう。
とはいえ蒸し暑い階段を登れば、すぐに二階のアトリエである。
登っている途中。風の通らない階段に違和感を感じた。
「……? 何か匂うぞ」
生命が煮詰まり、空気を淀ませる様な生々しい匂い。
敢えて言うならば潮風の匂いか。
その匂いに気付いた瞬間、僕の背筋に悪寒が走る。
死神とすれ違った様な、蒸し暑さを剥ぎ取る様な……強い悪寒だった。
「爺様っ!?」
階段を一息に駆けあがり、二階の扉を蹴り破る!
潮の匂いは刺すような腐臭へと変わり、空気の淀みは何かのガスだと気付いた。
「はぁ……はぁ。爺様っ、何処にいるんだっ!?」
部屋の中は見ただけならば、昨日と変わり無かった。
沢山の怪奇的な絵画に、壁際には負けず劣らず悪趣味な石像の数々。
その爺様のコレクションの奥から、おかしな音が聞こえる以外は。
「……ヒュー、フシュー……フヒュー」
洞窟から轟く唸り声が、山彦越しに伸びきる様なサイレンの音。
聞き覚えのある音だ。
「爺様、居るんだろう? そこかい?」
後ろ髪を引っ張られる怖気を感じながら、古物の合間を縫って歩く。
すると絵画の奥から木目の床に、赤黒い液体が伝っていた。
僕は最悪の未来を振り払う様に頭を振って、液体の出所を目指す。
……辿り着いたのは、昨日爺様が寝ていた書斎机。
そこに見覚えのある物体があった。
害虫の粘気にも似た体液が零れだすぶよぶよな獣皮の団子。そして引き裂かれた布地。
「爺……さ、ま?」
忌まわしい悪臭が夏の暑さも相まって、嘲笑う様に充満していた。
嗅ぎ覚えのある匂いだ。
そうだ。あの時の……糞尿の漏れ出す匂いだ。
「あぁ……あぁっ! そんな。そんな……」
背中に走る怖気は、そのまま僕の現実感を奪い去る。
代わりに視界が酩酊する様に波立ち、僕は膝から崩れ落ちた。
「ひぃっ、ひぃいっ。ひぃ……ヴぉぇ”っ」
口から嗚咽と嘔吐物が垂れ流れて止まらない。
胃が逆転する錯覚の中、僕は這いずる様に肉塊へ近づく。
肉塊の周りに散らばっている布地は血塗れで、色柄なんて分からない。
でも形には見覚えがあった……爺様の昨日着ていた服だ。
「爺さぁまぁあっ!!」
「ヒュー……ヒュー」
僕は三倍程に膨れ上がった、爺様の全身にしがみつく。
全身が血尿塗れになりながらも、弱弱しい弾力の肉塊を元に戻す為に。
肉塊から漏れる息が、まだ生きている事を教えていたから……。
「うぅぁああ”あ”あ”ぁ”ぁ”っ!!」
偶然通りがかった配達人が、家の中の絶叫を聞いて通報するまで。
僕は意識も感覚も無く、何をしてるかも覚えていなかった。
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