3
「きらさん」
六時間目の授業が終わって机を片付けていると、近付いてきた高見くんに声をかけられた。
「ノートありがとう」
高見くんが、自分の分とわたしの分のノートを二冊重ねて突き出してくる。
いつも斜め後ろからこっそりと見ている高見くんが、わたしの正面に立っている。普段と違う角度で見上げる高見くんにドキドキしながら、わたしは両手でノートを受け取った。
「どういたしまして。みんなの分と一緒に提出しておくね」
「ありがとう。きらさんのノート、字綺麗でわかりやすかった」
ノートを渡したらすぐに去ってしまうのかと思ったのに、高見くんが無表情でそんなふうに付け加える。
「そ、そっか。役に立ててよかった」
高見くんは、わたしのノートの字を褒めたわけではなくて、ただノートの感想を伝えてくれただけなのだろうけど……。彼の言葉が嬉しくて、ほんの少し頬が熱くなった。
「声かけてもらえて助かった。なんかお礼したいけど、今、これしかないわ」
返してもらったノートに視線を落としてうつむいていると、ズボンのポケットをゴソゴソ探った高見くんが、わたしに何か差し出してきた。
高見くんの手のひらの上には、レモン味ののど飴。
ぽかんとした顔で高見くんを見上げると、彼の視線が気まずげにわたしからそれた。
「あ、ごめん。こんなの、いるわけないよな。ていうか、おれからこんなの渡されても逆に迷惑……」
「そんなことない。それ、ちょうだい」
卑屈っぽく苦笑いして飴を手のひらの中に握り込もうとする高見くんの言葉をわたしが遮ると、彼が驚いたように少し目を見開いた。
「迷惑なわけないよ。わたしが勝手にノート貸しただけなのに。お礼したいって思ってくれた、高見くんの気持ちが嬉しい」
ドキドキしながら言葉を伝えると、高見くんが困ったように眉尻を下げた。
「じゃあ、これ」
わたしが上向けに手のひらを差し出すと、そこにレモン味ののど飴が落ちてくる。包み紙がカサリと音をたてる瞬間、わたしの胸もドキンと鳴った。
「授業中起きとかなきゃとは思うんだけどさ、前の学校の友達とつい夜遅くまで喋りながらオンラインのゲームとかやっちゃって。昼間、眠くなっちゃうんだよね」
ボソボソと話し始めた高見くんを見上げると、彼がわたしの手の上の飴に視線を向けながら恥ずかしそうに頭を掻いている。
いつも眠そうにしてる理由って、そうだったんだ……。
頑張って新しい友達を作るより、前の学校の友達と話しているほうが楽しい。そういう気持ちは、転校を経験したことがあるわたしにもわかる。
「わたしのでよければ、またノート貸すよ」
思いきってそう言うと、わたしの顔に視線を向けた高見くんが真ん丸く目を見開く。そのあとすぐに、パッと明るい笑顔を見せた。
「ありがとう」
初めて見る高見くんの笑顔に胸がぎゅっと鳴って、心音がドクドクと速くなる。
八重歯を覗かせて人懐っこく笑う高見くんの、かわいくもカッコよくも見える表情。それを知ってるのは、たぶん、このクラスでわたしだけだ。
***
「きららー、さっき高見と喋ってなかった?」
高見くんが自分の席に戻ると、ユキノとマイが近寄ってきた。
「英語のノートを渡されてたんだよ」
高見くんにもらったレモン味の飴を慌ててスカートのポケットに隠すと、ユキノ達が「ふーん」彼に視線を向ける。
「それならいいけど」
「きらら、男子と関わるなら高見じゃなくてもっといい人にしなよ。一組の里見くんみたいなさー」
相変わらず一組のイケメン転校生推しのユキノとマイに、わたしは曖昧に苦笑いする。
ユキノもマイも、全然わかってない。
高見くんが優しい気遣いができる人だってことも。話し声が少しかすれていて低いことも。笑った顔がかわいくて、実は結構かっこいいことも。だけど、そのことを、ユキノにもマイにも誰にも教えたくなかった。
そんなの、全部、わたしだけが知っていればいい。
ユキノたちに気付かれないように左斜め前の席に視線を向けると、机の横にかけた鞄に手を伸ばした高見くんが、わたしに気付いて、ふっと目を細める。
ドキリと胸を高鳴らせながら、わたしもこっそりと彼に笑い返した。
fin.
そんなの、全部。 月ヶ瀬 杏 @ann_tsukigase
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