第8話


 ◇ ◇ ◇ 五月二七日 午前三時 五六分


「だぁかぁらっ!! 曲がり角を曲がったら、こうなってたんだって!!」

「うんうん分かったよ。その前について教えてくれるかい?」

 僕は今。先程の裏通りで、警察の現場検証に付き合わされている。

 アワナが通報した事で、僕が肉塊を発見した後にすぐに来たのだ。

 追いかける必要もなくなり、周囲を見渡せば裏通りは狭い路地だった。

 左右を民家や個人経営店が並んでおり、出入り口をパトカーが封鎖している。

 他に裏通りにあると言えば、ネオンに照らされた路駐の自転車や盆栽位か。

「アワナの家に奴が押し入って来たんだ。警察を呼ぶって言ったら逃げ出して……」

「そういう時に、追いかけちゃダメなの分かってる?」

「警察に相談しても動いてくれないから、信用出来なかったんだろっ!?」

 事情聴取の場所は、蒸し暑い上に腐臭が漂う野外である。

 そこで若い警官からふざけた事を言われれば、温厚な僕だってキレてしまう。

 何より気にくわないのは、担当の男性警官が僕の話を聞き流す事だった。

「もう一度言うぞっ! 後輩のストーカーを捕まえる為に、ベットの下に潜り込んで」

「うん」

 警官のメモを書く速度に合わせて、僕は一から説明を始めた。

 既にアワナの自室にも、警察は行ってる筈だから護符の説明も忘れない。

「ストーカーが大学教授で、スタンガンを当てたら奴が窓から逃げ出したんだ」

「うん……それ出して貰える?」

 僕が出すと即座にスタンガンが押収された。

 しかも警官が、非難げに見て来やがる。

 この僕に野蛮人の如く、拳で戦えとでも!?

「逃げた所を酒瓶ぶん投げて当てたら、肉塊になったって……」

「うん?」

 何より腹が立つのは、この部分を話すと首を傾げやがる事だ。

 だから酒瓶を投げたら、肉塊になったんだって……。

「何度も言ってんだろぅがァッ!!!」

「まぁまぁ、落ち着いて……」

 僕が正気を失っている様な言い草に、全身の熱と血が頭に上る。

 市民の義務として、素直に話してやってるんだぞっ。

「ではマンションから出た後に、海に寄ったりは……」

「はぁんっ!? 何で海が関係するんだいっ、んなぁっ!?」

 今の話の何処に、海が関係するのか。僕は怒鳴ろうとして……。

 頬に突然、無機質で冷たいナニかが当たって悲鳴をあげてしまった。

 振り返ると、初老の警官が僕の頬に缶ジュースを押し当てている。

 身長は僕と同程度だが体格は太ましく、シルエットで言えばドワーフの様だ。

「彼はワシが当たる。お前はガイシャの移送をしてこい」

 初老の警官の命令に、若い警官は慌てて敬礼をすると去って行く。

 残った警官は僕の証言の書かれた紙に目を通しながら、僕へ問いかけてきた。

「すまなかったな、嫌な思いをさせたろう」

「ふんっ。本当の話をしてやったのに、聞かないのだから当然だろう」

「あぁ、そうみたいだな」

 初老の警官は朗らかに頭を下げた。先程の警官の様な、適当な誤魔化しでは無い。

 僕の言葉を信じて、続きを促す為の返事だった。

「お前さんの知りたがってる事から話すぞ。二人の身柄は、警察で預かる」

「おいおいっ、僕達は犯罪者扱いかいっ!? 表彰されても良い位だぜ?」

 僕の言葉に警官は、胡散臭げに死体のあった場所を睨む。

 既に肉塊は警察達が確保している為、そこには無かった。

 アスファルトを濡らす、赤茶色の跡が残るだけだ。

「まぁ、お前達の犯行じゃないだろうな」

「そりゃそうさ。あんな殺し方を簡単にできるもんかっ!」

「それもあるが……ガイシャの死亡推定時刻は、二ヶ月より後にはならんそうだ」

「二ッ……はぁっ!?」

 僕は思わぬ事実に、口を開けて呆けてしまった。

 警官はその間も、僕の証言を読んでは顎をさすって考えこんでいる。

「待て待て待てっ。僕達は今日どころか昨日も、奴と会ってるんだぜっ!?」

「検死官が見た所、巨人様化が確認されとる。これには二ヶ月程かかるらしい」

 巨人様化……確か溺死体に水が染みこんで、膨らむ症状だったか?

 死体が膨らんだ理由と死因は分かったが、分からない事が増えてしまった。

「それなら僕達が、さっきまで会っていたのは何なんだ?」

「分からん。だが四十年も警官をしとると、こういう怪奇事件にも遭うもんさ」

「こういう事が他にもあるって?」

「若いのは初めてだろうなぁ。お前さんも起きた事を、素直に受け入れた方が良いぞ」

 警官は事もなげに言うが、僕は全身の力が抜けて眩暈を起こしてしまう。

 常識が崩れ落ち、自分が現実に存在するのか違和感さえ感じる。

 握りしめた缶ジュースの冷気の感覚が無ければ、頭がおかしくなりそうだった。

「……ん? あぁっ! お嬢ちゃんは無事だぞ。良く守ったな、坊主」

「あ、あぁっ。それは良かったね」

「身柄を預かるのは、保護の為だから……何だ? 向こうが五月蠅ぇな」

 警官が僕の肩を叩いた後に、封鎖中のパトカーへ振り返った。

 呆然としていた僕の耳にも、確かに騒ぎの声が聞こえるな。

「おいっ、どうかしたのかっ! 深夜だから静かに……」

「部長ぉっ! ガイシャがっ!?」

 路地の前後を封鎖していた筈の警官達が、何かを囲んでいた。

 僕にも続いて彼らが絶叫をあげ尻餅を着いた時、何が起きたのか気づく。

 正確には違う。見えただけか。理解なんて出来なかった。

 死体袋に包まれていた赤黒いナニかが彼らを押し退け、四つん這いで走り出したのだ。

「ナニが起きてるっ! 坊主、逃げっ……」

「ぇっ、ぅぁ?」

 それは肉塊だった。

 膨らんだ遺体は蜘蛛が這いずり様に、突起をバタつかせて僕めがけて駆けているっ!

