第2話
◇ ◇ ◇ 六月 一一日 午前一三時 四二分
アワナ君の実家は一階建ての母屋に、洋風の納屋が増築された土蔵建築だった。
塀も生垣も無く、森と家屋に挟まれた広くて立派な3LDKである。
外観も規則正しく並ぶ赤色の瓦屋根に、壁の白漆が良く映えていたが……
「全く荷物無いな。君の家」
「だから無いって言ったじゃんっ。お母さんのお葬式の時に、片付けたの!」
僕達はライフラインが全て止まっている、彼女の家を漁り終えた。
だが教典らしきモノは見当たらない。何なら仏壇も神棚も。
「ご母堂の仕事は……」
「知らないんだよねぇ……お母さんは仕事してないのに、お金に苦労した記憶は無いし」
ご母堂について調べれば調べる程に、その輪郭が不透明なモノになっていく。
その理由は床に並べられた、家中から掻き集めた荷物にあった。
夏服、冬服、礼服、昔の新聞や雑誌、何のモノか分からないコード、食器や調理器具。
家具もあるが最低限で、TVに至ってはビデオデッキが置かれているが……。
「ご母堂はこの土地の人間じゃなかったんだね?」
「え? そうだけど……先輩に話したっけ」
「古い家には、長年使われた道具がある。だがこの家には近年のモノしか無い」
「お母さんはボクが生まれる前に引っ越して来たから、その時の荷物しか無いんだよ」
僕は冷たい木目を踏みしめ、床に並べられた荷物を改めて見る。
風が吹く度に森の枝葉が爽やかな音を奏でて、この家は思考運動に最適だ。
ライフラインさえ止まっていなければ、夏はココで過ごしたい位である。
「……アワナ君。何でアレが無いんだい?」
「え? アレって?」
「写真だよ。しゃしっん!。まさか成長アルバムまで捨てた訳じゃないだろうっ!?」
何度見ても荷物の中には、写真の一つも無い。
アワナ君の成長アルバムから、学校の写真集まで。これではまるで……。
「お母さんが写真に、映っちゃダメって言ってたから……」
「ご母堂が?」
「厳しくは無いけどね。大人数に配られる写真とか、残る写真は写っちゃダメって」
アワナ君はまるで違和感も感じていない様子だった。
それは彼女にとって写真を撮らないのは、常識でありそう育てられた証である。
「西アジアや北方では、偶像禁止の為に写真を禁じる宗派もある。君の家の宗派は?」
「聞いた事もないよ。ボクの家は親戚も居ないし、お墓は村の共同墓地にあるから……敢えて言うなら仏教?」
僕はその発言を聞いて考え込んだ。
聞く限り、ご母堂は着のままこの地に流れ着いた筈。
そしてアワナ君を生んで育てた……だから何も持っていないのはおかしくない。
だが写真を撮るなと宗教観を教えたご母堂が、消極的無神論者だとは思えなかった。
「アワナ君。ご母堂の荷物は他に無いのかい?」
「お母さんの荷物だもん、捨てたりしないよ。後はあるとしたら……納屋かな」
僕はアワナ宅に増設されている、時計塔デザインの納屋を振り返った。
ついでの様に建てられた、あの納屋の中はまだ見ていない。
「アワナ君、納屋を調べに行くぞ」
「でも納屋の鍵が……あそこは危ないって、お母さんが管理してたけど見つからなくて」
「農家の人から、ワイヤーカッターでも借りよう。ぶっ壊すんだ」
僕達は畑を挟んで隣の農家に顔を出すと、すんなり借りる事が出来た。
アワナ君はこの村の、数少ない若者だった事もあるだろう。
オマケに幾つか、ご母堂がこの地を訪れた時の話も聞いたが……。
記憶が曖昧すぎて、何の訳にも立たなかった。
「さぁて開けるぞ。窓ガラスを割るハメにならなくて良かったな」
「流石に家を壊すのは嫌だからねっ!?」
「良いから南京錠を持ってくれよ。僕はワイヤーカッターを持つからさ」
納屋は大の大人二人分の高さに、十二畳程度の広さをした木造建築である。
外見は時計塔をモチーフにした、随所に窓が設置された赤屋根だった。
「アワナ君は幸せ者だ。この建物は昭和初期に流行った文化住宅と呼ばれる建造方式なのに、ここまで綺麗に残っているなんて……」
「先輩って、歴史の事になると早口になるよね」
「おいおいっ、しっかりしてくれよ。ロマンじゃないか!」
アワナ君が南京錠を掴み、僕が工具でぶっ壊す。風化した鍵は簡単に壊れた。
僕がこんな事をするのは業腹だが、楽しみが勝るから仕方ないな。
