森の研究所と、ナナシの科学者デハルタ
「ギャー痛いー!!」
ぎゃーー!!
「(ぎゃー!)」
「危ない!」
痛みに悶えたキスアを抱えて、マキーリュイは素早く魔獣から距離を取る。
「お前…っ!…大丈夫か…?」
一度言いたいことを抑えて、キスアの容体を尋ねる。
「あはは、大丈夫…です。ちょっと痛みが残ってますけど立てます」
「…はぁ、危ないから下がって」
キスアを降ろして、左手で後ろに下がらせようとする。
「いえ、私はこの諍いを止めに来たんです、むしろ前に出ちゃいます!」
しかしキスアはその手を退けて、前へと進む。
「諍い…その魔獣は今危険な状態だ、無闇な行動は控えろ」
言葉だけでの制止を試みる、それは強くなく、僅かに何かを期待しているようでもあった。そしてキスアの次を待った。言葉か行動、あるいはその両方。
「船漕ぐ者よ…聞いてくれますか」
ゆっくり歩を進めていく。言の葉を紡ぎながら。
その様子は堂々としているように見えるものの、何か違和感があった。意識がキスアではないような、しかし後ろから見るマキーリュイにはそれはただの気のせいの類、キスアのことを良く知ってはいないからだろうと考えを留めた。
ュ?
「(え…?)」
「この場の誰もあなたを傷つけたりしません、わたしが、誰にもそんなことはさせません」
魔獣は動きを止めて、キスアの方を向いているように見える。
「ですから、貴女が心穏やかでいられなくなるその理由、不安を聞かせて欲しいの」
「明らかにキスアの言葉に対して動いて、目がどこかは判らないが、間違いなく見ている…」
コルユフ フイニ ユウ
「(あなたの、頼み…なら)」
「わからないが、なんとかなってしまいそうだな…」
「もう怖くないですか?」
キスアは問いかける。両者の距離は、既に互いの目の前まで縮んで、その手は魔獣の鏡面を撫でる。
キ キウ
「(は、はい…)」
『船漕ぐもの』…そうキスアが呼んだ魔獣は、不安の原因を打ち明けてくれた。
それは20日ほど前のこと、森をいつものように散歩………巡回していたら、急に全身が痺れる感覚が起きた。その時は気のせいかと思った。
今思えばその時を境にどんどんおかしいことが起きていったという。なぜだかわからないがざわざわとした感覚がし始めた、焦るような気持ち、それがだんだんと、日に日に強くなってきて、今日、ついにその正体が掴みかけているときに、マキーリュイと出くわしてしまい、混乱してしまったのだと。
「およそ状況はわかりました、ひとまず貴女はここから離れて心を落ち着かせること、いい?」
フリユ ハスァ
「(わかり…ました…)」
「わたしに任せてください!全部スパっと解決してきますから!」
また無い胸を叩いて張る。そしてむせる。
キウ ヘシュファスァ
「(はい、お願いします…)」
魔獣はゆっくりと去っていき、キスアは『またね』と手を振った。
「キスア…上手くいったようだが、何かわかったか」
事が終わったのを察し、手を振るキスアの後ろから、マキーリュイが話しかける。
「はい、あそこ…木と木の間に何かあるんです。そこにある何かがあの魔獣を刺激していて、落ち着かなかったようです」
「…ふむ、ありがとう、色々助かった。私はひとまずそのことを依頼主に伝えてくる。今回の目的はそれだからな。お前はその異変の原因を探すつもりだろう?これを渡しておく、何かあったらそれで呼びかけろ」
マキーリュイは透き通る青い結晶をキスアに手渡した。
「これ、なんですか…?」
「それは防壁展開型の通信石だ、緊急連絡用に開発された魔道具だな、欠点は展開した防壁から暫く動けないことくらいだ、2、3日ほど…まぁ、それくらいは些細なものだろう」
「に、2、3日…ありがとう、ございます」
