Ⅴ‐1

 新学期が始まってからしばらくして、今年に入って初めて秋の匂いがした。吸い込むとひんやりと心地よくてキンモクセイの匂いがしてて、授業を終えた静かな校舎はオレンジジュースみたいな柑子色こうじいろの西日に染まっていた。


 友達がみんな受験で誰も遊んでくれなくて、学校じゃ一人ぼっちだった俺は何したらいいのか困ってて、ただぼんやりと頬杖をつきながら図書室の窓に映る景色を見てた。


 柑子色の太陽に、ピンクとパープルとグレーが散りばめられた空を超綺麗だなぁとか思ってて、取りあえず陽が落ちるまでこうしていようって思うくらい、俺はめちゃくちゃ暇だった。


 暇だったから、昨日駅前でサッカーボール持ったおじさんのことを、ぼんやり思い出してた。頭が禿げ上がってて落ち武者みたいな髪型で、上は黒のブルゾンを着てて、下は茶色のジャージはいた五十歳くらいのおじさん。


 そのおじさん、持ってるボールを「コロコロコロー」って地面に転がして、その転がったボールにものすごい勢いで飛びついてた。


「ズザザザァー」って服が破けそうなくらいに激しく。で、また元の位置に戻って「コロコロコロー」ってやりだしてまた「ズザザザァー」って。


 俺、しばらく見てたんだけど、ずっとそれ繰り返してるだけなんだよ。一体、何が目的でそんなことをって思うじゃん? もしかしたら誰かにツッコまれるのを待ってたのかもしれないよね。とにかく体を張ってるし、ツッコみ待ちだとしたら、俺ならどんなツッコミ入れるかなとか考えてたら、ちょっと顔がにやけた。


 きっと誰も見ていないと思って油断していたんだと思う。だから突然後ろから西島に「何ニヤニヤしてんの?」って聞かれて超びっくりして変な声を上げそうになった。


 西島は俺の慌てようが面白かったのか、クスクス笑いながら「びっくりした?」って聞いてきて「おお、まあね」って自分でもよく分からないけどカッコつけてみた。


「ねえ、今、何考えてたの?」

「いや、ちょっとナスダックの平均株価指数が気になっててさ」


 俺は砂浜で瞑想めいそうする哲学者のように、極めてクールに振る舞ったけど西島が「そのボケつまんないよ」とツッコんできたから「ズコッ」って言ってコミカルな顔をしてとぼけた。それもスベってたんだけど、無言のままコミカルな顔でにらめっこし続けたら西島が顔をクシャっとさせて笑った。


「くそっ、笑っちゃった」

「何しに来たの?」

「私? 私は借りてた本、返しにきただけだよ」


「ふーん」と俺は素っ気なく返事をして、また窓辺に視線を戻して会話をやめた。やめた時に西島がガッカリしたように見えたのは、多分俺の勘違いだ。


 本当は気になったけど窓の外を見続ける俺に「思い出し笑いをする人はスケベだっていうから、気を付けた方がいいよ」って言われて「何がぁ」と裏返った声を上げて振り返ると、西島はニコニコしながら逃げるように小走りで図書室を出て行った。

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