第2話 序章

「初任給で何買うのよ」

「そんなのなんだっていいだろ」


 ライズ・ファームは私を含めて五人の社員がいる。


「教えないと振り込まない」

「ふざけんな! 半分は仕送りで後は生活費、余ったら貯金!」


 夢がないなと戦闘部長のレイアメリア・ロードレッド。レイさんは格闘ゲームをしながらも、宙に浮きっぱなしの自分のキャラを見捨ててコントローラーを置いた。


「しかし孝行娘だね。私なんか全然だもん」


 目にもとまらぬ早技でコントローラーを操るのは銀城風子。彼女はたいていは煙草を吸いながら、今も灰をあぐらに上に置いた灰皿をちょこんと乗せ、圧倒的勝利をもぎ取っている。


「姫昏ちゃんは守銭奴っぽいから経理もやってもらおうかな」

「守銭奴ではないけど、やれっていうならやりますよ」


 社長は自分のデスクの上でパソコンをいじっていた。彼女もゲームを嗜み、画面のアクションに一喜一憂している。


「ほー、私の仕事を奪う気? いい度胸ね、腕っぷしで決着つけましょうか」


 そして最後の一人。出張から帰ってきたのは経理の日々野青ひびのあおさん。スレンダーでモデルみたいな体型のくせに、やたらと喧嘩っ早い。


「時雨に二つ」

「青ちゃんに一つ。社長は?」

「新人に期待して三つ」

「やらないって! お前らも乗るな、日々野さんもシャドー止めて。あんたそんなに華奢なのになんで血気ばっかり盛んなんだよ」

「経理はね、お金と書類との闘いなのよ」


 初めて聞いた格言である。賭けが成立しなかったため連中も渋々ゲームに戻った。


 みんな退屈らしい。電話依頼もメールもなく、それがなければお金にもならないし、彼女たちは運動もできない。散歩に行けず不機嫌になる犬そのもので、そんなだから日々野さんも妙にイライラして、私の給料についてあれこれとちょっかいを出してくるんだ。


「そういえば社長。出張中に面白そうな話があったんだけど」

「なに? 報告にはなかったと思うけど」

「噂だもの。お茶うけにもならないくらいのね」

「で、なんなのさ」


 ゲームを中断したレイさんが冷蔵庫を開けた。昼間から、しかも勤務中にビールである。


「飲むなっての」

「じゃああいつにも吸うなって言いなよ」


 両手で中指を立てる銀城さんは半笑いである。


「イントラキラル・ハウスって知ってるでしょ?」

「うん。魔神を信奉する魔族中心の武装集団」


 社長が博識なのではなく、この程度であれば常識といえる。魔族の組織には関わらないほうがいいとライセンス受講の時に教わったが、その講師も魔族だったっけ。


「そこと喧嘩しようってところがあるんだって」

「まじ? あそこはやばいって。熊神ゆうしんイントラキラルは戦いがあれば飯もいらないって感じのバーサーカーが多いんだ」

「レイちゃんがびびるくらいだ、よっぽどだね」


 銀城さんもゲームをやめてビールを飲んでいる。ソファで隣同士で座るくらいには仲がいいけど、そのくせすぐに火花を散らすのだ。


「そう。そんなところを相手にするのは、どこの誰か」

「焦らさないでよ日々野さん」


 彼女は肩をすくめ、優雅にお茶をすすり、私を苛立たせる。


「お茶淹れるのが上手ねえ」

「つ・づ・き・は」

「はいはい。大神信奉よ。そこの交差点にも看板だしてるからわかるでしょ?」

「うっわ、喧嘩じゃないよそれ。戦争だ」


 社長の頬がかるく痙攣している。思うのは、それのどこが面白いのかということだ。この事態がそれほどライズ・ファームに影響するのかわからないが、まあ他人の喧嘩だ、見ていてつまらないこともないか。


「その顔。わかってないわね、姫昏さん」

「ん、戦争っていうくらいだから派手にやるんでしょ? でも、うちと関係あるの?」


 レイさんがトコトコと近寄ってきて、私をソファに案内した。銀城さんに挟まれて座ると、肩を組まれた。


「イントラキラル・ハウスは魔界に本拠地がある。人界とは転送ゲートでつながっているし、そもそも陸続きだから行き来は楽だけど、支部を各地に置いているんだ」

「それはどこもそうでしょ」


 銀城さんが喉で笑う。


「大神信奉のあのでかい看板、覚えてる? この先二キロ先右折って書いてあんのさ」

「さすが運転手。その調子で道を覚えてくれよ」

「ナビは助手席に一任してる。ともかく、この町が鉄火場になるかもってことだよ」


 なるほど。しかしそれを聞いてもなお不安はなかった。会社徒歩圏内にアパートを借りているけど、盗られるものもない。


「二つの組織がぶつかったら、多分大神は負ける。でも戦うとなったら、どうすると思う?」

「青はくどい。虹はこの色を落とすべきだ」

「あなたから魔族のジョークをききたいがためにやっているのよ」

「物好きだね。こんなにつまらないのに」

「風子、お前、まじで」


 話が進まない。一体どうなるというのか気になるが、まあ少し我慢すればいいだけだ。好き勝手に盛り上がった後は言い出しっぺが軌道修正するだろう。


「でね。姫昏さん、こういう時は助けを求めるのよ。他の組織にね」

「……確かに面白そうね」


 社長は虚空になにかを思い浮かべ、キーボードを叩き始めた。


「青ちゃん、見積もりとかしてある?」

「まだよ。でも、今日中にはできると思う」

「じゃあお願い。急ぎじゃないけど、やっておいて損はないでしょ」


 にわかに仕事モードになった二人。ソファ組に挟まれた私は、その理由は問わねばならなかった。


「どうしちゃったの? 突然やる気になってさ」

「大神は負けるにしても抵抗するだろ。どっちが売ったんだが、まあ喧嘩になるなら人手がなくちゃいけない。とはいえ規模が違う、大神が一だとすれば、あっちは五とか十とか」