「すぐには手助けしてやれないが、そのかわりあいつを連れて行くといいだろう、トレイル!もう良いだろう!出てこい!」
隠れていたトレイルに呼びかけると木の後ろからおずおずと弟子がやってくる。
「バレてたんスかぁ…?も~上手く出来てたと思ったのに~」
「まだまだだということだ、これを機に隠密の修行も入れるか」
「ぇえ!修行が増えちゃう…増えちゃった…」
「嬉しいだろう、私の尾行がたくさんできて」
「いや、いやぁ…気付かれたうえで尾行し続けるのはちょっとぉ…」
「そろそろ叩(はた)きそうだ」
握った拳がだんだんと上っていく。
「師匠がそういうこというからじゃないスか…いて!」
パチン、と握った拳ではなくそれを解いて頭を平手打ちしている。優しい。
「さて、もう行く」
「あっはい~いってらっしゃい~」
キスアはまた手を振って、今度はマキーリュイを見送った。
「キスア、なにしたの」
ゴーレムと化したクーちゃんがわさわさと音を立てながら側に来ていたのに気が付いて、キスアは振り向く。
「クーちゃん、ごめんね急にほっぽっちゃって…」
「ん、なんか凄いの見れた気がするからいい」
「ありがとクーちゃん~にへへかわいいねぇ…よしよし」
抱きしめて撫でなですりすりするキスアに対して、クーちゃんは心底嫌そうな表情だ。
「やだ、やぁだ…気持ち悪い…」
「気持ち悪くないよ~~」
「気持ち悪いスよ…」
「え~そんなことは…」
《気持ち悪いぞ》
「えっ!マキーリュイさん!?」
「通信石から…あっあっ…!!!」
《気を付けろ、それはずっと互いの音声が筒抜けになる代物だからな》
「いやぁああ!!!恥ずかしい!!!!」
「今さら恥ずかしがるんスね…」
―――――――――――――――――――――――――
「それじゃ、異変調査するよ!対象はあそこ!なんか木々の間が歪んだところ!」
気を取り直して、キスアは目の前にある異常な空間を指さす。
「うわっなんなんスかこれ…見たこと無いスよこんなの」
「んー…なんか大っきいの見える…?」
「ん〜…?わたしには見えない…何だろう…」
クーちゃんにはその歪んだ景色の向こうに何かが見えている様ではあったが、キスア、それからトレイルにはそれ以上のことは何も見えていなかった。
「取り敢えずぶっ叩いて見たら何かしらわかるっスよ、えやーい!」
言うが早いか、トレイルは爆熱のエンチャントを掛けた剣を空間の歪みに振り下ろしていた。
ドゴーン!
爆音が木霊し、いつものように、後方へと煙の尾を引きながら、トレイルがキスアとクーちゃんの間を吹き飛ぶのが横目で見えた。
「いつも気持ちよく吹き飛びますね〜」
「頑丈」
「えへへ自慢の耐久
すくっと立ち上がり、何事もなく二人のもとへ戻ってきた。
「透明なヒビみたいなのが入ってます、もしかしたら壊せるかもしれません」
「ん、」
拳を上げてクーちゃんは二人にアピールをする。やる気満々だ。
「よーし!じゃあクーちゃんの力を見せつけちゃえ!」
「ん、えい」
ゴッ!と鈍い音が鳴り、直後ズッ…と一瞬、音とも気配とも形容しがたい何かがしたかと思えば、皆の視界が暗闇に包まれる。
「えっ…?な、え…?」
「…ハッ!何が起こったんスか!??」
周囲一帯が平地に変わり、目の前に大きな建造物が出現していた。
「…え…?」
「なんか出た」
あの時、クーちゃんが拳で歪(ひずみ)を殴った時。周囲を漆黒の闇が覆った。皆が飲み込まれようという刹那にクーちゃんが殴った衝撃が遅れて発生し、閃光の波が三人の周囲へ迫る闇を全て吹き飛ばした。
「……とりあえず、建物が出てきましたし、入ってみましょっか」
「そう…スね…」
(…大丈夫だろうか)
マキーリュイが一部始終を音声で聞き、不安に思うなか、三人は現れた謎の建物の中へと入っていった。
