秘密の文通
クラスメイトが自殺した。
ほんの三日前のことだ。彼女は始業前の朝早くに学校の屋上から飛び降りた。
再開されたばかりの学校は不気味なくらいに静かだった。休み時間も普段と比べれば活気に欠けていた。まるで学校全体で喪に服しているように思えた。
誰もいない廊下を一人で歩いていく。コツリコツリという自分の足音が異様に響いて感じられた。
私は別に虐められていたクラスメイトと親しかったわけではない。僅かに事務的な会話を交わしたことがある程度だ。
自殺した原因は明らかだった。彼女は酷い虐めに遭っていた。そんな状態にも関わらず登校を続けているのは凄いと思った。私なら間違いなく不登校になっていただろう。それほどまでに彼女への虐め行為は苛烈だった。
クラスは自然と虐めに荷担する側か、見てみぬ振りをする側に別れていた。
私は後者だった。だって、仕方ないじゃない。下手なことをすれば、虐めの矛先はこちらに向いてしまうかも知れないのだから。
初めは彼女への虐めもそこまで酷い状況だったわけではない。一部の生徒による無視だとか陰口だとかだ。教室内も少しだけ空気が澱んで感じられる程度だった。
でも、私はそういう空気が苦手なので、自然と教室にいる時間を減らしていた。
そんな私にとって図書室は憩いの場だった。昼休みは大抵そこで大好きなルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』を読んでいた。
ある日、私はふとした思いつきでその中に紙を忍ばせておいた。別に大した意味はなかった。何となくだ。
紙には『こんにちは。初めまして。良かったら、お話ししませんか』と書いておいた。
そしたら、翌日。いつものように棚から取り出してみれば、本の中には何と違う紙が挟まれていた。返事だ。
『おはようございます。わたしもお話し相手になって欲しいです』
綺麗で可愛らしい文字だ。きっと女子生徒だろう。雰囲気的には下級生のように思える。儚げに感じられた。
それ以来、私はクラスで行われる蛮行に見てみぬ振りをしながら、誰かも分からない相手との細やかな文通に耽った。
内容はどれも他愛もない話ばかりだった。好きなものだとか、嫌いなものだとか、それこそ相手も好きだという『不思議な国のアリス』についてだとか。
お互いに名乗りはしなかった。そうして秘め事とする空気感が自ずと醸成されていたのだ。
その間もクラスでの虐めは酷くなり続けていた。一度走り出した暴力のシステムは、もはや誰にも止められないものになっていたのだと思う。それは私の精神にとっても非常に厳しいものとなっていた。
だから、だろうか。あんなことを書いてしまったのは。
『私の懺悔を聞いてください。私のクラスでは虐めがあります。それはとても酷いものです。けれど、疑問があるのです。どうして彼女は今も学校に来ているのでしょう。酷い目に遭わされると分かってるはずなのに。来なければいいのに。そうすれば、クラスは平和になるのに。そんな風に思ってしまいました。私はどうしようもなく罪深い人間です。ごめんなさい』
そんなことを聞かされて相手はどうすれば良いのか。ただ困らせるだけだ。
後で冷静になった私は謝ろうと思っていた。けれど、返事を見ることは出来なかった。
その翌日の朝、虐められていたクラスメイトが自殺したから。
今日、ようやく私は図書室へとやって来ることが出来た。返事はないかも知れない。それでも謝罪の手紙を入れておこう。
そう思って私は棚から『不思議な国のアリス』を取り出すと、中には返事の紙が入っていた。
しかし、そこに書き記された文字は、いつものように綺麗で可愛らしいものではなく、酷く震えており走り書きのようになっていた。
『さようなら、わたしの白ウサギさん』
ただ一言。それだけ。
でも、そこに込められた想いを感じるには十分だった。
絶望だ。
今頃になって理解する。虐められていたクラスメイトがなぜ自殺したのか。
彼女が自殺したのは、私のせいだった。
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