第35話 決起、バルス・モーダント

 嵐の前の静けさ、という言葉がある。

 いまの状況がまさしくそうであった。

 着実に敵に近づいているのだが、邂逅する予兆さえ感じられない。


「まだか」

「気持ちが逸れたら、すぐ動き出しますよ」

「とはいえだな」

「デクスター様らしくありませんね」


 シャーリーと幾度かこの問答を繰り返した。

 フラストレーションはつのる一方である。

 血を求める体のせいだろうか。


「進軍スピードを上げるか」

「焦るな、デクスター。これは一世紀に一度の大一番。もうすこしの辛抱だ」


 話を聞いていたのだろうか、バルスは急に俺をたしなめた。

 年を重ねた者の言葉は深く沁み渡る。

 冷静さがようやく戻ってくる。


「失礼しました、バルスお父様。どうも落ち着かなかったもので」

「それは誰しも同じこと。私にも欲と不安と自信とで胸が一杯だ」

「ッ……!」


 あの悪役貴族の長も不安を感じるのか。

 それは意外なことで、瞠目を禁じえない。


「次世代のモーダント家を支える者がぐらついては周りも動かん」

「その言葉、しかと肝に銘じます」

「わかればよい。いずれにせよ、戦いが始まれば不安をほざく暇もなかろうよ」




 バルスと会話を交わしてから半時間が経過した頃、戦いの火蓋は切って落とされた。

 始まりを告げたのは、魔王の降臨である。

 雲行きがだんだん怪しくなり、空が赤黒く染まった。


「魔王領のときと、同じ色……」

「とうとうやってきたか」


 進軍はとうに止まっている。

 ここにいる誰しもが、異様な空模様に目を向けていた。

 特定の箇所だけがいっそう空の黒さを増していき、不穏だった。


 そこだけがグルグルと渦巻き、異形の足が姿を見せる。

 ――竜だ。

 雲の上から降って全身が見えるようになる。

 すると、魔王は竜の上に跨がりながら高々と宣言した。


「ここが人間の住みし世界か。訪れなくなって久しいな」


 魔王の声は、直接脳内に語りかけてくるようなものだったらしい。

 その証拠に、ここ一帯でどよめきが伝播していた。

 はるか遠くから、異国の言葉――魔王による影響か――がここまで聞こえてきたのである。


 ふつうの王国民・帝国民ならば、魔王は神話やおとぎ話に登場する存在にすぎない。

 いざ本物と対峙すれば、凶々しい相貌と途轍もない負のオーラに動揺するのは当然といえよう。


「――いま、私は戦いを求めている。人類に私を倒しうる者は存在するのか? 人類最強とはいかほどか? 疑問はあるときを境に頭をよぎり始めた」


 しばらくして、魔王からふたたび言葉が紡がれた。

 竜が両翼を羽ばたかせ、音を立てている。

 誰もが黙っている中で異彩を放っていた。


「挑みたいものは誰でも挑めばよい。誰だろうと私は歓迎する。名乗りを上げるものがなければ……お前たちは竜の咆哮ほうこうに飲まれ、粉微塵になって死ぬだろう」


 声にならない悲鳴が聞こえた気がした。

 魔王領からの明白な脅迫に、さらなる恐怖が駆け巡る。

 誰も行かなければ、圧倒的な力の前に数多の命が無為な死を遂げるのみである。


「魔王よ!」


 大声が、近くからあがった。

 これまで人の気配などまるでなかったはずであるが、そこには確かに人がいた。

 隠密系の魔法の使い手だったのだろうか。


「我は帝国に仕える一介の騎士! その志は帝国随一と自負している! 私が魔王討伐をなさしめよう」


 立ち上がったのは三人の男騎士だった。

 まさかこの状況で名乗りが上がるとは。

 魔王の尋常ならざる強さを知らないために、揚々と命を捨てにいけるかもしれないが。


「勇気ある行動に賞賛を示そう。かかってこい、取るに足らぬ騎士よ」


 まるで警戒すべき相手だと見なしていない。


「取るに足らぬとは余裕そうだ」

「我らが勇者トリオ! ここで魔王なんぞ易々と討伐してやろう」

「千年に一度の大出世チャンス到来だぜぇ! いくぞ!」

「「「オー!!」」」 


 鎧を揺らしながら走る。

 剣に魔法を付与し、攻撃に備える。

 戦いの意思表示をした魔王が、竜に乗ったまま急降下。


「食らえ!」


 降りてくるタイミングに合わせ、まずは竜を切り倒そうと動く。

 魔王は手を抜いており、目を瞑ったままだ。

 とくに構えておらず、一見すれば魔王は隙だらけだった。


「チャンスだ、ここで一気に仕留めるぞ」


 三人の騎士は、竜の担当と魔王担当で分かれたらしい。

 時が満ち、いざ攻撃!……とはいかなかった。


「えっ」


 シュン、と一筋の光がきらめく。

 首筋を深く貫き、頭部が横にスライドした。

 騎士のひとりが殺されたのである。


 他のふたりも無惨だった。

 一方は体を八つ裂きに、もう一方は……名状しがたい酷さだった。

 いずれにしても、結果として彼らは見せしめにしかならなかった。


「口ほどでもなかったようだ。魔王様の手を煩わせるまでもなかった」


 四天王最後のひとり、ルザノスが嘆息した。

 彼も竜に乗っていたようだが、気配を消していたらしい。

 あの速さなら、騎士を殺すのも朝飯前だっただろう。


「あの程度では、私は満足いかない……やはり、ここにいる程度の者は皆殺しにされても仕方ないか」


 魔王はわざとらしく落ち込んでいるようだった。

 実力不相応の強敵に挑む、頭の回らぬやる気だけ盛んな猛者は出てこない。

 仮にいたとしても、先ほどの一方的な虐殺で我に返り、愚かさに気づいているだろう。


 そうなると、最強格の者たちが出てこないと話は始まらない。

 各勢力を考える。

 帝国、王国、【魔法殲滅の会】。


 帝国は皇帝が魔王と繋がっている。

 あの【魔法殲滅の会】は帝国の下にある組織。

 すると、生贄を捧げる不運な陣営は決まる。


 王国である。


「私はいかない! これからも贅沢暮らしがしたいのだ。自ら命を捨てにいくたわけがあるか!」

「誰も名乗りでなければ、いずれにせよ死ぬ。ならばここで名誉をあげ、子孫のために命を捨てた方がよかろう」

「ならお前が行け! 名誉など私はいらんからな」

「お断りしておくよ。魔法が弱いからね」


 誰が先陣を切るかと揉めていた。

 誰も責任を取ろうとしない。


 ……いや、俺が蒔いた種だ。

 ここで動かなくてどうする。

 しかし、俺ひとりでは結果が知れている。


 ではどうすれば……。


「ゆこう、私が」


 決意表明が満を持してなされる。


「魔王よ、あの日の決着をつけようではないか」

「ほぅ、懐かしい顔ではないか」


 我がモーダント家領主、バルス・モーダントが立ち上がった。

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