 レイさんは今度はシミュレーションゲームをし始めた。平時には暇なのが戦闘員であり、できればその状態を保ってもらいたい。


「そんなに差があるんだ」

「だから、どこでもいいから声をかけるんだ。相手は切羽詰ってるだろうから、ちょっとくらい高く交渉しても乗ってくるってわけさ」

「なーるほど。ん、じゃあうちにも声がかかるの?」


 多分ね、と銀城さんはいう。


「だから今のうちに休んでおかなくちゃ。ちょっと寝てくる」

「おい。やり方教えてくれよ、得意だろこれ」


 レイさんがコントローラーを掲げた。が、銀城さんはあくびをするだけでそのまま仮眠室に行ってしまった。


「どうしたのかな」

「気まぐれなんだよ。運転してないときはあんな感じだ」

「ふーん。ね、それってどうやんの。教えてよ」


 彼女がやっているのはモンスターを育てるシミュレーションゲームである。なかなかに愛らしい恐竜型のモンスターが画面の中で昼寝をしていた。


「一緒にやるなら格ゲーやろう」

「苦手だよ」

「私も。見てただろ、あいつとやるとキャラが落ちてこないんだ」


 あの手捌きはかなりやりこんでいる証だ。私はそこまでではないけど、幼い頃は妹をボコボコにして泣かせたもんだ。


「じゃあ、賭けようか」


 仕返しというわけでもないけど、ちょっと自信がある。実は賭け事は嫌いじゃない。


「そうこなくっちゃ」

「姫昏ちゃんに一つ」

「同じく二つ」

「ちょっと二人ともォ、賭けにならないじゃあん」

「……私は私に賭ける」


 その日はこれが社会人かと疑うほどに仕事もなく、だらだらとテレビゲームをして遊んだ。小さな送風機がからからと回り、昼になるとみんなで喫茶店でご飯を食べた。

 そろそろ退勤の時間が迫ると、社長が「注目」と叫んだ。


「メールが来た! 大神さんのところからだ!」

「わお、見積もりも今できたところ」

「返事はどうしようか。焦らすのも悪くないよね」

「乗り気だと思われても嫌だし、まず足下見ましょうよ。ですかって」


 社長と日々野さんはあれこれと相談しあい、それに私たちは耳だけで参加している。


「悪巧みが得意なんだね」

「他人事なところわるいけど、鉄火場に突っ込むのは私とお前だぞ」

「……レイさんだけでいいでしょ」

「そんなわけにはいかないのよ」


 と、社長が歩み寄ってきた。「ライセンス持ちを遊ばせておくほど裕福じゃないの」


「これは……護身用だって」


 ちっぽけなカードが私の胸ポケットに収まったのは、十年前だ。でも高校生活は平穏そのもので、赤点と、人並みな危険だけが脅威だった。


「青ちゃんが調べたわよ? 姫昏ちゃん、高校、それに大学在学中にもライセンスを使ってお仕事してたみたいじゃない。それに定期講習にもちゃんと通ってるし、でもあの空白期間はなに?」

「私でも追えないって結構すごいわよ?」

「ほー。青はああ見えて人の尻を追っかけるのが得意なんだ。時雨、お前が特別なのか、奴の腕が鈍ったのか」

「レイ、おっ始めましょうか。ここがあなたの墓場よ、会社に骨を埋めなさい」

「上等だ。お前の真っ青な血で髪を染めようかな」


 ちょうどよく喧嘩になってくれた。空白期間なんて面接で一番突かれたくないところだもん、答えは用意してあるけど、正直でっち上げみたいなものだ。


「姫昏ちゃん? あなたの経歴に嘘があるのかないのか詳しく聞きたいんだけど」

「あ、もう五時ですね。帰ります、それじゃ」

「逃すな! レイちゃん、青ちゃん!」

「識別名認証! ステイグマ!」

「そんなことでライセンスを使うなぁ!」


 廊下の窓から路地裏へと着地する。見上げればレイさんが身を乗り出していたので、そのまま大通りへと走って逃げた。


(この町が、戦争に?)


 すでに酔っ払っている魔族。虎に乗る少女。天使は空を優雅に飛び、龍と挨拶をしている。先日のようなカーチェイスが嘘のような穏やかで平和的な空間である。


(戦争なんて、起こりっこないよ)


 人並みな危険を体験してきた身である、何度も戦地で土を舐めたが、どこの土も美味しくないんだ。つまらない冗談で濁すほど、私はそれが好きじゃない。

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