第6話 未踏峰
「私がこいつらをやるから、お前はあっちな」
案の定、ぶっ飛んだ提案だった。
「馬ァ鹿かよう! なんでそんな」
「はい。行ってらっしゃい!」
またしても、私は空を飛んだ。正しく空を移動して、そして落下する。ただし落ちた先は道路でも、ましてや車のボンネットでもない。
「ぐえ」
と、ダスク・エイジのひとりの頭に私の背中が直撃した。相手と私の悲鳴が重なったが、ダメージはこっちの方が大きだろう。
「な、なんだこいつ」
「敵だろ。殺せよ」
「あの魔族がぶん投げてきたんだ。やばいな、いかれてる。
「あ、頭が……。なんで俺の上に……」
「あんたはまだいいよ。私は背中だぞ、その角がもっと鋭かったら死んでたね」
「言えてらあ。あはは……痛えな、あはは」
「お前が笑うなよ。で、あんたは何者なんだ?」
レイさんに殺到する魔族たち。そのやや後方で、呑気な談笑をする私たち。彼らはおそらく回復や輸送を担当しているのだろう。だからこそ、奇妙な間を持つことができる程度の余裕があったのだ。
「何者って、私だけど?」
一瞬の静寂。ああ、あっちでは雷が空に伸びてらあ。
「お前敵じゃん!」
「違っ、そうだけど、待って待って撃たないで!」
「撃て! ぶっ殺せ!」
きゃあ、などという久しぶりのマジな悲鳴をあげながら逃げ出した。
「お前らあのガキを狙え!」
「ガキじゃねえやい! ンな歳に見えんのか!」
魔族の寿命は人間に比べるととても長く、というよりも老衰したという話を聞いたことがないくらいだ。みな戦いの中で命を落とし、彼ら全体にそれこそが誇りであるかのような風さえあった。
「あの元気なガキだ! 逃すな!」
「ガキでもいいから見逃してくれ!」
連中、足がはやい。スーツに何度もその指がかかり、靴も片方なくし、なんとか路地裏を何度も抜けて振り切った。土地勘の浅いことを補うために、窓をよじ登り屋上を経由したことが功を奏した。
「馬鹿どもめ、おーやってらあ」
背の低いビルの屋上から、戦場を見下ろす。
レイさんだ。あの派手な火炎は注目を浴びるのにはもってこいだろう。遠くには津同さんたちの援軍も見える。もうすぐ、ここには血の河が流れるだろう。
シャツをズボンに押し込み、できるだけ身なりを整えた。スーツは左の袖がなくなっていたし、足元は靴下だけである。しかも穴が空いて親指から中指までが地面を噛んでいた。
「絶対経費で落としてやる」
上から自分の服を探すと、それは敵陣のど真ん中にあった。さすがにあそこまでは飛び込めないけど、戦域が移動すればチャンスはある。裁縫にも自信があるし、スーツの繕いくらいはできるだろう。
「なんか気が大きくなってんな。いかん、しかし、まあやってみるか」
飛び降りることができれば格好もついただろうけど、そこは慎重に階段を降り、こそこそと路地に身を潜めた。十メートル先を走るダスク・エイジの連中は、レイさんに殺到したり、そのさきの大神信奉へと視線を集めている。
スーツを拾うチャンスだ。踏みつけられてめちゃくちゃなスーツだけど回収しなくてはならない理由がある。しかも二万三千円だ、失うには惜しい。
「今だ!」
身をかがめて疾走すると、意外なことに、何度か体当たりをされて罵声を浴びせられるくらいですんだ。スーツを確保して引き返そうとすると、ぱっと誰かにぶつかってまた取り落とした。そんなことを何回かしているうちに、集団は過ぎ去り、スーツもまたそれに引きずられるようにして移動していた。
「なんだってんだよまったくよう」
「そこの。戦列から遅れているぞ」
なんだかアイドルみたいに甲高いけど、それでいて底冷えのする声が降り注ぐ。
馬に似た魔獣に騎乗する彼女が誰なのか、油の切れた機械のようなぎこちなさで振り向いた。
「見ない顔だな。どこの誰だ、うちのものではないだろうから、雇われか」
馬から降り、一歩々々と歩み寄ってくる。レイさんよりも上背があって、黒いコートが風に揺れた。
スーツはブランド、しかし軍靴が厳しい。そしてそんな物々しい風体なのに、闇夜に輝く顔はどうにも心が惹かれる。
「ん? その顔、どこかで——」
ツインテールのホワイトブロンドを腰まで垂らし、角は耳のやや上から生え、後頭部に回りこむように曲がっている。結った髪の根元をかすめていて、あれでは手入れが大変そうだが、さらりと風に揺れるあたり、櫛を必要としていないのかもしれない。
透けるような髪が眉毛に触れ、その下に収まる瞳は不気味な緑が灯り、私を見据えている。彼女の気骨のように真っ直ぐな鼻筋から赤い唇、そして滑らかな顎、そしてなんだあの突き出た胸は。
「貴様、ライズ・ファームか」
「ち、違います! 逃げ遅れた一般市民です!」
背を向けることはその眼差しが許さず、奇しくも西部劇での決闘のような格好で立ち会ってしまった。この動揺と、わずかながらも見惚れていたという毛恥ずかしさを隠し通さなければならない。
「なるほど単身乗り込んできて敵将の首を獲るというわけか。賢しいが、無謀だ。しかしその覚悟は」
「ちが、違うんです! 本当に、私はなんでもないんです! そのライズなんとかってのとは無関係なんです!」
「思い出した。資料にあった新入りだろう」
顎に手を当て余裕の表情だか、それは美術館に納めるべき美貌で、月光と私だけが観覧していいものじゃない。
(どうしてこうなったんだ!)
インカムに入電、社長からだ。
『業務連絡! 大神信奉第一陣敗走! 後衛組はさらに後方へと避難、戦闘部は各自の判断で離脱せよ!』
「ンな馬鹿な!」
「どうした? 急に喚くな。命乞いならもっと丁寧な方が好みだ」
「あ、あはは。お腹が痛いなあと。その、緊張しちゃいまして」
逃げなきゃならん。レイさんのインカムはすでに壊れているから、とりあえず声をかけて、そのあとで後衛に合流して、戦域から完全に離脱するしかない。
「情けない言葉、情けない面、情けない態度ときている。しかし、魔力だけはなかなかだな」
「……いえ、あなたほどでは」
「それがわかるか、戦士よ。どれ、お喋りもいいが、ここらで一つ始めようじゃないか。戦士が二人、ふむ、興が乗ってきた」
「すいません! 失礼します!」
踵を返して逃げ出すと、その進行方向上にいくつもの岩壁が迫り上がった。土属性の魔法で、日々野さんからもらった資料にもあったが、この土の術が彼女の代名詞でもある。
「あー……
「ここで自己紹介か? 冗談のような女だな。まあいい、その通りだ。アリス・クライブ。イントラキラル・ハウスの、まあ揉め事処理部隊だな。ダスク・エイジでは代表補佐をしている」
なんだか戦う気満々みたいだけど、こっちにはそんな義理はねえんだ。レイさんが仕事をしたんだから、あとは流れで解散したいんだ。戦いたくないなんて願望の前に、こっちは現状戦う術を持っていないのだから。
あのボロきれになったスーツの中にライセンスが仕舞われっぱなしなのだから。
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