―――――――――――――――――――――
扉もなく、ただの穴だけである建物の入り口を抜けるとそこには――
「あれ…?でっかい建物だと思ったんスけど…??」
「なか、ふつう」
「小部屋二つ分…」
中を見渡しながら見かけ倒しだったその建物の内部を観察していると、奥に誰かが見えた。
部屋の中は白を基調とした壁、天井だったこともあり、明るかったものの、それは後ろを向き、しゃがんでいたため詳細な姿形は判らない。
「んや~~ん…?ボっクの研究所の障壁が無くなっちゃった~…?ここに知った顔以外なんて来れないんだけどなぁ~おかしいなぁ~?バグったセキュリティにでも感知されちゃったかな~…?まぁいいんだけどさ」
背を向けたまま、その人影は何やら作業をしながら、誰に言うでもなく話す。
「あなたは…?あっわたしはキスア・メルティです、この子がクーちゃん」
「あたしはトレイル・ラース」
「ここはボっクの研究所~、生物を研究してるよ、それと、生産者でもある~」
「生産者…?一体何を誰に提供を…?」
その女性は立ち上がり振り返って、部屋の入り口に立つキスアたちに向き合う。
「ん~きっと君たちは出会うことはないかも、提供先が…ん~…裏…ちょっと違うか…中であり空…かみ砕くのが難しいね、まぁそういうことだからね。どうせ次元と言ってもわからないでしょ」
話しながらゆっくりと部屋の奥からキスア達の方へ歩いてくる。近づいてくるにつれて、容姿はだんだんと鮮明になった。
どうやら白衣を着ていて、髪は後ろに束ねて結われ、腰より少し長く、黒色をしている。しかし右手で軽く前髪を掻き上げたとき、右側の毛先だけが金色で、目を惹いた。
しゃがんでいた時は感じなかったものの、近づくにつれて、三人よりも背が高いことがわかった。
「さて、見学したいなら好きにしていいけど、そんなんじゃないんでしょ?」
キスアたちの目の前にある書類まみれの実験台に両手を着いて詰め寄る。
「えっと、わたしたちはこの辺りの様子が気になったので調査をしに来たんです。まずはあなたの名前を聞かせてください」
警戒をしながらも、キスアは努めて冷静に名前を尋ねる。
「え~?君の好きなように呼んだらいいよ、ノーナインでもアルマシュトナーでもニンフレミストリーでもエルマストラシナリーでもセスティノーホミノスィーでもなんでも~」
興味無さそうに金属の工具を振りながら、適当に今考えたであろう名前をいくつか上げて答えた。
「何でもって…名前がないんですか…?そんなことないですよね…?ありますよね…?」
「別に気にならないしぃ~、いいじゃん名前なんてなくても、それに、ボっクに名前なんてあろうがなかろうが、どうだっていいんだからさ」
キスアが訝しい表情をしながら、ズンズンと近づいて詰め寄るが、それでも彼女は何も考えていないのか、何も感じていないのか。表情を崩さなかったが、最後に『どうだっていい』と言う時だけ、少し寂しそうに見えた。キスアには気が付いていないようだったが。
「…んん~っそんな筈ありません、名前がないと困ることいっぱいあるじゃないですか!あっほらここにある書類とか、絶対貴女のことを示した名前とか書いてますよね…?ほらこれじゃないんですか?」
一度彼女から顔をそらして、散らばる書類に目を移し、ガソガソと漁り、目星をつけた個所に指を押し当てて、それを見せつけた。
「んややややや~~……目~ざと~いねぇ~?ふ~む、ボっクの名前かもしれないねぇ~?まぁ読まれてもそれほど困るものでもないけれどねぇ、そこにある書類なんかはさぁ〜」
全く手応えのない返事、しかし直感的にこの書類のどこかに彼女の名前があると踏んで再び目を通して、それらしいものを読み上げてみる。
