三 化猫

 ある夜、ナベさんが自室で眠っていると、いよいよ金縛りにまであうようになったんです。


 深夜、ふと目を覚ますと、身体がぴくりとも動かないんですね。


 ……な、なんだこれ? ……も、もしかして金縛り? ……だ、ダメだ。動けない……。


 金縛りにあうのなんて初めてのナベさん。ひどく動揺しつつもなんとか解こうとするんですが、胸の上に何か重たいものが乗っているような感じがして、どんなに体に力を込めようともやっぱり動かないんです。


 ……っ!


 そうしてしばらくベッドの中でもがいていたその時、不意にナベさんは頭の上の方に、何か気配のようなものを感じました……あの、いつも感じているのと同じ気配なんだって、なぜか本能的にわかるんです。


 そこで、怖いもの見たさとでもいいますか、目だけはなんとか動かせたので、恐る恐る頭の上の方を見上げてみたんですね。


 ……ひぃっ…!


 次の瞬間、やっぱり見なきゃよかったと、ナベさんはものすごく後悔をしたそうです。


 なぜなら、そこには宙に浮いた女がいたからです……いや、浮いているというのは正確じゃありません。その首からはまっすぐ上に向かってロープが伸びているんです……そう。その女はナベさんの頭の上で首を吊っているんですよ。


 白い地味目な服装をした女で、年齢はナベさんのお母さんと同じくらい。セミロングの髪にはパーマをかけ、一般的な中高年の女性といった感じです。


 その女が、なんとも物悲しい蒼白い顔をして、首を吊られたまま、じっとナベさんのことを見下ろしているんですね。


 今度は目を逸らすこともできず眺めていると、その女の体は微かに前後に揺れていて、ギィ……ギィ……ギィ…と、ロープが軋む音も聞こえてきます。


 この音……そうなんです。時折聞くあの怪音は、天井裏を何かが歩く音じゃなかったんです。あれは、首吊りのロープが軋む音だったんです!


 ……ギィ……ギィ……ギィ……ギィ……


 金縛りで動けないまま、頭上で揺れる女の姿をナベさんは見上げることしかできません……と、その時。


「シャアァァァ…!」


 女は突然、眼を見開くと鋭い牙を剥き、まるで威嚇する猫のような形相になってナベさんを睨みつけました。


 ……ひっ!


 あまりにも恐ろしいその女の迫力に、ナベさんは意識を失うとそのまま眠ってしまい、気づいたら朝になっていたそうです。


 さらに、こんなこともありました……。


 その日、夜中にトイレに起きたナベさんが両親の寝室の前を通りかかると、なんだか声が聞こえるんです。


「…うぅ……うぅうぅ……」


 耳を澄ますと、どうやらお父さんのうなされている声みたいなんですね。


 どうにも気になったナベさんは音を立てないようにゆっくりドアを開き、廊下からこっそり寝室の中を覗いてみました。


「…ううぅ……うぅうぅう……」


 すると、やっぱりベッドの上で身悶えながら、苦しそうにお父さんはうめき声をあげているんです。


 悪い夢でも見ているのかなあ…と思うナベさんでしたが、もっとよく眺めてみると、ただそれだけとは思えないような、奇妙なものが目に飛び込んできたんです。


 うなされるお父さんの胸の上に、なぜかサヨが乗っかっているんです……背中を丸めてちょこんと座り、まるで苦悶の表情に歪むお父さんの顔をじっと覗き込んでいるかのように……。


 奇妙なことといえば、となりのベッドで寝るお母さんについてもです。これだけとなりで騒がしくしているのに、まるで目を覚ます気配もないんですね。


 自分の方こそ夢でも見ているのかと思えるその光景に、呆然と立ち尽くしたまま眺めているナベさんでしたが、その視線に気づいたのか? 不意にサヨがくるっとこちらを振り返りました。


「シャアァァァ…!」


 すると、夜の闇の中でその眼は爛々と輝き、大きく開いた口の中には鋭い牙が幾本も並んでいます。


「う、うわあぁぁぁっ…!」


 今まで見せたこともないようなサヨのその姿に、ナベさんは〝化猫〟だ…と直感的に感じ、思わず悲鳴をあげながらその場を逃げ出しました。


 翌朝、昨夜見たものが現実だったのか夢だったのか? 確信を持てないままリビングへ起きて行ったナベさんでしたが、おそるおそるサヨちゃんを見てみると特に変ったところもなく、いつも通りの可愛い猫ちゃんなんですね。


 また、お母さんに昨夜のことを聞いてみても、ぐっすり眠り込んでいたのか、ぜんぜん知らないと言います。


 ただ、当のお父さんだけは──


「いや、別に何もなかったが……」


 ──と答えはしたものの、何か隠し事をしているような、そんな感じがしたんだそうです。

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