おしゃべり帽子

 ぼくは小学校からの帰り道を歩いていた。とぼとぼと、一人で。

 下級生の子供たちが、すぐそばを通って駆けていく。あんな風に何人かで帰っているのが普通だ。

 でも、ぼくにはそんな相手が誰もいない。


 人と話すのは苦手だ。両親相手ならまだマシ、だけどクラスメイトや先生に話しかけたりすると、身体がカチコチになって上手く喋れない。それで笑われたり、呆れられたりしてしまう。

 だから、友達が出来たこともろくになかった。

 クラスメイトが楽しく話してる姿を見ると、いいな、と思う。でも、自分にはあんな風な話は出来ないな、とも思う。

 どうしたら皆と楽しくお話しできるんだろう。


 暗い気分で地面に眼を向けながら歩いていたぼくは、道端にある物が落ちているのを見つけた。

 それは、グレーの帽子だった。お父さんがハンチング帽と呼んでいたものに似ているように思う。

 風で飛ばされてきたんだろうか。キョロキョロと見回してみるけど、持ち主がいたりはしない。


 改めて帽子を見てみると、随分と綺麗に思えた。地面に落ちていたのに、まるでお店に置いている物のようだ。

 近くの交番に届けなきゃ。ぼくはそう考えたけど、その前にちょっとした好奇心が出てくる。

 カッコいい帽子だ。ぼくに似合うだろうか。

 パンパンと軽くはたいてから、すいっと頭に乗せてみた。

 何となく大人になった気分でいると、急に声がした。


『やあ、少年。ごきげんよう』


 低い声だ。穏やかな雰囲気の声。大人の男性、それも十分に人生経験を積んだ姿が想像できた。


「えっ、えっ!? だれかいるの!?」


 ぼくは慌てて周りを見るけど、誰もいない。

 なのに、声がする。


『ここだよ、ここ。私は君の頭の上さ』

「頭の上って……帽子!?」


 びっくりしたぼくは咄嗟に帽子へ手を当てる。

 すると、少しだけ慌てた様子の声が聞こえてきた。


『おっと、脱いでしまうと私の声が届かなくなるので、出来ればそのままでいてくれると嬉しい』

「う、うん……」


 ぼくは言われた通り手を下ろすが、何やら騙されているような気がしてきた。

 帽子が喋るはずはない。なら、何か仕掛けがあるに違いない。それに触らせない為に言っているんじゃないか。


「それで、あなたは誰なの?」

『私は帽子さ。それ以上でも以下でもない。強いて言えば、おしゃべりな帽子だ。被った人に話しかけずにはいられない』

「帽子は喋らないよ」

『たまには喋る帽子があったっていいだろう?』

「誰か喋ってる人がいるはず」

『なるほど、疑ってるわけだ。なら、一度脱いで調べてみるといい。ただし、怪しいところがなかったらもう一度被ること。約束だ』

「……わかった」


 帽子を脱ぐと、途端に静かになった。さっきまでのように喋りかけてくる様子はない。


「おーい……」


 小声で話しかけてみるも、返事はない。

 でも、本当は変わらず喋れるのに黙っているだけかも知れない。油断は禁物だ。

 ぼくは帽子におかしなところがないか調べていく。

 何か機械が付いていたりしないか、布の中に何か入っていたりしないか。

 しかし、いくら調べても変わったところは見つからなかった。とても普通な帽子に思える。

 しばらくして、ぼくは降参する。帽子を被り直した。


『どうだい? 種も仕掛けもないことを信じて貰えたかな?』

「うん……本当に喋れる帽子なんだね」

『もちろん。それで一つ相談なんだが、しばらく君のところにいさせて貰えないだろうか?』

「えっ、どういうこと?」

『私はこれまで色々な人のもとを渡り歩いてきていてね、その度に色々な話を覚えては次の持ち主に話すようにしているんだ。だから、君にもぜひ私のおしゃべりを聞いて欲しいと思う。どうだろう?』


 ぼくには友達がいない。こんな風に話す相手はいない。

 だから、その提案はとても魅力的なものだった。


「ぼく、帽子さんのお話、聞いてみたい!」

『そうか、それは良かった。なら、しばらくの間、よろしく頼むよ』


 こうして、ぼくはおしゃべりな帽子と毎日を過ごすようになった。




『――と、そんなわけで何とか無事に生き延びたのさ』

「おっかしー! 他には他には?」

『そうだな……それじゃあこれは北国であった話なんだけど――』


 ぼくは毎日のようにおしゃべりな帽子を被って、色々な話を聞かせて貰っていた。

 帽子が語る話はどれも面白くて、時には切なくて泣けるようなものもあって、飽きることはなかった。

 けれど、一ヶ月くらいが経過した頃。

 帽子はぼくにこう言った。


『済まない。私はそろそろ次の場所へと旅立とうと思う』

「えっ……なんで!? そんなの嫌だよっ」

『もう決めたことなんだ。私は流浪人、いや流浪帽子でね。いつまでも同じ場所にはいられないんだ』

「せっかく仲良くなったのに……また一人になっちゃうよ……」

『そんなことはないさ』


 帽子は否定してくれるが、ぼくにはとてもそうは思えなかった。

 何の取り柄もなくて、まともに人と会話することも出来ないのだから。


『気づいているかい? 私は君と話していて楽しかったよ』

「……本当?」

『もちろん。君は自分で思ってるほど口下手でも何でもないよ。あとは勇気を出すだけさ』

「勇気……」


『それでも、もし会話に困るようであれば、私が君にした話を誰かにしてあげるといい。君が面白いと思った話なら、きっと他の人も楽しんでくれるさ』

「そんなのって……ぼくの話じゃないのに……それは帽子さんの話なのに」

『いいんだよ。私のおしゃべりが誰かの役に立つのなら、これ以上に光栄なことはない』

「帽子さん……」


 それ以上、帽子が何かを言うことはなかった。

 ぼくはとても悲しかったけど、帽子を引き留めることは出来ないのだと理解した。




 次の日。

 ぼくが目を覚ました時には帽子は消えていた。まるで初めからなかったようだ。

 でも、あのおしゃべりな帽子がしてくれた話はちゃんとこの胸に残っている。

 たくさんのワクワクやドキドキで満ち溢れている。

 それはぼくの背中を押してくれた。

 これまでほとんど話したことのないクラスメイト。

 ぼくは勇気を出して声を掛ける。


「ねぇ――」

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