Ⅱ‐3

 女の子とのロミジュリのセリフの練習が終わって「じゃあね」って家に帰って飯食って風呂に入ってって、そんな普段と変わらないルーチンこなしてたんだけど、その間、ずーっと図書室で会った女の子のことを考えてた。


 女の子のコロコロ変わる表情を目で追ってて、それを思い出してにやけて、俺の初告白を演技の手伝いとはいえ奪われてしまったなんつって、困ってもいないのに「困ったなぁ」とか一人でブツブツ言ってまたにやけて。もうおしまいよ。うん。カワイイなと思ってる子にロミジュリのセリフで告白しちゃったら、それはおしまいだよ。好きになるのに、これ以上の理由などいらない。


 数時間前まで学校の覇者がどうたらこうたら能書き垂れてたけど「そういやそんなつまんないこと言ってたな俺」みたいな。めっちゃ元気になっちゃってんの。ディズニー映画とかでありそうなシロクロだった世界に美しい色彩が広がっていく映像が頭の中で再放送を繰り返す。


 半年前とか学校に行きたくなさ過ぎて根性がねじ曲がりそうなくらい病んでたくせに、今じゃ早く学校行きたくなっちゃってるもんね。明日も図書館に行こうってなったし、その時にまたあの女の子来るかなの期待値のエグさったら半端ないから。


「あー、しまった、女の子の名前聞くの忘れちゃった」「向こうは俺の名前を知ってるのかな?」「名前も知らない誰かのことでこんな気持ちになるなんて」


 思考回路が同じところをグルグルと回ってパンクして、別のことを考えようとしてもいつの間にか同じこと考え始めてまたパンクする。情報量が少な過ぎる。


 早く明日の放課後になんないかなぁって考えだしたら止まらなくなって、結局寝不足のまま朝起きて飯食って髪の毛整えて、学校行っても一限目から待ち遠しくて放課後からの俺が本当の俺みたいな感じになってた。


 六限目の終わりを知らせるチャイムが鳴って放課後になって、そわそわしながら図書室に向かって、図書室に着いたら女の子がいなくて超がっかり。


 まあでも後から来るかもしれないし女の子が来た時に知的な印象を与えられないもんかなと心理学の入門書みたいなの読んでるふりして待ってたんだけど、この本つまんないなぁってすぐ飽きて、女の子も来ないし寝ようってまた図書館の隅っこで寝てた。暖かい日差しと教室の匂いは心地よい眠気を誘う。もう少しで寝るなって時に「わぁ!」って女の子が脅かしてきて、驚いた俺を見て超笑顔だった。


「ねっ? いきなりだとびっくりするでしょ?」


 昨日、自分がびっくりしたのが悔しかったらしい。結構前から俺のことを見つけてたくせに隠れて俺が油断する瞬間を待ってたんだって。


「暇なの?」って聞いたら「めっちゃ暇」って言ってた。そもそも演劇部が普段は何をしてるのか知らないけど、しばらくやることも無くて暇な時期らしい。今は部員が気が向いた日におのおの部室に集まって自主練とかしたり、みんなで遊んだりしてるだけなんだって。昨日のロミジュリの練習も、女の子の単なる暇つぶしだったらしい。


 演劇部に入ってるって言うと、よくロミジュリとかやってるんでしょって聞かれるみたいなんだけど意外とやらないし、むしろ現代劇とか数年前に流行った映画をやることの方が多いって言ってた。ふーんって聞いてたんだけど、いつの間にかまたこの子のペースにのまれてる。


「ところでさ、部活もやらないで何でこんなとこでわざわざ寝てるの?」


 女の子に急に聞かれて困った。そうだね、俺は何でこんなとこで寝てるんだろうね。最初は自分が覇者だってことを広く天下に知らしめてやろうみたいなこと考えてたけど、周り見渡したら弱気になってきてて、たまたま図書室に入ったら眠くなって寝ただけだ。


