第9話


 ◇ ◇ ◇ 六月 四日 午後二時 一七分


 初夏のだるい休日の午後。

 僕は二つ隣の部屋に引っ越したアワナの家で、段ボールを漁っている。

 すると初老の警官……北川 亮介(きたかわ・りょうすけ)部長がやってきた。

「坊主……お前、何をしてるんだ?」

「えぇっ、見て分からないのかいっ!?」

 部屋の床にアワナの荷物を並べているんだよ。

 冬服に夏服、筆記用具から……調理器具という生活用具。荷物は全てだ。

 一見すると警察が取材者に押収品を見せる時にも似ている。

「ワシが見るに……女の子の引っ越しの荷物を漁っては、床に置いとるな」

「分かってるじゃないかっ! アワナの荷物を漁っているんだよっ!」

「お巡りさん、ごめんね……先輩。きょーてん?を探しているらしくて」

 僕が気づかない内に北川部長を招き入れた、アワナが何か言っている。

 だが僕はタンスの戸棚を引き出し、調べる作業で忙しい。

 夏の風が窓から吹き込む中、僕は湿気の匂いに包まれて作業を続ける。

「高内教授は民族学科の教授だった。その彼が探す教典となればマイナーカルトだろう。西アジアの平原に居ると言う少数民族の地底信仰だろうか……それともアフリカ東部の密林で起きた人身御供事件の魔女教かもしれない」

「先輩はここ数日。ボクの家に来ては、こんな調子なんだ」

「うーむ、傍目には嬢ちゃんを、ストーカーから守った男には見えん」

 北川部長が作業中である僕の隣に腰掛ける。

 忙しいから後にして欲しいが……警察への協力は市民の義務だ。

 僕は漁っていたタンスに紛れていた、アワナのパンツを放り投げると向き合う。

「ッチ、何ですか。この部屋には小娘の、ションベン臭いパンツしかありませんよ」

「ちょっ!?」

 アワナが犬がフリスビーを捕まえる様に、空中でパンツをキャッチする。

 するとわーわー騒いで、僕の背中を叩き始めた。

「止めろっ! 北川部長が礼儀知らずっぷりにドン引きしているぞ」

「坊主。お前……大丈夫か。病院には行ってるんだろうな?」

「病院……紹介された精神科ですか。睡眠薬をいただきましたよ、飲んでませんが」

「後遺症があるのか?……あんな事があったなら、そりゃあるか」

 北川部長は僕の目の隈を見て項垂れるが、酷いお門違いだ。

 僕の不眠症は子供の頃からで、今回の件には関係無い。

 眠ると悪夢を見るから、眠らないだけである。

「放っておいて下さい。それより何しに来たんですか?」

「お前達の様子を見に来たんだよ。ワシが担当した事件だからな」

「ふぅん。何か分かった事は有ります?」

 北川部長が力無く首を横に振る、僕は「だろうな」と頷いた。

 オカルト事件なんて、秩序の守護者たる警官にとってタヴーそのものだろう。

 彼自身もボクがタンスを漁る姿に、懐疑的な表情を浮かべている。

「坊主……深入りしない方が良い。こういう事件は人を狂わせる」

「おいおいおいっ!? そりゃないぜっ!」

 遂に見つけたオカルト事件を前に、何を言い出すんだこのスカタンは。

 僕は信じられないと睨むと、北川部長は心配げに見返してきた。

「お嬢ちゃんも事件の後だ。心に傷が残る……忘れちまった方が良い」

「それはお門違いだぜ。アワナも一緒に、調べるって決めたからな」

 僕が代わりに答えると、警察はぎょっとした顔でアワナを見た。

 僕が無断で家にあがって、勝手に家を漁っていたと思っていたのか?

 ちゃんと朝一に、マンションの前で電話を入れたに決まってるだろ。

「先輩の性格はともかく……ボクも高内教授が、何を探してたのか知りたいんだ」

「高内教授は昼間は健常者として過ごしていた。その彼が何かを探していたなら……」

「お前達二人は、何かあると思ってるのか?」

 ストーカー被害は夜中に行われていたが、彼は何かを探していた。

 それがきょーてん……教典をアワナが持ってると、何か確信があったに違いない。

 だが北川部長の意見は違う様だ。

「ガイシャを悪く言うのは御法度だが、陰謀論が頭にあっただけだろ?」

「だから僕が、そうなのか調べてるんですよ」

「ボクも何でこんな怖い目に会ったのか、知りたいんだ」

 僕は正直に言うと、アワナの協力は欲しいが真実以外はどうでも良い。

 アワナは何故自分が巻き込まれたのか、その理由を知りたがっている。

 北川部長はこれ以上、僕達に関わって欲しく無いそうだ。

「危ない事をして警察の仕事を、増やすんじゃねぇぞ」

「ボクの家を調べたら、実家に行く予定だから。危ない事はしないよ」

「警察こそ高内教授の自室で何か見つけたら、教えてくれよ。オカルトは専門外だろ?」

 三者三様に、お互いの顔を睨み合う。

 暫くして僕は話は終わりだと感じて、アワナのクッションを調べる事にした。

 柔らかな肌触りの生地には綿が入っている様だが、他に音もしないな。

 僕が改めて荷物を漁り出すと、背中越しに北川部長のげっそりした声がした。

「犯罪だけは起こすなよ。ワシも大学生カップルなんて、捕まえたく無いからな」

「へ? んん? ボクが、先輩とっ!?」

「何の話をしてたんだ、コイツ?」

 北川部長に振り返ると、彼は僕の肩を叩きだす。

 後ろではアワナが顔を赤く染め、ボクと北川部長の顔を往復しながら驚いていた。

「男なんだから守ってやれ、坊主」

「ちょっと待ってよ。ボク達はそんなんじゃ……」

 目の前の二人が何か言ってるが、僕は怖気に耐える事で精一杯だった。

 皮膚の下を這いずる感触が、脳まで這い上がってくる。

 この感覚は高校のプールで、女子生徒の水着姿を見させられた時以来だ。

「あのなぁ。何か勘違いしてないか?」

「年頃の娘が自室に招いてるんだから、付き合っているんだろ?」

 はぁ~? 僕は思わず口を開けて、驚いてしまう。

 アワナはあわあわしてるが、初心なねんねじゃあるまいし何をしてる。

「何だ違うのか。青春の思い出にするんだと思ったが……」

「超神秘研究家にして相倉家長男、この相倉有馬がっ。世紀の大発見を前に、現を抜かす筈が無いだろっ!」

 熱い部屋で警察部長の襟を振り回す。

 カッカと笑う所長はともかく……アワナが複雑そうな顔で、睨んでいるのが気になった。

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