Ⅵ‐2

 鏑木先輩を意味も無くボコボコにした噂はあっという間に広まって俺に群がる人間もいなくなって、気付けば教師も俺の顔色をうかがうようになっていた。


 誰も俺に文句を言うやつはいなくなって雑音が消えて、俺はまた俺の箱庭を手に入れた。ただ、自分が望んで得た居場所はひどく静かだった。こういう時は楢崎のとこにでも転がり込めばよかったのかもしれないけれど、そうしなかったのは、またプライドのせいだと思う。


 楢崎が有名なやつじゃなかったら俺は楢崎と遊んでたかもしれない。けど、この状況で楢崎のとこに転がり込んだら楢崎の腰巾着って言われそうで楢崎を避けた。俺はそういうことばかりに頭が回るつまんないやつだ。


 やるべきことが無かったわけじゃない。受験生なんだから勉強すればよかったんだろうけど、他のタメ年のやつが受験勉強に勤しむ中、俺は一人、茫漠ぼうばくとした時間を持て余した。


 今さら勉強を頑張っても、ヨッチみたいに元々頭が良くて努力し続けてるやつらに勝てないだろうし、内申書は最悪だ。捨て鉢になる理由は簡単に見つかるのに頑張る理由は見つからない。


 西島とは柏で暴れてそれからずっと疎遠のままだったけど、少し前に図書室に来なくなったねってLINEが来て、俺と一緒にいると内申書に何書かれるか分からないから関わらない方がいいよって送って、それから連絡はぱったりとやんだ。


 やることも無くて退屈で死にそうで、そんな時にカズさんと会った。会った時、カズさんは眉毛がボーボーで髪型も『酔拳』の頃のジャッキー・チェンみたいで鼻毛が出てた。


「鼻毛が出てますよ」って言ったらカズさんは「出てるんじゃなくて出してんだよ」って言ってニヤリと笑った。「どうよ?」って感じで自分のギャグに対して絶対の自信を持った、見ると俺の心をわしづかみにしてワクワクさせるドヤ顔がそこにあった。


 司馬しば遼太郎りょうたろうは鋭さが顔に出ているような人間は才物であっても二流で、一流の人間というのは少々バカに見えるみたいなことを言っていたけれど、それが本当ならカズさんは間違いなく一流の人間だと思う。


 久しぶりの再会は素直に嬉しくて「高校生活どうですか?」みたいな話になって「全然だよ。高校デビューのやつらの方が超目立ってる」って言ってて意外だった。


 考えてみるとカズさんの面白さというのは、カズさんのことを面白いって思ってる人には面白いけど、まったくのゼロベースでだと微妙なのかもしれない。「乳首吸わせろ」とか胸の北斗七星とか一般的なノリではないから。カズさんのことが好きだったり、面白い人なんだっていう認知が広まらないと面白いことしてても面白いって思われないギャグや言動が確かに多いかも。


「全然面白くないやつがクラスで笑いを取ってて謎」って言ってた。それで、よく考えてみるとクラスで人気者って呼ばれてるようなやつのギャグって有名人のギャグをパクってるだけか下ネタのどっちかで、大して面白くないよなって話になって盛り上がった。


 それで久々の再会っていうのもあってテンションが上がって、いつもヨッチの家とかばっかりで、そもそもカズさんと俺の二人だけで遊ぶってことが無かったからカズさんの家に行きたいって話になって、家に行くことになったんだけど、カズさんの部屋が超きったない。


 空き缶やビンが無造作に転がってたし、それを灰皿にして煙草が目一杯詰め込まれてた。スナック菓子の袋、スーパーの袋。カップラーメンの汁が残った容器と、こぼしてそれを吸い込んで茶色くなったカーペット。割り箸。コンビニ弁当の容器。読みかけで端っこが折れ曲がったマンガ。服は至る所に散らばってる。ヤニで黄ばんだ壁には何かの液体がブチまかれた跡があったりして、寝るとこと制服を掛けるとこと煙草を吸うとこだけがちょっとマシで、それ以外はどこもゴミ屋敷で最低だった。そりゃ人を呼んだりしないわ。


 初めてカズさんのことを嫌いになりそうだった。俺も綺麗好きってわけじゃないけどものには限度がある。「汚れてるから」とは言われたし「別に気にしないっすよ」とは言ったんだけど無理なものは無理。


「普段、この家で何してんすか?」

「いや、別に普通だよ。タバコ吸ったり寝たり、携帯で動画見てる」

「そうっすか」


 動画は何を見てるんすかとか聞かなかった。だって、二人で見るくらいなら帰って一人で見ても一緒じゃん。終わった。もう何したらいいのか分からなくて超困る。カズさんも俺が自分の部屋見て引いてんのが分かって黙っちゃうし。もういいや、取りあえずタバコ吸ったら帰ろ。


「きったない部屋っすね、マジで」


 気を使う気にもなれなくてお世辞を言うのを諦めた。開き直って部屋に散らばってる物とか全部無視して寝転がったらカズさんが「あっ、お前、そこ…」って。


「えっ? うわっ、何これ!」


カーペットにしみ込んだラーメンの汁で背中が濡れた。


「ティッシュ! 早く、ティッシュは?」って騒いでもカズさんはケラケラ笑ってるだけで何もしない。


「何だよこの家。意味分かんない。部屋の掃除くらいしてくださいよ」


 俺が怒ってるのにヘラヘラしてるカズさんを見てキレた。


「でっかいゴミ袋と中くらいのゴミ袋持ってきてください!」


 俺はヒステリックに大声を上げて、そこからは大掃除。マンガはマンガでまとめる。床に落ちてる物全部を片っ端からゴミ袋に詰め込んで、カビが生えてたり汚れた服や雑誌もゴミ袋にぶち込む。重要な物かなと悩む物だけ「これは捨てていいですか?」と確認して、あとは容赦なく捨てた。カーペットは濡れたとこをティッシュで拭いて掃除機かけてカズさんに風呂場で洗わせて乾かした。


「めっちゃ汗だくなんすけど」

「知らないよ、お前が勝手にやりだしたんじゃん」

「だって、この部屋きったねえんだもん。すいません、窓開けてください。臭い」

「さっきから人の部屋をボロクソ言うなよ」

「汚いし、臭いもんは臭いんで」


 結局3時間はかかったと思う。気付いたら夜の9時を回っていた。


「あー、終わった。ようやく終わった。うわぁ、手ぇくっさ」

「一服したら、ラーメン食いに行かない?」

「ラーメン屋なんかありましたっけ?」

「最近、近くに屋台が出ててさ、気になってたんだよね」


 そう言って、カズさんはタバコに火をつけた。タバコを吸っている時のカズさんの横顔は、伝説的な掛け将棋の真剣師のようにも見えるし、東大を首席で入ったのに退学して世捨て人になった哲学者のようにも見える。

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