第7話 まずはお友達から
「私は名乗ったぞ。どれ、名を聞いてやろう。ほれ言え」
あっちこっちで乱戦が起きている。流れ弾の火炎や雷撃、拳や刀剣槍戟の遠吠えに恐怖しつつ、その上相手は未踏峰? 冗談にもならない。危機的状況なんてレベルじゃない、絶体絶命だ。
「あー、本当に悪いんだけど、また後で!」
「逃さん!」
「せめてスーツだけでも! 高かったんだ!」
「墓に備えてやる!」
気の早すぎる墓標が立て続けに地面から生み出されるが、それらを足場にしスーツ目掛けて跳躍した。
が、足首が急に痛み出した。見れば万力のような力でアリスが握り込んでいるではないか。
「この身のこなしで一般人は嘘だろう」
魔族の膂力をレイさんによって知識と経験として得ていたものの、アリスのそれは桁違いのものだった。視界がふっと揺れ動き、背中に凄まじい衝撃がぶち当たった。彼女が操る土壁に衝突したのだと気が付いたのは、血反吐を吐き散らかした後だった。
この程度で済んで良かったとさえ思う。頭からぶつかっていたら即死だっただろう。
「まあ、こんなものだろうな。あっちの同胞に期待するか」
インカムで助けを呼ぼうにも、いったい誰に、なんと声をかけるのか。そもそも壊れているから意味もない。壁にもたれたまま死んだフリで見逃してもらおうとも思ったが、彼女の足音は確実にこちらへと向かってきている。
「生きているか?」
風を切る音に反射的に身を捩ると、頭のあった部分に前蹴りが炸裂していた。壁が粉々になり、土煙がお互いの間に巻き上がる。
「名も無き人間よ。意外とはしっこいな」
「そりゃどうも!」
やるしかねえのか。それにはまず、上着がいる。上着の中のカードがいる。距離は目算六メートル。しかし空に浮く月よりも遠くに感じた。
「聞きたいんだけどさ」
血ばかりの咳が地面を濡らす。全身は激痛に喘いでいるくせに、心には火がついていた。私は私のこういうところが欠点だと分かっているのに、矯正する機会はいくらでもあったのに、何故だかこれに身を任せているのだ。
「あんたのライセンス、何等級だい?」
「更新したから二等だ」
「一発で取ったの?」
「ああ。最初は四等だったけどな」
「出来が違うね」
じりじりと距離を詰める。無論、彼我の距離じゃない。私と二万円オーバーのあの上着とだ。これが生命線、縮まれば伸びる不思議な図式だ。
「身嗜みには気を使うようだな」
「それが分かってんなら、止めにくればいい」
「なぜだ? 全力を出し合ってこその戦士だろう」
「じゃあ、上着を着るくらいは許してよ」
「妨害工作も戦士の華だろう」
スーツの真下から石柱が跳ね上がる。最悪の展開だが、何より彼女が突撃してきていることの方がまずい。
「こっちは丸腰だぞ!?」
亜空間から取り出された一振りの剣が、鞘から弾き飛ばされるように白刃を見せた。ぱっと切り裂かれる寸前に身を伏せ、そのまま横っ飛びに回避する。三日月と見紛うそれは、またしても私を狙って迫り、鼻先をかすめた。
「あぶねえ……」
「幸運か、それとも実力か?」
後退りの先には壁がある。どうやら四方を囲まれたようで、彼女謹製のリングには逃げ出す隙が全くない。
歩み寄る彼女の真剣さと私の臆病が視線によって混ざって、一方には失望を与えた。
「死にたくないなら出てこなければいいのに。避難勧告は出たはずだぞ」
「その通りだね。今度から休暇をもらうよ」
「やはり組織に属するか」
「おっと。口が滑っちゃった」
横薙ぎを回避し、リングの中で死神から逃れようとするこのザマは、まさしく牧場の小さなウサギだろう。彼女の刃は自らの壁を簡単にぶち壊し、切り裂き、そしてまた新しい壁を用意する。魔力の量も質もずば抜けていた。
「時間稼ぎか? 何を待っている」
「強いて言えば、見てよこれ、ひどい格好だ。シャツは血塗れ、ズボンは穴だらけ。せめて上着があればってところさ」
「上着? あそこに引っかかっているあのボロ雑巾か? さっきからおかしなことをしていると思っていたが、本当にあれが欲しかったのか?」
「ひどいこと言うね。でも、そうだよ」
「じゃあ、骸に着せてやる」
がらりと壁の先端が崩れ落ちた。私の頭上に降るであろう当たれば致命のそれを、なんと彼女は自ら蹴り壊してしまった。
「な、なんで……?」
「不運で終わらせるには惜しいくらいに楽しい時間だからだよ。これだけ長く喋ったのは久しぶりだ。チンピラ相手だと軍議も適当だし」
「へえ。友達いないの?」
「残念なことに少ないんだ。お前がそうなってくれるといいんだが、まあ、終わりだ」
粉砕された石壁が、砂利となって降り注ぐ。キラキラと輝くそれらを吹き飛ばす一刀が、私の体を横殴りにする。
最後の瞬間だろうが、どうしてか、私の右手は空に伸びていた。
「なっ、まだ避けるか——!?」
背後の石柱に足をかけ、そのまま垂直に飛んだ。滞空中に壁面を掴み、そしてアリスの後方へ一回転。拍手が欲しいところだが、こんなのは序の口だ。
横ぐわえにしていたカードを手に取り、胸に押し当てる。
