記憶病院

 私には思い出の少女がいる。それは中学生の時のことだ。初恋だった。

 三十代も終わりを迎えようとしており、周囲には独身貴族だとか言われているが、その実態は初恋を未だに忘れることが出来ていないだけだった。

 自分でもどうかしているとは思っている。恋人がいた時期もあるが、どうしても振り切れないのだ。

 彼女がこの頭の中に住み続けているような錯覚すらある。それほどまでに当時の記憶をありありと思い出すことが出来る。


 彼女は転校生だった。牡丹の花のように美しい風貌をしていた。穏やかに微笑む姿が実に可憐だったことを良く覚えている。

 すぐにクラスの中心人物になった。決して皆を引っ張っていくタイプではなかったが、周りに自然と人が集まってくる人徳を兼ね備えていた。

 けれど、残念なことに彼女はすぐに転校してしまった。理由は知らない。


 決して彼女と特別な関係にあったわけではなく、ただのクラスメイトとして接していたに過ぎない。

 にもかかわらず、私は彼女を忘れることが出来ない。深く脳裏に刻み付けられている。不思議だ。


 そこで、私は少し前に出来た記憶病院なる場所を訪れてみることにした。それは最先端の科学技術を用いて、記憶の映像化や削除を行うことが出来る病院らしい。公的に認められており、既に全国各地へと広まっている。

 元々は心的外傷などの治療の為に開発された技術らしいが、今では病気でない一般人も利用できるようになったようだ。


 私は記憶病院で思い出の少女に関する記憶を映像化してみようと考えた。はっきりと覚えていることも多いが、忘れてしまっていることもあるだろう。

 別にその記憶を削除しようという気はない。決して悩まされているわけでないのだから。

 ただ、映像として見ることで、改めて思い出に浸り楽しみたいという気持ちだった。


 私は予約した時間に記憶病院を訪れた。患者はそれなりにいたが、それ以外に人間はいない。何でも受け付けはおろか施術も含めて完全に機械化しているらしい。プライバシーを守る為にも、誰かに記憶を覗き見られる心配をなくす為のようだ。


 少し待っていると、機械音声で呼び出された。指定の番号が記された部屋に入る。

 部屋の中には大きな椅子があり、その上からは半球型の機器が吊るされていた。頭をすっぽりと覆うサイズだ。あれが頭部から脳の電気信号と送受信を行い、記憶に干渉する装置だろう。

 その横には案内用の人型ロボットが立っていた。


『本日はどのようなご用件でしょうか』

「私が中学時代に出会った少女に関する記憶を映像化して欲しい。中学二年の秋に転校してきた」

『かしこまりました。あなたの記憶から検索し、映像化の処理を行います。三十分ほどお眠りいただきますが、よろしいでしょうか?』

「ああ」

『では、こちらの椅子にお掛けください』


 私が言われた通りに座ると、ロボットが上から半球型の機器を被せた。


『力を抜いて、目を閉じてください。すぐに麻酔が投与されます』


 指示に従って間もなく、何かを吸い込んだかと思えば、意識はあっという間に遠のいていった。




『指定部分の記憶の映像化を完了しました。身体の具合はいかがですか?』

「……あ、ああ、大丈夫だ、問題ない」


 私は案内用ロボットの機械音声で意識を取り戻した。いつの間にか半球型の機器は取り外されている。


『それでは、映像の確認をお願いします』


 ロボットは私の前に仮想ディスプレイを展開する。

 そこには紛れもなく思い出の少女が映っていた。どうやら転校してきた時のようだ。やはり今見ても可憐に思える。

 じっくり見るのは帰宅後でいいだろう、と早送りしながら進めていく。


 しかし、その途中からおかしなことが起きていた。

 クラスメイトが取り囲む中で彼女は笑っている。だが、その表情は強張っていた。

 罵詈雑言が浴びせられている。手を出す者もいた。

 そんな中で彼女は必死に愛想笑いを浮かべているのだ。それはあまりに悲痛で、私は目を背けたくなる。

 虐めだ。彼女はクラス全体から虐めの対象とされている。

 当然、そこには私もいた。虐めを行う側として。

 私の視界で行われていく所業は、どれも度を越していた。


「何だ、これは……」

『どうかなさいましたか?』

「違う、こんなことあったはずはない! 私の記憶ではこんなこと起きていない!」

『いえ、これらは間違いなくあなた様の脳から抽出した記憶となっております。ただし、深層領域からサルベージしたものとなりますが』

「深層領域……?」


『記憶は表層領域と深層領域に大別できます。前者は通常の記憶であり、後者は忘れてしまったとされる記憶を意味します。そもそも人の脳は劣化や損傷を除いて記憶を忘れるようには出来ておらず、奥底に仕舞い込んで出せなくなってしまっているだけです。それゆえ、当病院では健康な者であれば、生まれてから今までに見聞きしてきた記憶の全てを映像化することさえも可能としています』

「この映像は私が忘れてしまっている記憶、だというのか……?」


『ええ。そして、表層領域の特徴として、記憶の美化もしくは捏造というものがあります。表層領域は主観によって構成されており、深層領域は客観によって構成されているなどと言われています。つまり、あなたの語る記憶は表層領域のものであり、あなたの主観によって歪められたものとなります。推察するに自らの行いに耐え切れず、良いと思える部分だけを掬い上げたものと考えられます』

「そんな、はずは……」

『この映像はあなたの脳の深層領域に保管されていた紛れもない事実となります』


 もしこれらが全て本当に遭ったことなのだとすれば、彼女がなぜ転校してしまったか、謎に思っていたその理由は明白だった。

 私はしばらくの間、立ち上がることも出来なかった。突きつけられた事実に打ちのめされてしまっていた。

 しかし、やがて一つの決断を下す。


「……彼女に関連する記憶を全て削除して欲しい」

『かしこまりました』


 私の頭にはロボットの手で再び半球型の機器を着けられる。すぐに麻酔が投与され、意識が遠のき始めた。

 これで楽になれる。解放される。最後に私が考えたのは、そんなことだった。

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