 今日来たのは君に会いに来たんだよなんて言うのも変だし、寝てる理由にもならないし、どうやって説明したらよいものか迷った。


「うーん、帰って家で寝ればいいんだろうけど、図書室来たら眠たくなって寝てただけ」


 これで説明になってるのか心配になったけど、めんどくさい説明を省くとこうとしか言いようがない。


「へえ」


 一応、相槌程度に言葉を発してくれたものの女の子は半笑いだ。自分の方がよっぽど変なくせに人を変なやつみたいな顔して見てる。


「いや、人を変人扱いするのはやめていただきたい」


 一人で部活じゃやりもしないロミジュリの練習をする子に変人だ何だととやかく言われる筋合いなど無いのだ。


「別にいいんだけど、案外気にしいだね」

「自分だって昨日はあわあわしてたじゃん」


 言った瞬間また腹パンをされる。その話は二度としないでって女の子の目が言ってて、そのまま黙ってうなずいた。


「っていうか、そもそも何で部活辞めたの? 受験のためとか?」


 女の子は俺が中二の時に暴れてたのを知らないみたいだったから、尾笠原や鏑木先輩や学年主任と喧嘩して学校で総スカン食らうまでの経緯を軽く話した。


「あー、何かうちの中学の男子がよその学校の人と喧嘩したりしてるって去年誰かから聞いたことあるかも」

「うん、それが俺」


 言ってからしまったと思った。変な誤解をされるかもしれない。誤解というかこの子がクラスの女子みたいに完全に俺を拒絶してきたら結構ヘコむ。


 一瞬緊張したんだけど、女の子は特に拒絶反応が出るわけでもなくて、逆に教師達が俺に何をしてきたのか込み入った話を聞いてきた。それで、経緯は何となく分かったけど、クラス中から存在を消されてるのが何でなのか分かんないとか、学校中ってわけでもなさそうだけど、少なくとも俺のクラスのやつのほとんどが俺のことを避けてる状況を不思議がってた。


 俺は単純に怖いとか教師や鏑木先輩に目を付けられたくないとか、そういうのじゃないのかみたいに言ったんだけど、どうにも腑に落ちない顔をしてた。


「そうなのかな? 先生達はどうか知らないけど、クラスの人達は無視しようとしてるわけじゃないんじゃない? どうやって接したらいいか分からないとか」

「そうなの? 分かんない。俺と仲良くすると内申書に悪く書かれるから、ビビッて俺を避けてるとかだと思ってた」

「そういう人もいるかもしれないけど、みんなそんな感じ?」

「ヨッチと柔道部連中以外は、距離を感じるし、先輩を殴り返した後は、俺に話しかけてくるやつとかいなかったよ」

「ふーん」

「『ふーん』って」

「別に。そうなんだと思って」

「分かんない。俺とどう接したらいいか分かんないやつがいるなんて考えたこと無かったわ。っていうか、他のやつらのこととか考えてるようであんまり考えたこと無かったかも。そうなのかもね、うん。案外そうなのかも」

「いや、私も分かんない。そう思ったから言ったけど違うかも」

「何か、お互いに推測でもの言ってるから、らちが明かないね。分かんないばっかり」

「そうだね。普通に、みんなに聞いてみたら?」

「何て? ねえ、みんな、俺のことビビってたり鏑木先輩や教師が怖いから俺に話しかけなくなったのって聞いて回るの? 怖くね?」

「いや、もうちょっとオブラートに包んでさ」

「いいよ別にそこまでしなくても」


 ヨッチともバンブーともここまで突っ込んだ話をしたこと無かったのに息吸って吐くみたいに自然と言葉がこぼれ出た。女の子と俺との距離の縮まり方が法定速度を無視してる。


 そこからもマンガの話になったら女の子が『ファブル』と『のだめカンタービレ』が好きって言ってくるし、映画の話になったらお薦めが『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』と『ラウンダーズ』なのヤバ過ぎる。音楽の話になったらHump BackとかTETORAとかリーガルリリーとかだしさ、知ってる? 気になる女の子が自分のど真ん中の趣味と一緒だと、それだけで運命だとか簡単に信じたくなっちゃうんだよ。ついこの間まで全力でネット廃人だった俺と趣味が合うなんて、この子どうかしてる。


「じゃあ、あれは知ってる?」って色々聞いてもかなりの確率で知ってるって答えてきたし、俺が知らない映画もがっつり見てた。演劇部やるくらいだから、そりゃ映画も見るし小説もマンガも読むんだろうけどさ、チートなんじゃないかってくらい詳しかった。すごいねって何でそんなに詳しいのか聞いたら両親が元々そういう映画とか小説とかマンガが好きで小学校の頃から自然と触れてたらしい。まあ、それにしたってだよね。


 ネット廃人にとってエンタメの知識での敗北はアイデンティティーの消失と同義だ。部活を辞めても、勉強をしなくても、疎外感を感じずに平気でいられたのは「俺様は貴様らが知らない面白い世界を知っている」ただこの一点にのみに重きを置いて信仰にも近い気持ちで己の核としていたからだ。それをこうも簡単に心の薄皮ペリペリめくられたりしたら、そよ風が吹いただけでヒリヒリチクチクしちゃうじゃないか。


 結構自信あったのにメンタルがポッキリ。こういう時に俺は無力で、気の利いた話をすることができないでダンマリになったんだけど女の子は別に気にしてるようでもなくて「それだけ映画もマンガも詳しいのに柔道部だったんだね」って。


「柔道部に入ったのはノリというかその場の流れみたいな感じだったし、映画とかガッツリ見るようになったのは、柔道部辞めて絶望的に暇になってからだよ。ヨッチはバスケ部かサッカー部で俺と一緒の部活やりたかったって言われたけど、性分的にチームプレーが必要な競技は向いてない気がしたし」

