玉響天文台 自選集Ⅰ

吉野玄冬

制服と煙草と屋上と

「もう2019年も終わりかぁ、平和なもんだ」


 学生服を着た私は校舎の屋上から、休日の朝っぱらから運動部が元気よく声を出しているグラウンドとその奥の穏やかな町並みを眺め、ポツリと呟いた。

 二十年前にはノストラダムスがどうの騒いでたんだぜ? と言いたくなる。

 あの頃は社会がとことん不安に満ちていた。

 新興宗教は色々と話題になったし、自殺者も随分と多かった。

 確か『シックス・センス』も同じ年だ。懐かしい。

 衝撃の展開だったから良く覚えている。


 私はスカートのポケットから煙草の箱を取り出すと、その内の一本を口にくわえてライターで火をつける。吸い込んだ煙を口内で泳がした後、天へと放った。

 吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。曲は『宝島』だ。

 古い人間の私でも知っているくらいには有名な曲。

 今も昔も変わらずに吹かれているのは凄いなぁ、なんて思ったり。


 やがて、日が暮れて夜の帳が下りた。辺りには静寂が広がっている。


 私はそんな屋上で新しく取り出した煙草を喫う。

 あの頃の私にとって制服と煙草と屋上は三種の神器だった。

 それゆえ、私は今もこの姿をしているのだろう。永遠の十七歳だ。


 そうして私が煙草を吹かしていると、突如、金属の打撃音がした。

 何者かが扉の鍵部分を壊そうとしているのだろう。

 私が初めてここに来た時はもっとスマートにやったぞ!

 そんな風に威張りたくなる。


 職員室に忍び込み、バレないように屋上の鍵を拝借。

 そして、鍵屋で合鍵を作ってからまた戻す。

 それはまるで『ミッション:インポッシブル』だった。

 イーサン・ハント気取りな私。映画館まで観に行ったものだ。


 この屋上はいつだって鍵が掛かっている。

 鍵の管理は職員室でも特に厳重だ。ある時を境にそうなった。

 まあ、今の私には鍵が掛かっていようがいまいが関係ないのだけど。

 なぜ厳重なのかと言うと、もう長年この場所にいるから知っているが、たまにいてしまうのだ――ここから飛び降り自殺をしてしまう生徒が。

 それは二十年前も今も変わらない。


 私がこうしてこの場所に留まっているのはそんな生徒を止める為なのかも知れない、と思うこともある。

 程なくして、打撃音が止まり、扉が開いた。

 姿を見せたのは、制服を着た女子生徒。

 けれど、私のものとはデザインが異なっている。

 私が着ているのは二十年前の制服。彼女が着ているのは今の制服。

 私達の姿には明確な時代のズレがあった。その理由は一つしかありはしない。


 そうして、女子生徒は私の姿など見えていないかように真っ直ぐ駆けて来て、スゥッと通り抜けた――。


 ――なんてことはなく、彼女は普通に驚いた表情で言う。


「えっ……先生? どうしてこんなところに……しかも制服……?」

「……このことは絶対に黙ってるように。あなたのことも黙っててあげるから。あともし良かったら相談も乗る」

「あっ…………はい」


 私の教え子はとても気まずそうな顔をして去って行った。

 そりゃそうだ、と思う。

 三十七歳の教師がなぜか古い制服を着て屋上にいたのだから。


 これまでも何人かに同様にして見られたが、向こうも器物損壊や自殺未遂の負い目がある為、拡散されずに済んでいる。

 私は仕事が始まる前と終わった後にここで煙草を喫うのが習慣だった。鍵は普通に職員室から持ち出している。

 当時は偽造した鍵で立ち入っては同じようにしてたなぁ、なんて思うとついつい制服を着て過去に浸りたくなったりもする。休日出勤という現実を忘れさせてくれるのだ。

 ちなみに通勤や職員室では制服の上から着れるような服装にしている。


 身体は三十七歳でも心は十七歳さ! なーんて…………はぁ。

 私は何となく切ない気持ちになりながらも、壊れた扉の鍵部分をどうしようかと頭を悩ませるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る