第3話 優しくないとは思わない
「んねえ、姫昏ちゃぁん」
「気色悪い声を出さないでください」
社長は昨日に逃げ帰った私を、出社早々に捕まえた。
「ごめんねえ、青ちゃんやレイちゃんが迷惑かけてさあ」
「あんたもだよ。みんなそうなんだって」
「あはは、ひでえ言い草だ」
「レイなんか追っかけようなんて息巻いていたもの。反省しなさいな」
「寝てる間に何があったのよ」
レイさんが説明している間に、私は今日何をするかを考えながらコーヒーを淹れた。安い顆粒の、しかし馴染みの味である。
「私にも」
と全員が手をあげた。お茶でもコーヒーでも紅茶でもそうである。好みの問題ではなく、あいつがやってるからついでだし、という横着だ。
「はいはい。今持っていきますよ」
「砂糖ありでよろしくねー」
「私はミルクだけでお願いね」
「両方いれてくれ」
「一気するから冷まして持ってきて」
「うるせー! 自分でやれ!」
まったく度し難い横着だ。銀城さんは冷めるまで置いといてとこれでもかというくらいにわがまま、というよりもからかわれているのだろうか。
社長はコップを受け取ると、スプーンで混ぜ、かちりと音を立てる。
「特別戦闘許可証。脅威的な能力を持つものが所有する、もしくはさせられ、正当な理由があればあらゆる種類の戦闘に参加できる。それを姫昏ちゃんは持ってるのよね」
「能力を持たなくても所有できますけどね。私は座学を八十時間受けて、実技も一から教えてもらって、三度の実地検査をクリアして取りました」
誰でも持てると思ったら大間違いだ。そういうのは本当にごく一部の規格外だけで、私は普通に、英検みたいな感じで取っただけ。
「許可証はそれ自体が魔力の塊みたいなもので、それを行使することで
「そうかもしれませんね」
「好都合」
日々野さんが手をうった。どうせこうなるだろうと、昨日の夜からわかっていた。
「別にライセンスがなくたって、適当な理由で参加すればいいじゃないですか」
「私たちはそのライセンスに、正式な存在理由を求めていないのよ。それはね、正しい意味を持たないの。強い奴だけが持っていて、あるとみんながビビる。四等でもなんでもいい、脅しには最適」
「これは平和維持のための力です。他者を守るために使うって宣誓してるんですから」
「あはは、それになんの意味があるんだよ。誰かの禁煙と同じだ」
「黙レイ。何回も成功してんだよ」
中指と、そして煙の輪っか。我らの運転手さんはなにをしてもコミカルで、若干の愛嬌を常に保っている。
「とにかく、これは積極的な攻撃手段じゃないの。自衛と他人を守ることが最優先なんだから」
「でもあなたはうちの社員でしょ?」
「ライセンスが要らないなら私にくれよ。売ってもいいし、魔力を貯めるタンクに改造してもいい」
「だめ! それ取るのにどれだけ時間がかかったか! 青春が半分ぶっ飛んだんだぞ!」
「泥臭くて血塗れな青春だったのね」
日々野さんが涙を拭くふりをしながら抱きしめてくれた。ちくしょう、意外と胸あるな。
「実はね、今朝にまたメールが来たのよ。吹っかけてみたのにさらに上乗せしてきてさ。今更やっぱり参加しませんなんてこっちの面目丸潰れ状態でさ」
「潰れちまえ」
「レイちゃん」
「私ともハグしようぜ」
「潰すつもりだろ!」
「てなわけで、我々ライズ・ファームは大神信奉とイントラキラル・ハウスとの喧嘩に参加しまーす」
「青コーナーからの入場だなあ」
などとけらけら笑っていた銀城さんだが、のそのそとソファから降りて、煙草を買ってくるとオフィスを出て行った。自由な人である。
「青コーナー。なんて素敵な響きなのかしら」
「うっとりしてるとこ悪いけど、作戦会議するからスクリーンと映写機の用意をしてちょうだい」
ミーティングは突然に始まった。レイさんが部屋の電気を消し、日々野さんがパソコン操作とモニターを指し棒で叩く。社長は机に登ってふんぞりかえり、途中から入ってきた銀城さんは煙を吐き出しながら帰ってきた。
「依頼は実に簡単よ。兵隊、それに尽きます」
日々野さんがスクリーンを叩いたが、そこには白地に「戦闘員」とだけ書かれている。
「あっちの指示に従うかたちにはなるけど、基本的に自由に動きます。特に制限も設けられてないし」
「質問だけど、ここにいる全員が戦うの?」
「ンな訳ないじゃん。レイちゃんは魔法、あんたはライセンス、私はハンドル。適材適所だ」
「私と社長も後方待機よ」
つまりはレイさんが、戦闘部が喧嘩の役割を担う。私は総務か日々野さん側にいるつもりだけど、この人たちはそう思っていない。
「なあ青、それっていつ始まるんだ」
「それでは次の画面をご覧くださーい」
不明、とある。銀城さんはすっかり観客気分で、けらけら笑って中指を立てた。
「人が集まったら仕掛けるなんて言ってたけど、どれくらい集まってるのかわからないの」
