第2話 無知

 朝起きて俺は爺さんと此処から一番近い町に連れて行ってもらった。

 町の名前はトロキア。大きいとも小さいとも言えない。

 俺は魔物から逃げるために村から遠くへ出たのはこれが初めてだから、他の町との比較はできないけど、そこが大きいかどうかはなんとなく分かった。


 町の近くに大きな牧場が隣接してあったので、多分小さな村が町になったのだろうと思った。町を見張る兵士らしき姿も、俺が村で見たことがある質素な装備ばかりで、雰囲気は長閑そのものだった。


 爺さんと俺が町の入り口へ近づくと、見張りは「ようこそ」と気前よく歓迎してくれた。元村なら警戒心が無いことは何となく分かる。村が突然町になったところで誰にもほとんど知られないからだ。

 町の事情は知らないけど。


「よし、町に着いたぞ。ここなら外より比較的安全じゃ。もうここでお別れで良いかの?」


「うん。大丈夫」


「では達者での。また魔物に食われそうになるでは無いぞ」


「分かったよ」


 ここが元村なら、もしかしたら俺の村が焼かれたことに関して報せが入っているかも知れない。

 お父さんやお母さん、若しくは村の誰かに、この村に知り合いがいれば良いんだけど……。


 俺がいた村はクレイン。この村のことを知っている人はいるだろうか。


「見張りさん、クレインって村知ってますか?」


「ん? クレイン? いや、知らないなぁ。どの辺りにある村なんだい?」


「えーっと……あーその」


 駄目だ。初めて村を出たから、自分の村がどの位置にあるかなんて、そんなこと考えたことも無かった。

 なら正直に言うしかないか。


「俺、自分の村が魔物に襲われて、全部焼かれたんです……いや、もしかしたら生き残っている村人がいるかも知れないけど。自分は死に物狂いで逃げて来て……」


「あぁそうかい。それはお気の毒に。済まないがクレインと言う村は聞いた事が無いな。そこにあるギルドに行けばもしかしたら何か分かるかもしれないね。

 まぁ、他の町のようなギルドでは無いけれど……」


「ギルド? 分かった。行ってみます」


 ギルドとはどんな場所なんだろう。俺の村には無かった。

 村のことを知っているかも知れないと言っていたから役所のような場所なのだろう。


 俺は町の建物や行き交う人々を見渡しながら、町の中で一際大きい建物の前に来た。

 建物の看板は読めない。文字の読み書きは教えて貰ってはいたが、ごく簡単なもののみ。一応目を凝らせば、『ギルド』と書かれた文字だけ読める。その文字の前に何か書かれているが、なんて読むのかが分からない。


「おじゃましまーす」


 俺はゆっくり建物の扉を押し開けて中へ入る。扉はかなり重く、俺の力では少しだけ隙間を開けるのが精一杯だった。

 中は外からみた大きさとは違って、広くはあったが閑散としていた。

 役所というより、村人の休憩所のようになっていた。


 そうして俺は自分の身長より高い長机の元に向かって、向かい側にいるお姉さんに向かって話し掛ける。


「すみません。クレイン村って知ってますか?」


「どうしたの僕? クレイン村? んー聞いたこと無いわねえ。この辺りで聞いた事がない村となると、辺境の村かしら?」


「そうですか……」


 何も知らなかったと俺は暗い表情をすると、さらに何かあったのかを聞かれたので、この町まで来た経緯を話した。


「村が魔物に……それは。ごめんなさい。やっぱり分からないわ。地図みたら分かるかな? 場所は分からなくても、ここまで来るのにどんな場所を通ったか覚えてない?」


「えーっと……とにかく逃げてきたから、狼のような魔物に食われそうになったとしか……」


 ただとにかく振り返らず俺は逃げてきたから、何処を走ってきたかなんて全く意識していなかったし、覚える気すら無かった。

 どんな魔物に会ったとかじゃ参考にならないだろうか?


「狼の魔物かぁ……世界中に分布してる種族だしなぁ……」


「そうですか……分かりました」


「僕くんはなんでこの町に来たの? お家に帰るため? 村を助けてもらうため?」


 俺はどちらの質問にも首を横に振った。家に帰ってもどうせ家は燃えているだろうし、村を助けてもらうにしろもう遅いだろう。

 じゃあ俺はなんのために町に来た? 安全な場所を探すため? それも違う。

 ただただ、宛てもなく逃げて来たんだ。何も出来ずに。


 俺はこれから何をしたら良いんだろう? もうこの町に俺の村を知る人間は多分いない。どの方向から来たのかさえも分からなきゃ探すことも出来ないしな。


 駄目だ。俺が知っているのは簡単な文字と村の名前だけ。何かしたいとも思わないし、何かやろうとも何も考えてない。

 そもそも俺ができることなんてあるんだろうか?


「はぁ〜あ……」


 ギルドのお姉さんと別れてから、ギルドの中の椅子に座って、項垂れることしか出来なかった。


 そう俺がため息を吐くと、扉が勢いよく開かれる。


「小僧はいるかの? ……お、いたいた。小僧! もしかして、何もやることが無いとか思っとらんかのぉ!」


 俺は町へ案内してくれた爺さんだった。上半身は正面がはだけた薄い白い道着で腰に黒い帯を付けていて、下半身も薄い白いズボンだけど、裸足。そんな服を着ている爺さんだった。


 俺はその爺さんをみた時に、はっとやりたい事が思いついた。


 俺は爺さんに向かって走りながら頭を下げる。


「爺さん! いや師匠! 俺を強くしてくれ! 師匠みたいに強くなれば、今後魔物に食われることも無いし、道に迷うことも無い。それに村のみんなを次こそ守る力も得られる! だから、お願いします!!」


「ほう……小僧。名は?」


「名前? えーっと俺の名前は……」


 俺の名前はロア。村で友達を作ったり、誰かと知り合う時は、この名前を名乗れと教えられた。挨拶というどんなことにも必要なことらしい。


「自分の名前を知らぬか。ならば小僧。お前はファウストと名乗れ!」


「え、いや違……ふぁうすと?」


「そうじゃ。ワシの弟子入りするのなら、これからそう名乗ってもらう! 元の名前なんざ捨てろ! お前の名前はファウスト・ハーデットじゃ!」


「え、えええええ……」


 こうして俺はロアという名を捨て、ファウストという名前に改名された。

 何故かは分からない。俺がすぐに名前を答えられたら、もしかしたらロアだったかも知れなかった。

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