コード・ザ・ステイグマ

しえり

第1話 車上の嵐

・ファーム。日の出牧場ね。素敵だ」


 世界が四つに分かれてから十年が経った。当時は混乱と狂騒がそこかしこにあったが、今では異常なほどに落ち着いている。


「えーと、姫昏ひめぐれ時雨しぐれです、よろしくお願い致します。これじゃありきたりだな」


 私たち人間ヒューマンが多い場所を人界という。神が統治するのは天界、そして悪魔ならば魔界である。


「公募には割りのいい事務職だってあったんだけどなあ。こんな治安の悪そうなところで」


 取引代行と説明を受けたが、話もそぞろでほとんどその給金の高さにつられてしまった。さらに九時五時休憩一時間半、土日祝日も休日で、長期休暇も完備されている。まったく素晴らしいじゃないか。

 ビルが立ち並ぶ大通り。八時から面接だけど三十分早い到着だ。

 周囲を見渡すと、路上で魔界製の薬をキメているようなのはいないけど、百人ほどの子分を引きてれているスーツの男や、この街の女帝であることを自認して疑わないような美女が闊歩している。人界の田舎者には眩しいどころか恐ろしい。


 実際にここは人界との領域争いがあった場所で、ゴシップ誌でも扱わないような仄暗い噂がたくさんある。


 人界と魔界の境界線付近、ふたち町。転職先の住所は危険地帯といっても過言ではなく、しかしこの築二年の六階建ビルは私の不安を払拭するかのような綺麗さである。


「よろしくお願いいたします。姫昏と申します。粉骨砕身の覚悟で……気張りすぎだな」


 挨拶を考えながらエレベータに乗り込む。最上階が新しい職場になる予定。扉が開くと広い廊下に自動販売機が二つ。ベンチに観葉植物、奥には給湯室とトイレだ。ワンフロアぶち抜きで、しかもちょっとあの玄関ドア、あの白く小洒落た感じ、いいねえ、儲かってそうじゃん。


 ドア横の応接のための固定電話のボタンを押す。コールの音の最中に、慌ただしい足音がして、そのまま玄関が開かれる。


「新人!!」

「うわぁ!」


 出てきたのは三人の女性で、そのなかの少し背の低い子が私の返事を待たず腕を引いて、そのままエレベータに押し込まれた。

 彼女たちの状況は切迫しているのか、魔界の言葉が飛び交っている。こんなことなら魔界語をもう少し勉強しておけばよかった。


「面接は中止ね。これから一仕事あるけど、見学していく?」

「い、いいえ。日を改めて欲しいンですけど」

「だ〜め」


 エレベータのドアを蹴破るようにして、地下の駐車場に飛び降りた。白いワンボックスカーの運転席には茶髪の気怠げな人が滑り込んだ。


「飛ばすぜぃ」

「待て! ガレージ開いてないってば!」


 後部座の隣で、さっきの人の小さい子が悲鳴をあげた。


「さっさと開けてちょーだいな」

「ば、馬鹿、ちょっと待てって……!」


 リモコンのスイッチでシャッターが上昇していく。天井を擦るようにして通りに出ると、ドリフトしながら曲がりそのまま急発進。重力が私たちをもみくちゃにしながら、どんどん加速していく。


「あんたねえ、これ社用車なのよ? もっと大事に扱いなさいな」

「私物だったらもっと丁寧だよ」

「ねえ社長。この子」


 真っ白なショートへアが私の頬をくすぐった。頭の横にややねじれた角がある。冠のように額へと流れ、動物同士が武器にするような、それでいてコンパクトに収まるそれは、明らかな魔族の特徴だった。