 初老の警官が僕を押し退けて、逃がそうとしたがそれは叶わない。

 赤黒い肉塊が僕に飛びかかる方が早かったのだ!!

「ぁあアア”ア”ア”ッ!?」

 僕は絶叫をあげ顔を逸らすと、両手で頭を守る。

 だが肉塊の勢いは相当で、僕は肉塊によって引きずり倒された。

 水膨れした肉塊に触れた腕が沈む感触が、僕の上半身に広がり思わず目を見開く。

「―――ッ!」 「―――っ、――」

「あぁぁ、うべェ……」

 周りで警官達が叫んでいるが、電子音にも似た耳鳴りしか聞こえない。

 視界を覆う肉塊に半分埋まった、高内教授のあどけない表情から目が離せない所為だ。

 その口が引き裂ける程に開き、静かで勢いのあるガスが一瞬だけ発される。

 次に起きる事は、半分記憶が無い。

「うぼっ!!、おォええぇェェッッ!!」

 高内教授だった肉塊の口内が人間を飲み込める程に引き裂け、吐き出される膨大な腐水と細長いナニか。

 それは濁流がぶつかり合い、弾ける様な水の音と共に僕に降り注いだ。

 全身に感じる糞尿にも似た、水っぽい粘り気に意識が飛びかける。

「ぅぉェっ」

 肉塊が吐き終えた時、そこに居たのは高内教授だった。

 体積が二倍近く膨らんだ影響か、皮膚が伸びきった姿でズルズルと僕によりかかる。

 そして昼間に出会った時の、穏やかな口調で呟き始めた。

「てん……きょうて、んは。教えてくれ、おしえて……」

 そして最後に口から泡を吹き出すと、夢に落ちるかの如く動かなくなる。

 僕は最後の瞬間を、見届ける事しか出来なかった。

「……」

 一度に色々起きすぎて、僕の頭脳はオーバーヒートを起こしていた。

 警察が死体だと認めた肉塊が、突然動き出して僕を押し倒し……。

 人間の体に入らない程の量のナニかを、思う存分吐き出した?

「坊主、今引っ張るぞっ。意識はあるかっ!?」

 僕が手間取っていると、数名の警官達が肩や腰を掴んで肉塊から引き剥がす。

 僕は引きずられながら、漸く何が起きたのか理解できた。

 白濁した泡立つ体液に、無数の魚の死骸が転がっていたからだ。

「しっかりしろ。飲み込んじまったかっ!? お前達、救急車を呼べっ!」

「臭いな。だけど嗅いだ事がある匂いだぞ」

 塩臭く生臭い液体に、過去の思い出が呼び起こされる。

 あれは亡くなった母上と父上。二人と遊びに行った時の記憶だ。

 そう、そうだ。この液体は……。

「海水だ……それにこの魚はブラックシーバスか?」

 今まで生きてきた記憶が、脳裏で過ぎ去っては消えていく。

 体液で冷やされた全身と、大気の暑さのギャップで頭がイカれそうだ。

 更には滑る体液と内臓が腐った匂いに、僕の現実と常識が塗り潰され……。

「ふふっ、アハハ……アハハハハッハッハッハッハッ!!!!」

 心臓の奥から溢れ出す、感情の濁流に笑いが止まらない。

「ぶへっへっへ、ひゃっはっはっはっはッ!! ハッハッハッハッ!!」

 理性なんてあったものじゃない。

 楽しくて楽しくて仕方ない。僕は夜空に吠える様に笑って膝を叩く。

「おい……」

「今のを見たかっ!! なぁ、見たよなっ!?」

 僕は全身体液と魚の死骸塗れになりながら、初老の警官に問いかけた。

 指さすのは当然、着ぐるみの如き皮になった高内教授の遺体だ。

 周囲に散らばる、人間の体内には入りきらない量の汚水と魚の死骸達だっ!

「心霊現象なんて生ぬるいモノじゃないっ。超神秘と出会ったんだっ!! この世ならざるモノを……この僕がっ!!」

「坊主……」

 僕は両腕を握りしめて、歓喜のままに叫ぶ。

 だが世紀の大発見を教えてやったのに、警官達の反応は薄かった。

 普段の僕ならばカッカする所だが、今は気分が良い。

 やはり運命はあったっ!! 僕には世界の隠された真実を暴く、使命があるんだっ!!

「ァ――ハッハッッハッッッッハ!!」

 僕は腹を抱え、口を裂ける程に空けて笑う。

 口内に滑る体液が入り込んでも、気にもならない。

 暗がりから聞こえる幾十人の悲鳴とも笑い声ともつかない反響音が、祝福してくれた。

「僕は選ばれたんだっ!」

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