「それは知っておきたいから、今から行こう。風子、車出せ」
「おう。みんなで行くの?」
電気が点けられミーティングはだらだらと終わった。身支度を整え出立の準備もすぐに完了し、
「当然。後ろにいっぱい引き連れて行った方が貫禄出るでしょ」
「あんたに貫禄? どうみたってお子ちゃまだ」
社長は背が低い。若いというより幼い容姿で、なんならローティーンでもまかり通ってしまうだろう。
「レイちゃんが威張っていれば問題なし」
「あっちにだって魔族はいるだろ。今時珍しくもないし」
「青ちゃんもいる」
「かましていくわ」
一番堂々としているのは日々野さんである。もしかしたら秘めた力があるのかもしれないけど、魔力は感じないし、白兵戦にも魔法戦にも敵性はなさそうだ。戦えるならレイさんと一緒に前に出るはずだし。
「姫昏ちゃんだって、ねえ? もうガンガンにお願いね」
「な、何を」
「うちはめっちゃすごい会社ですよってアピールするのだ」
銀城さんはそう言って車のキーを指でくるくる回しながら廊下に出た。移動となるとフットワークが軽くなる人だ。
「謙虚にいこうよ」
「下手に出る必要なし。あっちから頼み込まれて命を懸けるわけだから、ちょっとくらい傍若無人でも平気よ」
日々野さんは私の背を押して車に乗り込んだが、大神信奉の本社に到着すると、その態度をやや軟化させた。
「よく来てくれたな」
ビルの地下駐車場から、すでに装甲車が目立つ。案内役に上階へ通されると、戦いの匂いはいよいよ濃くなった。
「どうも。ライズ・ファームです」
「助かるぜ、
千草
「そっちのは見ない顔だな。新入りか」
彼は大神信奉のトップ、
「戦闘部の子で、今回はきっと活躍させますよ」
「違う。事務員ですから、勘違いしないでくださいね」
津同さんには怪訝そうな顔をされたが、社長は随分と笑顔である。すると銀城さんが肩を組んできた。
「この子、ライセンス持ってる」
「言うなよぉ!」
くわっと見開かれる津同さんの双眸。周囲のボディガードもやや騒然とし、部下たちにもざわめきだした。
やがて彼はニヤリと唇を歪め、そして膝を叩いて笑った。
「ぼったくってきたのには意味があったか。千草、どんな手でライセンス持ちなんか取り寄せたんだ」
「さあ? 運命じゃない?」
「割りのいい仕事だと思ったからだい」
「新入りのお嬢さん、名前は?」
助けてレイさん、とアイコンタクトをしてみるが、肘で押し出され社長の前にまで出てきてしまった。
「あ、あはは。姫昏です」
「四等ライセンスだけど実戦には何度も出てますよ」
黙れ日々野さん。振り向いて抗議しようにも津同さんの迫力がそれを許さない。
「ねえ津同さん、どのくらい人が集まってんのさ」
社長が私の袖を引いてくれた。危ない、この程度の優しさで揺さぶられていては明日には下僕になっていそうだ。
「まだ五十人くらいだな。傭兵も雇ったが、数より質というほどの連中じゃない」
「よく集めたね」
「ああ。しかし足りない。あっちは、斥候によると二百はくだらないらしい」
「大きな喧嘩だ」
「ロードレッド、これは喧嘩じゃねえ」
戦争だ。彼ははっきりと言った。私の足は奇妙な痺れに苛まれ、日々野さんに少し肩を寄せた。
「びびったの?」
「当たり前でしょ」
「なんだ、新入りさんはライセンス持ちのくせに情けねえな」
「……喧嘩も戦争も、知らない奴はビビらない。私はそれを知ってるの。だから怖いんだ」
時折、夢を見る。四界全てで経験した赤と黒ばかりの風景を。きれいな景色だったのだろう、魔法と火器がその威力を持ってそれらを染め上げる前までは。
「あんた、戦士じゃねえな」
「この許可証は、本来あんたらがしようとしていることを止めるためにあるんだよ」
「ちょっと姫昏ちゃん」
日々野さんが腕を引いた。社長も私の顔を覗き込み、首を振る。
「ほー。止めるって、熊と狼の喧嘩をか?」
「本来はそうだよ。それをするために、
「自信があるのかねえのか、どっちだい」
銀城さんがまた肩を組んできた。そして私の手をとって、中指を立てさせた。
「いいじゃん。やるっつってんだから。新入りを試さないでよ」
その響きは和やかそのものである。煙が目に入って、少し泣いた。
「てなわけで、お祭りはいつなのかしら?」
「……ふむ、百人くらい集まれば、やれないこともないだろう」
「なるほど。そんじゃあちょっと詳細を聞きたいな。なんでこんなことになったのさ」
「奥で話そう」
「オッケー。じゃあ青ちゃんと聞いてくるから待っててね」
ライズ・ファームは新人に優しい職場であると、どこにでもある嘘の宣伝文句を思い出した。他に限らず、この職場もそうである。そうなんだけど、話題を変えた二人、頭をグリグリと撫でてくる二人を、優しくないとは思わない。
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