そして二人で扉に手をかけると……建材同士がぶつかり合い、上手く開かない。
力に任せて二人でバタバタ暴れる事、十分後。僕達は扉を開ける事に成功した。
「はぁはぁ。この僕に建造物風情が生意気にぃ……はぁっ、はぁ」
「ボクも喉渇いちゃった。飲み物買ってくるけど、先輩はジュースで良い?」
「甘い奴にしろよ。僕は先に調べているからな」
白いワンピースを揺らすアワナ君の背中を見届け、僕は納屋の中を覗く。
中は雨戸が閉められているせいで、暗闇に包まれていた。
だが入口から見える限りでも、ご母堂が引っ越す前からの物も見える。
錆びた農具、大量の木柱、風化した布地等々。僕から見ても、数十年前の品に見えた。
「ごほっ、ごほっ! ご母堂が開かない訳だ。長時間居る場所じゃないぞ」
カビ臭い室内は、呼吸する度に喉が埃でイガイガする。
蒸し暑いし、息苦しいわで、寒がりの僕でも汗を掻いてしまった。
「はぁはぁ……研究会の後輩共でも連れてくれば良かった」
ポケットのハンカチを取り出して汗を拭う……ヌチョリと不気味な粘り気を感じた。
見れば僕の肌から染み出した液体は、汗の水分では無い。
軟体動物の体表に浮かぶ、照り粘る体液が僕の額とハンカチに不快な橋をかけていた。
「~ッ!?」
息を詰まらせ瞬きをする。拓いた視界に残るのは、ただのハンカチだけだ。
七色に照る粘液も、皮膚にネバりつく感触も消えている。
……あの夜の事件以来、僕は度々こんな妄想性の幻覚症状を患っていた。
「ヤブ医者め、僕がイカれてるみたいに言いやがって……僕は平気だ、平気なんだ」
僕はそう言いながら、酷く凍える体を抱きしめる。
そのまま納屋の入口で、アワナ君が来るまで立ち尽くした。
◇ ◇ ◇ 六月 一一日 午後一四時 三三分
アワナ君が戻ってから、僕達は母屋と同じ様に納屋の調査を始めた。
中には大物も多く、埃を被った農具達はどかすだけで一苦労である。
一先ず大物は僕が箒で叩いて清めてから、調べる事にした。
アワナ君は小物を片付けたり、床を掃いたりしている……割烹着姿で。
「そもそも最初から汚れる服で来る、その神経が分からない」
「ボクはここまでやるって、思わなかったのっ!」
「それで隣のばあさんの服を借りるんだから、世話ないぜ」
熱い室内ではどうしても語彙は強まる。息苦しくて暗い場所なら尚更だ。
僕達は一通り文句を言い合ったが……言いたい事を言い終えたので元の作業に戻ろう。
「エネルギーの無駄だ、調べよう」
「突然スンって、するのズルくない?」
「いい加減片付いて来たな……どれどれ」
片付いた納屋を見渡す……農具。デカい木材、何に使っていたか分からない布地。
他には古くなった家具を中心に、ゴミばかりだな。
長年の放置されて埃が積重なったのだろう、見ているだけで全身がかゆくなる。
そこまでしても、教典らしき物は見当たらない。
「何かご母堂から聞いてないのか。遺書などは?」
「……聞きづらい事、ズバズバ聞いてくるね先輩」
知るかよ。アワナ君以外に知ってる人間は居ないんだから、仕方ないだろ。
僕が早くしろと横目で見ると、アワナ君は首を横に振った。
「お母さんの遺書は、財産を残す事とかだけで他には」
「財産? 君は親戚付き合いは無いらしいが、資産家だったのかい?」
「まさかぁ! あーでもお金の心配はした事無いし、遺産もあったなぁ」
「立派なご母堂じゃないか」
「昔の事を聞くと悲しい顔をするから……何も聞けなかった。聞いておけば良かったね」
アワナ君が床の掃き掃除を終えたので、僕は床板を調べる。
四つん這いになって、床下に空間が無いか叩いてみる……おかしな空洞も無いな。
アワナ君は、僕の何がおかしかったのか。半笑いで僕を見ていた。
「ボクがお母さんなら危ない物は捨てるか、子供の手の届かない所に置くかな?」
「それがこの納屋だろ……待て、今なんて言った?」
「えっと、燃やすかどうするかって」
「その後だぁっ!」
僕は跳ね起きると、アワナ君に詰め寄って両肩を揺さぶる。
目を白黒する彼女が、もう一度同じ事を言った。
勿論、既に教典を破棄した可能性は有るが、そんなのはつまらないので除外。
その上で隠すなら何処にする? 探すか手に取る相手は誰が一番可能性が高い?