「今日付でうちの社員」

「ま、まだ採用されるかどうかわかりませんよね」

「社長、それ面接の人っしょ? カレンダーに丸してあったやつ」


 と、運転席の窓を開けて一服しだした。速度メーターが時々大きく振れて、その度に車体が大きく揺れた。


「実は他に内定をもらっているところがありまして」


 嘘である。ここが一番給料がよかったから、他を受けることはしなかった。駄目だったら実家に帰る、そういう博打をしていた。


「うちより待遇いいところなんてないよ?」

「待遇もなにも……! こんなわけのわからないまま新人を連れ去るようなところ嫌ですよ!」


 ぐわんと車体がまた真横になった。何事かと振り返るとドリフトして赤信号を突破していたらしい。


「ちょ、ちょっと! 危ないってば!」

「あっはははは! 運転ってのはこういうもんでしょ? 映画で見たから知ってるぜぃ」

「ちなみに何を?」

「トランスポーター」

「馬鹿! あれをお手本にするなら職種が違う!」

「似たようなもんだよ」


 運転手さんはブレーキを信用していないのか、速度を落とすことをしない。そのくせアクセルだけを信頼し、加速も減速もそのペダルだけで行っている。


「あんたが社長なんでしょ? 事務員が欲しいなら、すぐに降ろして」

「欲しいのは事務員じゃない。あんたが欲しいのよ」


 ひどい口説き文句から逃げ出そうとしてドアに手が伸びた。ガチャリと開けると、前方から何かが飛来して、ドアを根元から毟り取った。

 前を走るのはワゴン車だが、窓からはみ出たスーツの上からでもわかる太い腕が機関銃の銃口をこちらに向けている。


「わお。頭引っ込めないと死んじゃうかもよ?」

「ンのやろドア壊しやがって! やっちゃえ、レイちゃん!」


 運転手さんの要請に、魔族の彼女ことレイちゃんがルーフを開けた。


「あいよ」


 虚空に手をかざし、魔法陣を展開した。無数の火球が彼女の周囲に発生し、それらが一斉にワゴンに放たれる。

 しかし左右に車体を振られると簡単に当たるはずもなく、何発かは車体を焦がしへこませたが、かなりの数が地面にぶつかり、車道をめちゃくちゃに破壊した。


「手加減すんな! ドアの敵だ!」

「いや、障壁だな。私的には一撃で粉砕するつもりだったんだ」

「お馬鹿! 生け捕りって話でしょうが!」

「あ、私、ここでいいんで降りますね。失礼しました」

「待ちなさいな。あんたにも役に立ってもらうからね」


 ドアから体を投げ出す勇気を充填していると、羽交い締めにされた。社長が一番小柄な彼女というのは雰囲気から察していたが、その彼女が私の耳元で叫んだ。


「せめて履歴書見せろ!」

「鞄に入ってるからご自由に!」


 レイちゃんが鞄を漁り始める間にも、車体はどんどんボロボロになっていく。攻撃手段を持つ彼女が悠長にしているからあちらからの攻撃は激しくなるばかりで、運転手さんは口笛を煙に混ぜながら、ハンドルを左右に切っていく。


 レイちゃんさんが口笛を吹いて、私の履歴書を社長に見せた。


「おっと、ライセンス持ちだね」


 隠したかったけど、一応は世界共通の資格だから書くしかなかった。私は苦笑いを浮かべることしかできないでいる。それは私の持つ技能の中でも、ちょっと得意で特異なものだから。


「それより簿記と英検の方がすごいでしょ? どっちも二級」

「今はそれよりライセンスの方が役に立つだろ! やれレイちゃん!」

「りょーかい」


 ルーフから彼女は頭を出した。火炎を飛ばし、片手で私の襟を掴んだ。


「待って! ライセンスはあるけどそっちは四等なの!」

「行け行けぇ」

「運転手さん!?」

「快適な空の旅を約束するよ」


 体が浮いたと思ったら、車の屋根から顔が出ていた。時速はおよそ百キロ、ここから私をどうするつもりだ。空の旅って、まさか——


「飛べ時雨」


 魔族は人間よりも力が強い。片手で五十三、いや五十キロの私を持ち上げ、さらには信じがたいことに、彼女は手にある人間を火球同様に空へと放ったのだ。


「時雨って雨のことだろ? やべえな、落ちちゃうじゃん」

「こんな時に冗談じゃねえぞ!」


 背中でボンネットに着地すると、わお、黒スーツさんたちと目があっちゃったよ。


「殺せ!」

「物騒すぎるって!」


 すぐにフロントガラスへと集まる銃弾に、虫のように屋根へと避難する。が、このままでは間違いなく体が穴だらけになってしまうだろう。


「やるしかないじゃん……!」


 クリーニングに出したばっかりのスーツは、もうシワだらけになってひどく醜い。その内ポケットから取り出す一枚のカード許可証。 


「やってやる、やって……くそ、泣いてなんかないやい!」


 あっち側で運転手さんがからかっている。ロードノイズの中でも、それがわかった。ひどい職場だ、これが終わったら実家に帰ろう。あの古い町で、家族と一緒に暮らすんだ。


 カードを胸に当てる。トランプほどのサイズのそれが輝きだし、声高な機械音声が流れる。


 本人認証開始します。識別名コードをお願い致します。


「了解。識別名・老兵コード・ザ・ステイグマ


 宣言とともにカードが姿を変える。光の粒子となって私の体に纏わり付き硬質化した。兜はないし全体的に薄手ではあるけど急所は守られているし、インナーだって帷子だ。銃弾も刃も通さない、はずの素敵な一張羅である。