「なってやるよ、友達に。それにはまず、名乗るところから始めよう」
『音声認識開始。識別名をどうぞ』
「姓は姫昏、名は時雨。
「ライセンス……。そうか、そういえば資料にもあったなあ。やはり格下相手にも軍議は真面目に行わねばならんな」
鎧甲冑の黒々とした光沢は、闇夜に映えるわけもなく、それは彼女のコートも同じである。まるで影がひしめき合うようなこのリングの中で、
「姫昏時雨、か。ライセンスは四等。しかし、修羅場は潜っていると資料にはあったな」
「馬鹿だよな、人間てのは。いつの時代も、未踏峰って言葉に弱いんだ」
刀を抜く。銘は忘れた、家宝の刀をライセンス取得の際に打ち直してもらったものだ。
「頂からは、何が見えるのかねえ」
魔族、しかもライセンス持ちで組織に属し、しかも幹部だ。疑うまでもなく一流だ。きっといくつもの苦い過去を糧にしたのだろう。
しかし、それは私も同じである。
「戦士の本懐を遂げさせてやろう」
「仕事は果たすさ。きっちりと、過不足なく」
「青ちゃん! 通信復旧急いで!」
「いや、受信機がないから無理よ」
「車内ではお静かに」
「風子ちゃん。中指立てる暇があるなら、私が一走りして回収してきてやるよ、くらい言ったらどうなのさ」
「青じゃないけど、特別手当てとか出るの?」
「えっと、どうなの?」
「社長なんだから自分が決めなさいよ。まあ、そうね」
「優雅に何飲んで……うわ、紙パックの清酒……安月給へのあてつけじゃん」
「ホントよ、失礼しちゃうわ。しかも風子ちゃんがハンドル握ってるのに飲むなんて。ねえ、ちょっとちょうだいよ」
「半分ずつ分けましょう」
「ひでえ連中。でさ、青、どうなのよ」
「ワンカートン。おまけにライターも付けちゃう」
「足りねえな。私の命を安く見積りすぎ」
「じゃあ、三人分の命なら? こうなったら社長自ら出撃しちゃうよ」
「え? 三人って、私も行くの?」
「分けたら余計に安くなっちゃうよ。まあいいか。そんじゃあ、あー、どっかで給油したいな」
「あそこの角のところ安かったわよ」
「自腹ね。よかった、私が経理で」
「ケチ」
「あはは。青、いいじゃないそのくらい。かなりの儲けが出るし、何か壊れても大神持ちだもの」
「さすが社長。で、いつ出発すんの?」
「……この破砕音と爆発音が止んだら行こうか」
「それってレイたちの終わりと同時じゃない?」
「風子、それ正解」
「ぐ、じゃあ十分後。一杯やってからにしよう」
「そうね。大正解だわ」
「ひでえ連中」
鍔迫り合いというものは非常な重労働だ。
「どうした時雨! それでは格好がつかんだろう!」
腕が震える。足がすくむ。次の行動を起こせば、それが命取りになるような、そういう錯覚は数十センチ先にある彼女の表情によるものだ。
私を敵として認め、敵であるから倒さねばならず、倒すからには全力で。未踏法の山肌は攻略のきっかけ一つもないほどに滑らかで、私は指をかけることもできず滑落している。
腹を蹴られ間合いを取られた。自然と顔が下を向き、うなじに強烈な殺意を感じ取った。
迷わず、出鱈目に切り上げると、幸運なことに刃は交わった。跪きながらも上からの剣撃の圧力を逸らしバックステップ。距離を取ったところで呼吸すら整えさせてはくれず、石柱が腹にぶち当たった。
「ぐえ」
地面を転がりながらも素早く身を起こし、青眼に構える。
「アリスさん」
「呼び捨てでいいぞ」
レイさんもそうだけど、おおらかなのが魔族なのか、それとも個人的な気質なのか。
「あんたらが優勢だよ。そろそろ降伏勧告でも出したらどうかな?」
「面白いなお前。それとも所属している組織からしてそうなのか? だからあの白髪の同胞もそっち側にいるのかな」
何が面白いのかはさっぱりわからないけど、機嫌は良さそうだ。この調子で少し休憩がてら話をしようじゃないか。
「さあね。しかし、貧乏くじを引いちゃったね。次のライセンス更新では、あんたと剣を交えたって自慢するよ」
アリスは土壁を展開しつつ、柱でこちらの移動を制限し、そこに剣術を合わせてくる。戦上手であり、その最中にもおしゃべりを中断させなかった。
「できるのか」
ここで殺すという含みのある嘲笑には、どこかに私への期待が混ざっていた。
「するんだよ」
これは強がり。だが口にしなければ心が折れる。いなしたはずなのに、彼女の剣圧はシャツを切り裂き肌に赤い線を引く。攻防のいずれにおいても私は出血を余儀なくされ、石柱が林のように乱立する修羅場に、口が疲れるからといって黙っていることができなかった。黙れば、それが永遠のものになりそうだったから。
「ふむ」
彼女は間合いを取り、ひと呼吸おいた。肩に担いだ剣は、長さが一メートル半ほどあって、彼女の体格があればこそという業物だ。
「どうして使わないんだ。いくら四等ライセンスとはいえ、あるのだろう」
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