彼は立派な魔法使いだった

ササガキ

彼は立派な魔法使いだった

 月も顔を出さない雨の夜。

 真っ暗な路地裏で僕は、いつものようにゴミ箱を荒らしていた。

 ツンと刺すような臭いが鼻の奥を刺激するが、慣れてしまえばいくらかは耐えられる。たまに入っている小動物の死骸以外は――。

 体が汚れるのも、においが付くのも気にしない。

 もう何日も食べてない。ぼーっとする頭を何度も振りながら、必死に手を動かした。

「おい! てめぇ何やってやがんだ!?」

 雨の音が強かったから気が付かなかった。

 丸々太った男が、大きな手をこちらに伸ばしてくる。

 瞬時に、逃げなきゃと悟った僕は、男とは反対方向に走り出す。

 しかし、骨と皮しかないような細い体で大の大人に勝てるはずがない。

 すぐに首根っこを掴まれて、それから――。


 気が付けば泥と血に塗れ、ボロ雑巾のように転がっていた。

 さすがにあの男も人を殺すのは躊躇われるらしい。好き放題殴り、蹴り、投げ飛ばした末に、あの男は中途半端に僕を生かした状態で放り捨てた。

 壁に寄りかかり、雨に打たれながら『どうすれば苦しまずに死ねるか』頭の中ではずっとそのことを考えている。

 ちょうど、そんな時だった――アナタが現れたのは。

「あらあら、こんな所に……」

 鍔の広い先の尖った黒い帽子に、全身を覆うこれまた真っ黒なコート。内側に着ているスカートは足元が所々ほつれている。

 暗い夜の中に溶けてしまいそうな衣服に身を包みながらも、帽子の帯に付いた花の揺らめきが印象的だった。

 まるで日が登ったばかりの晴れた空のような淡い水色の花は、雨の降るこの真っ暗な夜の中でも消えることのない輝きを放っていた。

「ふふ」

 アナタが不敵な笑みを浮かべながら、僕の汚れた頬にそっと触れた時、初めてその顔を見た。

 長い髪を後ろでまとめた美しい人——。

 ほつれたスカートとは裏腹に、ちらと見える編み込みがとても丁寧だった。

「魔法の一つも使えない憐れな人の子……」

 その声はとても透き通っていた。足音を隠すほどの雨の音も気にならないくらい、鮮明に僕の鼓膜を揺らす。

「あら。あなた綺麗な目をしてるのね」

 僕の顔を覗き込んだアナタの目が、嬉しそうに笑ったのを今でも覚えている。

「私の好きな、花の色にそっくりだわ」

 空腹と全身の痛みにぼーっとしていた意識が、一気に明るくなった。

 心の中に渦巻いていた何かが晴れた気がした。

「そうだ。あなた、私と一緒においでなさい。魔法を教えてあげる」

 アナタはあの時、どうしてそんなことを言ったのか。

 それは今でも分からない。ただの気まぐれかもしれないけど関係ない。

 だって――だってアナタは、僕に生きる「理由」を与えてくれたから。



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「うん。今日も美味いな」

「当然でしょう。彼が淹れてくれた紅茶なんだから」

 部屋の外で魔術書とにらめっこをしている少年を見ながら私はそう答えた。

「いやはや。あんな優秀な小間使い、滅多に見ないよ」

 机を挟んで反対側に座る黒髪ショートヘアの友人も、少年を見て悪戯な笑みを浮かべている。

「……ちょっとぉ? うちの子に手を出したら、いくらアナタでも許さないからね?」

「おぉ、こわいこわい」

 悪戯に笑う表情を変えないまま、彼女はまた紅茶を一口飲んだ。

「それで、今日はなんの用?」

「……なに、大したことじゃあないさ」

 刹那、彼女の笑顔が少し悲し気に変わる。

 その表情だけで、私は彼女の身に起きることを察してしまった。

「……そう、アナタも」

「仕方ないさ。魔女は人間界では生きていけない。その逆もまた然り……」

 彼女は大きなため息をひとつ吐くと、天を仰ぎながら言った。

「…………」

「ま、そう簡単に死ぬつもりはないよ。彼らはボクを火あぶりにしたいみたいだが、雨を自在に操ることができるボクの魔法には敵わないさ」

 「ハハハ」という彼女の乾いた笑いだけが響く。

「何とかできないの?」

「無理だね。それに……もう本性を隠しながら生きるのは疲れた」

 そう言うと彼女は立ち上がり、鍔の広い真っ黒なとんがり帽子を目深に被る。

「次に会えることがあったら、その時はまた温かい紅茶でも飲みに来るよ」

 再び悪戯な笑みを浮かべた彼女は、手をひらひらと振りながら部屋を後にした。

 