アワナ君だ。幼い頃の彼女こそ、何かを見つける可能性が高い筈だ!
「先輩? 気分でも悪いんですか?」
「……アワナ君。懐中電灯を持ってきてくれ」
「えーと携帯に、ライト機能があったっけ」
考え込む僕を心配そうに見上げるアワナ君から、携帯電話を借りる。
僕は灯りを手に頭上を照らしたが、内側は木造建築だった。
梁をライトで照らしては、天井をなぞる様に調べていく。
すると……梁の端に、ナニカがロープでぐるぐるに巻き付けられて固定されていた。
照らして見ると、人間の頭部程の木箱だ。
「箱だ。黒ずんだ箱だ」
「でも教典じゃないね。何だろ……気味悪い?」
「そうだな、良し取るか」
「本当に先輩って、躊躇しないねっ!?」
「良いから外の梯子を持ってこい。僕が登るハメになるんだからなっ!」
僕達は協力して、黒ずんだ箱を下ろす為に行動を始める。
当然だが僕が梯子を登る。こんな世紀の大発見を、アワナ君にやるつもりは無い。
僕の熱い意気込みは……木箱を見ると更に高まった。
「ロープ解ける? 一応ノコギリも借りてきたけど……」
「簡単に解けるが、箱に何か書いてあるぞ?」
ソレは正方立方体の、黒ずんだ組木細工だった。
大した細工でも無く錠前も無い……一枚だけ和紙が上部に貼られている。
「汚れた和紙に五芒星。その上には開けるな……ねぇ」
「これ汚れじゃなくて、そういう模様じゃない?」
「馬鹿な。五芒星は均等な五本線からなる図形だぞ? 歪んでいたら意味が無い」
だが和紙には歪んだ五芒星の文様を背景に、文字が書かれていた。
歪んだ五芒星の中心には模様なのか? 炎か塔の様に見えなくもないな。
「何だか怖い図形だね」
「そうかい? 僕は歴史を感じる佇まいが好きだけどな」
この箱は長い時間封印されていたのだろう。うーんロマンの匂いがするな。
だがアワナ君は図形に怯えており、一歩下がって見ている。
文字は僕が読むしか無いか……簡単な一言が記されている「開放厳禁」と。
「ボクのお母さんの文字だ。褪せてて古いけど、間違いないっ!」
「つまりコレが、ご母堂の隠していた物か……」
僕が箱を見続けていると、不思議と寒気が走った。
気にせず箱に触れるとなる程、ドライアイスよりも冷たい。
尋常な木箱で無いのは確かだ。
「箱物と言えば呪具であるコトリバコ、呪具を鎮める外法箱がある。ソレらは開ける事で災厄を成す……これもその類かな」
「えーと、つまり開けちゃダメだって事?」
アワナ君が頬を痙攣させながら、数歩下がる。
「その怪談だと、開けたらどうなったの?」
「死ぬ」
僕が箱物の怪談を説明し終えたので、和紙をペリっと剥がす。
それを見たアワナ君が、ぎょっとした顔で僕の肩を揺さぶって叫んだ。
「開けちゃダメな奴じゃんっ!?」
「だから開けるんだろ……ん? あぁ」
僕はアワナ君のご母堂が書いた、和紙のゴミを彼女の手に差し出した。
彼女も反射的に手を出したので、その掌に和紙を置いてやる。
「え? はっ…………え?」
「やるよ、封印の和紙。遺品だろ?」
僕とお札を二度見したアワナ君が、悲鳴をあげて逃げ出す……何なんだアイツ。
「まぁ良い。さっさとコイツをバラしてしまおう」
箱に触れて分かったが、箱はニスともペンキとも違う肌触りをしている。
その肌触りはあの事件の夜……肉塊の血に渇いた服に良く似ていると感じた。
「……さて、ご対面だ」
組木細工を数手順でバラすと、天井部分が開いて壁も崩れ落ちる。
現れた箱の中身は……。
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