「一人の方が好きなの?」

「好きっていうか、自分の失敗でみんなが負けになるのも、他人の失敗で自分が負けになるのもヤじゃん」

「何かネガティブだね。俺がお前らを勝たせてやるぜみたいな感じじゃないんだ?」

「全然。っていうか気にしいとかネガティブとか、あんまり言われたこと無いんだけど」

「言っちゃダメだった?」

「いや、ダメっていうわけじゃないんだけどさ。そうなのかな? 俺って気にしいでネガティブな陰キャだったのかな?」

「私がちょっと言っただけで気にしてる時点で気にしいなんじゃない?」


 うん、まあ、そうなんだけどさ、誰かに好かれたいって思うと色々と気になるし腹に力が入らなくなるもんじゃん。


「ネガティブでぼっちの気にしいってカッコ悪いからやめてよ。これでも仲間内ではムチャクチャするやつで通ってんだから」


 これ以上、心の薄皮をむかれてはたまらん。話題をそらすためにバンブーのあだ名の由来を話したり、女の子の話を逆に聞いてみたりした。ほいで、話を聞いてるうちに何となーく感じたのは女の子の家は金持ちっぽいってことかな。


 小さい頃はバレエとヴァイオリンを習ってたとか演劇は昔から親に連れていってもらってたとか、ちょいちょいお嬢様的な発言が出る。少なくとも女房の尻に敷かれた日本の平均的サラリーマンのテンプレみたいな父親と、千葉の漁師町育ちのヤンキーが母親の家よりもずっといいとこの子だ。


 育ちのいい人やピカピカなリア充が持つ特有の素直さというか、人の長所や美徳を嫌味の無い真っすぐな言い方で褒めたり認めたりできるのって武器だよね。やれアイデンティティーの消失だの、俺様は貴様らとは違うだの言わないもん。


 女の子は演劇にハマるきっかけになった女優さんの話を熱っぽく語ってて、俺はその女の子の喋り方や身振り手振りを交えた熱っぽい話に聞き入った。


「すごいね、止まらんやん」

「えっ、引いてる?」

「いや、引いてるわけじゃなくて、俺にこれだけ夢中になって誰かに喋れる何かがあるかなぁって。少なくとも柔道では同じ熱量で喋れないわ」


 俺はマジで引いてたわけじゃなくて、女の子の話を聞いて関心してたし、こんなに夢中になれるなんて羨ましいなって思って言ったんだけど、女の子は我に返ったっていうか冷静になっちゃったみたいで急に恥ずかしそうにしてた。そこからあんまり喋ってくれなくなっちゃって「何か喋ってよ」って女の子に言われたんだけど、こんな時に何を喋ったらいいか分かんなくて、三国志の魏呉蜀ぎごしょくの中じゃ呉が一番ドラマがあって好きなんだっていう話とか意外と関羽かんうと引き分けた武将が多いって話と蜀の武将と真田さなだ幸村ゆきむらは評価が人気補正強めって話をしたんだけど、手応えの無さにゾッとした。


「ダメだ、喋るの苦手かも」


 西島も三国志の話を聞かされるのよりは自分が喋った方がいいと思ったっぽくて、シェイクスピアの話をしてくれたんだよ。


 それで「400年前、日本が戦国時代だった頃に、イギリスでは恋物語が描かれてたって思うとすごくない?」みたいなこと言ってきて、でも歴史は俺もちょっと詳しいからさ、言った後どうなるとか考えないでポロっと「その頃イギリスはイギリスでスペインの無敵艦隊を討ち破ったり戦争はしてたよ。それに日本じゃ茶道が流行してて、風流はあったし。日本が野蛮だったみたいな言い方は少し違うんじゃない?」みたいな。それ言った時の西島の顔よ。超不機嫌になったからね。


「別に日本が野蛮だったなんて言ってないじゃん」って。「そもそも、貴様が空気を読みながらの会話ができないから私が喋ったのに何なん?」みたいなね。


「いや、日本は日本で文化的にも充実してた時期だったんだよって。嘘、ごめん。そうだね、シェイクスピアってすごいと思うよ」って言っても遅くて、ベタ降りして謝った俺は、雨がやんだ時の傘みたいに邪魔らしい。


 さっきまでのが嘘みたいに、すんごい変な空気になって、そのまま取り返せないで変な空気のまま女の子が「じゃあね」って帰りそうになったから何の勝算も無い見切り発車で「待って」って心の声がそのまま出ちゃった。


 女の子が「何?」って顔してこっちを見てて、どうしようか迷ったんだけど今一番聞きたいことを聞いてみた。


「名前は?」

西島にしじま佳奈子かなこ

「また会えるかな?」


 そう言うと、女の子の表情がやわらかくなってクスっと笑った。「また会いたいんだ?」ってニタニタとカワイイ顔しながら俺のことを見てて、不意にクルリと背中を向けると「分かんない」って言いながら図書室を出ていった。


 それでは皆さん聴いてください。曲は『非モテにいきなりイオナズン級のかわいさ脳みそにぶっ放すのは非常識です』どうぞ。

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