 去り際、魔術書を読む少年と何かを話している様子だったが、私には気に掛ける余裕もなかった。



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 雨がひしひしと窓を打ち付ける。

 今年は雨季が長く、ここ数日に渡って雨が降り続いている。

「……アナタなら、この天気もどうにかできたのでしょうね」

 親友の訃報が届いてから、もうすぐ十年の年月が経とうとしていた。雨が降る度、彼女の悪戯な笑みを思い出す。

 と、そんな時、廊下からぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。

「ん……」

 廊下に出ると、そこにはバックパックを持った青年の姿があった。

「……今日もおでかけ?」

「ええ、まあ」

 出会った頃に比べ、随分と低くなった彼の声に少し落ち着きを感じる。

 いつの間にか抜かされた身長も、初めは人の子のくせにと癪だったが、今では彼の大きな背中を頼もしく思う。

「あんなに必死に魔法の練習してたのに、最近は土いじりばかりね。ついに諦めたのかしら」

「ハハ、まさか」

 青年はバックパックの中に、何やら肥料とスコップを詰め込んでいた。

「ね。毎日どこに行ってるの」

「んー……秘密です」

「ちぇー」

 私は無意識に口を尖らせていた。

「……でも、ボクが魔法を使えるようになったら、師匠を招待してもいいですか? 目処は立ってるんです」

 朗らかな笑顔でそう語る青年に、私も満面の笑みで応えた。

「もちろん、楽しみにしてるわ!」



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「結局、魔法一つ使えないまま、老いぼれになってしまったな」

 すっかり皺の増えた顔で朗らかに笑う老人と魔女が、二人並んで紅茶を嗜んでいた。

「まだ諦めてないがね」

「ふふ。ばかね」

 老人の肩に魔女は寄り添うように顔を預ける。

 この時間が永遠に続いたらいい。そんな微睡み(まどろみ)に溶けながら、魔女は言葉を続けた。

「でも仕方ないわ。だって、あなたは……」


――「人の子だもの」。

 止め処なく降り続ける雨の中、一人の魔女が地べたに座り込んでいる。

 雨に打たれることも、泥に塗れることも厭わず。彼女はただ目の前に立つ墓石を見つめていた。

 墓石に刻まれていたのは、かつて彼女が拾い育てた者の名――。

「うっ……ううっ……」

 大粒の涙を流す彼女の声は、降りしきる雨の中に消えていく。

「うわあああああっ」

 どれだけ涙が勢いを増そうとも、その音を雨は無情に飲み込んでいってしまう。――と、まさにその時だった。彼女が墓石の端にあった封筒をみつけたのは。

「し、招……待状……?」

 刹那、先ほどまで激しく降り続けていた雨が止んでいることに気が付く。

 それだけではない。視界の端に映る水色の花弁に彼女は顔を上げた。

「……っ‼」

 いつの間にか彼女を中心に辺り一面、澄んだ水色に輝く花が咲き乱れていた。

 吹けば飛ぶような繊細な花弁を持ちながら、それでも彼方の空を望むように咲くその花は、いつしか彼女が「好き」と語った花だった。

「…………」

 気づけば花に呼応して、彼女を見下していた鬱々とした雲は消えさり、どこまでも薄青色の空が広がっている。

 言葉を失い硬直する彼女を、水色の花弁を揺らした風が背中を押す。

「これ……手紙……?」

 招待状と書かれた封筒の中に、彼女は一枚の紙が入っていることを見つける。

「………………」

 青年の頃に書かれたのであろう手紙の言葉遣いに、読みながらして彼女の目から再び涙が溢れた。

 しかし、それはこれまで流した涙とは違う。

「ばかっ……ばかっ……」

 彼女は手紙を抱きしめながら、もう一度顔を上げる。

 空も大地も。彼女が愛した色に染まった風景が、そのまま彼女の瞳に映る。

「…………」

 雨に濡れた袖口で溢れた涙を拭うと、彼女はもう一度、目の前の墓石に書かれた名前を見る。

 すぅ、とひとつ息をすると彼女は囁くように言った。

「またね」

 優しく微笑む彼女の頬を、穏やかな風がくすぐった。

 




(完)





原作:ゆづあ(@CocoRabbt)様 「#魔女集会で会いましょう 『彼は立派な魔法使いだった』」より

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