第3話 魔女のねがい

 この世界で魔女と呼ばれる女性たちには、共通点があります。


 黒髪に蒼い瞳をもち、美しいこと。

 何百年もの年月を生き、決して病にかからないこと。

 そして──じぶんでは、いのちを絶つことがかなわないこと。


 いつからか、魔女はしにたいと思うようになりました。

 おなじようなことをくり返すだけの日々を、苦痛に感じるようになったのです。


 そんなある日のこと。


「けほっ、けほっ……ごめん、魔女さん。風邪が長引いてるみたい」

「そんなにつらくはないから、朝食、作るね……けほっ」


 起き出してきたいちが、咳き込んでいます。

 えがおをつくろっていますが、こうした咳が、もう二週間も続いているのです。魔女も不審に思います。

 よくよく観察をして、壱を悩ませる咳の正体に気づいた魔女は、飛び上がりました。


「え、どうしたの、魔女さ──うわぁっ!?」


 台所へ向かう壱の腕をつかんで、部屋まで引きずり、寝台ベッドへほうり投げます。


「寝てろって? 朝食は? 学校は?」


 この期におよんで、まだそんなことを言うので、魔女は目を三角につり上げてにらみつけました。


「ごめんなさい……怒らないで」

「いいこにするから、嫌わないで……おねがい」


 壱の黒い瞳は潤んでいて、魔女の袖を引くさまは、おさないこどものようです。

 体調をくずして、精神的にも弱っているのです。

 魔女はひとつ息をついて、うなだれた壱の頭をそっとなでました。


「……え、魔女さん」


 おどろいた壱が顔をあげるより先に、寝台へ横になります。

 じぶんがここにいれば、壱も眠ると思ったからです。


「魔女さん……魔女さん」

「いっしょに寝てくれるの?」

「うれしい、うれしいな」

「ありがとう……魔女さん」


 壱は涙ぐんで、抱きついてきます。

 魔女は赤ん坊をあやすように、とんとん、と背中をたたいてやります。

 弱っているのだから、特別です。


「ねぇ、魔女さん、あなたは僕にとって、特別なひとだよ」


 魔女のこころを読んだわけではないでしょうけれど、そんな仕返しをした壱は、華奢な腕のなかで、しあわせそうにまぶたをおろします。

 壱が寝入ったのを見届けて、魔女はしずかに、寝台を抜け出したのでした。



  *  *  *



 魔女は医者として、生計をたてていました。

 ですから、壱をむしばむ病が結核であることを、見抜きました。

 そうなれば、じっとしているわけにはいきません。

 魔女協会へ連絡を入れたあと、鞄を引っさげて、『官立東京高等男学校』へと急ぎました。


 発症者がだれなのかを調べる時間は、ありません。

 とにかく治療が必要な男子学生を、片っ端から『治して』いきました。

 学生だけでなく教員にもおこなわれた診察が終わるころには、すっかり日が落ちていました。


「……ねぇ、魔女さん」


 ぐったりと疲労をかかえ、魔女が帰途についたときのことです。浅草の街で、見てはいけないすがたを見てしまいました。

 壱が、そこにいたのです。


「僕にはおとなしくしてろって怒ったくせに、こんなところでなにしてるの?」


 往来の人ごみを縫って、大股でやってきた壱。

 その表情も、声も、魔女も見たことがないほど冷たいものでした。


「目が覚めて、独りぼっちだった僕の気持ちがわかる?」

「あなたはいつもそうだよね。やさしくしてくれたと思ったら、僕を突きはなす」

「僕が嫌いならそう言ってよ。悪いところがあるなら、なおすから」

「ねぇ、なんでだまってるの」

「教えてよ、ねぇ……!」


 力任せに手首をつかまれて、視界がまわります。

 ぐるぐると、脳がゆさぶられるようです。


 あぁ……やっとだわ、と魔女は思いました。

 ようやく、ついに。


「──壱」


 紅を塗らなくても真っ赤な唇が、言葉をつむぎます。

 ふいに呼ばれた壱は、衝撃でかたまってしまいました。


「これで、解放される」


 熱に浮かされたように、魔女は続けます。


「わたしは、死にたかったの」


 それは、ビードロを鳴らすよりもきれいな声で。

 笑みを浮かべた魔女のからだは、糸が切れた人形のようにくずれ落ちました。


「魔女さん……? なんでっ、魔女さん、魔女さんッ!!」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る