「で…デハイ…デハル、タ。デハルタ…?ほら!デハルタさんでしょ?」
「そ~だねぇ…」
それでもやはり有耶無耶な返事だけが帰ってきて、キスアはだんだんと腹が立ってきた。
「むぅぅっ!!なんだか釈然としません…!」
ぷんぷんしながら書類をまた漁り始めたキスアをよそにトレイルが、作業に戻っていた彼女に近づいて訪ねていた。
「デハルタさん、それは何をしてるんですか?」
トレイルはもう既に『デハルタ』として暫定的に呼ぶことにしたようだ。
「依頼主のためにせっせと作ってるのさ、研究ついでにね」
「ふぅん…あっこれって…」
デハルタが作業しているそばにおいてあった、機械と生物の混ざったような何かを見つけて声が漏れた。
「そいつは『ろあろあ』の作りかけだ」
トレイルの方を見ずに疑問に答える。
「ろあろあ…?」
「ふふふ、君とボっクは~、まだ知り合ったばかりでしょ?もっと仲良くなったら教えてあげる」
「むむむぅううう…!じゃあまたこうするまでです!」
そしてそれを聞いたキスアはさらに必死に書類を漁りだす。
「あ゛っ!また書類勝手に見て!!見るのはボっクでしょ?それを見るのは構わないけど、ボっクのこと知りたいんならボっクのこと見て聞いた方がいいでしょ??!」
「だって教えてくれないじゃないですか!ほら!これ!ロアー…?『ろあろあ』のことですよねこれ!」
「そ、ロアーだからろあろあ、良いでしょ」
「うーん、センス…」
「なんだよ、文句か~?」
「それでこのロアーって何なんですか?」
「だから~まだ教えないって~」
「じゃまた見ますね」
「も゛ーっ!けどふふふいいよ~、君に理解できるかな!」
キスアは暫く書類の山と格闘していたが、1時間ほど経過した辺りで「だめだーっ!」と諦めてしまった。
「さてと、もういいかなぁ、来客用のお茶もお菓子もそろそろ無くなる頃だし、少しずつ知っていこうよ〜、ね?」
「わかりましたよもう…はぁ、結局聞いてもあんまり教えてくれないですし見てもよくわからないですしこれ以上何も進展しそうにないですし帰ります~う…」
早口で諦めの提言をしつつ背を向け、帰ろうとする。
「えぇっ!帰っちゃうんスか!」
「ほらほら不貞腐れないでよ、いつでも来ていいからさぁ~」
「どうせまた入れないように魔術で結界とかするじゃないですかー」
「君たちだけ出入りできるようにするからさぁ、そのためにちょっと君たちの体の一部があればそのまま通過できるように調整できるからぁ~、少しだけあればいいからぁ」
「…これでいいんですか?」
キスアは訝しい顔をしながら髪の毛を数本抜いて、それから懐から出したものと合わせて差し出す。
「それで十分、ってこれ君たち全員分あるじゃん、なんで持ってるのさ」
「素材を収集する癖があるだけです、何か変ですか?」
「いや……これ以上は何も聞かないことにするよ」
受け取って、それぞれを瓶に入れて分け、奥の部屋の棚へとしまう。
「じゃあせっかく来てくれたわけだし、君たちの為に少し力になってあげる、錬金術とかそういう術士でしょ君、それなら珍しい素材が取れる所に連れて行ってあげるよ」
「えっ!?ほんとですか!」
「キスアさん??まさか行くつもりスか…?」
「イイイっ行きたいんですがいいですかトレイルさん!」
「ううううん…師匠ぉ…」
《私もそろそろお前たちのところに戻れる。ひとまずデハルタと呼ばせてもらうが、私も同行したい、それでもいいか》
「別にボっクは気にしないよ~、信頼できる大人と一緒に行くのは大事な事だからねぇ」
「あの、わたし信頼できない大人ってコトですか…?」
その言葉に誰も触れることはしなかった。
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