 腰には一本の大刀と拳銃が提がり、これで完成。

 初めて見た時に思った、なるほど老兵だと。そりゃそうだ、世界が混沌とし魔法が飛び交っているのに、鎧武者だもの。


 不満があるとするならば、色だ。全体的に野暮ったい黒で染め上げられていてちっともおしゃれじゃない。


「いてっ」


 銃弾が足の裏をくすぐる。そのくらいじゃ止められない。


「車の仕組みはわかんないけど」


 刀を抜き打ちし、車体を縦に両断させた。


「これなら動かないっしょ」


 走行中の車の屋根にいて、なおかつ踏みしめる地面が制御を失ったとすればどうなるか。

 ふらふらと揺れ、回転し倒れる。それも高速で。当たり前のことだけど、斬る瞬間にも、その前後にも気がつかなかった。


「ぐわ!」


 なんの法則かは知らないけど、私は弾かれるようにその場から放り出され、近くにあった雑居ビルに窓から訪問した。人間砲弾ともいうべきその威力は凄まじく、保険会社の給湯室をぶっ壊し、廊下を抜け、反対側の壁にめり込ませた。武装を解除すると激烈な痛みが襲う。へたり込み、体をかき抱いた。


「痛ってえ……」


 でも、このくらいですんで良かったと考えることもできる。思考をポジティブにしなければ泣きそうだった。


「あ、生きてる」


 社長はスタスタと歩み寄り、しゃがんだ。意地の悪い顔である。


「あいつらね、ヤバいところからお金を持ち出して逃げようとしてたのさ。絶対に逃したくないからって依頼を受けたの」

「それが、なに?」

「逃げる方も必死だったてこと。あんたの顔、覚えたかもよ」


 報復、あるかもね。彼女はそう言った。

 血の気が引く音が聞こえてきそうだ。それは困る、これからも大手を振って往来を歩きたい、誰かに狙われるなんてごめんだ。


「うちに入社しなよ。この界隈ではちょっとは名前が売れてるよ? 喧嘩を売ってくるところは少ないんだ」


 拒否すべき悪魔の囁きだ。動け唇、震えろ喉、肺よ大気を喰らい断固拒否のために胸をせり上げよ。


「最近はマジで景気がいいの。二ヶ月もあれば、車に時計に家だって持てちゃうぜ」

「ちくしょう、お世話になります!」


 疲弊しきってクタクタだ。人形みたいに座り込んでいるくせに、馬鹿でかい声が出てしまった。

 社長はピースサインをして、電話でレイちゃんさんを呼んだ。到着後、肩に担がれて社屋に戻った。もちろん、銃弾で穴だらけの、ドアの欠けた社用車で。




「ここにハンコ押して、そう、これでめでたくうちの社員だね」

「本当に稼げるの?」

「さあ? 経営は結構危ないよ」

「まあ車の修理は会社から出るし」


 運転手さんは自分のデスクではなく、持ち込んだのか黒いソファに寝転がっている。焦げた丸い痕が少し怖いけど、無害そうにテレビに釘付けだ。


「な、さっきは景気がいいって」

「レイだ。よろしく」


 お疲れと肩を叩かれた。ごつい筋肉の塊だとおもっていたけど、柔らかい掌に連なる腕も華奢だし、身長は私より少し高いくらいだった。


「彼女はレイアメリア・ロードレッド。見ての通り魔族で、うちの戦闘部長」

「あっちのペーパードライバーが」

銀城ぎんじょう。糞ったれな魔族を乗せる戦車長だ」


 中指を立てて初心者運転手であることを否定した。


「銀城風子ふうこね。それともう一人いるけど、出張中なの。帰って来たら紹介するよ」

「景気がいいんじゃないの? この話を終わらせるつもりはないけど」

「歓迎会どこでやる?」

「飲み放題があればどこでもいいよ。えーと」

「あ、姫昏です。お姫様の姫に、氏族のしと日輪のにちを縦に合わせたやつ。えっと……黄昏の二文字目です」

「説明どうも。でも時雨って呼ぶから」

「姫昏ちゃんはお酒平気?」

「人並みですけど——じゃなくて」

「ふーちゃーん! 車出してー!」

「今から行くの? というか無視しないでよ、ねえ、お金稼げるの?」


 誰も質問には答えない。どんどん歓迎会の準備が進んでいくのみである。


「事務の仕事しかしないからね」

「空の旅は気に入らなかったか?」

「ふざけんな!」


 こうして私はライズ・ファームでの入社式と初日を終えた。何もかも未知数であり、給料とか休日とか職種だとか、そういった説明は全て省かれた。ここを紹介した斡旋所員は社長と懇意らしく、そう、嵌められたのだ。


「何がだ。じゃないか」


 愚痴っても後の祭りだ。社用車二号の軽自動車の後部座席、隣の社長にからかわれた。


「ライズじゃなくてライアーじゃないの?」

「うるさいな知らないいいんだよそんなことは! ジョークそこじゃなくて、社員があんたを嘘つきだと非難したことに疑問を持てよ、憤慨しろよ!」

「じゃあ答えるわ。今日は会社持ちで飲める」

「それが週に一回あったりする」


 レイさんがそう言って、銀城さんが続けた。


「昼飯がコンビニのおにぎり一個の時もある」


 それでみんな笑っていた。何が面白いのかわからないが、完全な悪人というわけでもなさそうで、仕方なしと自分を慰め窓の外に目をやると、季節すら忘れていた。今は春も盛りの四月の頭だった。

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