二人目の魔法少女

@cbayui

二人目の魔法少女


 一ノ瀬美影が、魔法少女を始めたらしい。


 十月の変に空気の生ぬるい朝、昇降口に掲示された学校新聞に一ノ瀬のきりりとした笑顔が小さく載っているのを見つけた。見出しに書かれた「魔法少女はじめました」の大真面目な文字。うちの新聞部は紙面の隙間に平気で虚構の記事を混ぜるから信用ならない。苦笑いでそう言ってたのは他でもない一ノ瀬だ。

 ……だから多分、これはマジなやつだ。

 他の生徒は皆、新聞には目もくれず教室へと歩いてゆく。私だけがその記事に釘付けで、眠い頭を回して文字を追っている。

「一年三組の一ノ瀬美影さん(一六)が九月二十日朝、魔法少女に選ばれた。地域で起きる不可思議な事件の元凶たる怪物を、はや三体倒したという。「戦うのは結構楽しいです。たまに疲れて授業中に眠くなっちゃうんですけど、ゲームとかしてる訳じゃないので先生も多めに見てくれないかな、なんて(笑)」と一ノ瀬さん。詳細については生徒及び教師の安全を考慮し伏せるとのことであるが、今後の活躍に期待したい。なお——」

 記事も終盤に差し掛かるところで、背後に誰かの気配を感じた。

「あ、見た?」

 楽しげに笑うように話す彼女が、振り返るとそこに立っていた。


 中高一貫の女子校であるこの学校に高校から入って最初の頃、私は結構キョロキョロしていた。人とつるむのは得意じゃなかったけれど、浮くのはもっと嫌で、賑やかな集団の近くでわざわざ突っ立って、話しかけるチャンスを窺っていた。今思うとそんなことしてる方がよっぽど恥ずかしい。そんな日々の中で、一ノ瀬はいろんな集団の隅にごく自然に置かれていた。肩まで伸びたまっすぐな黒髪にはいつも天使の輪っかが浮かんでいて、化粧をしたり着飾ったりしてなくても他の生徒たちの中でひときわ美しく見えた。彼女も私も、真ん中にいる人じゃなかったけれど、一ノ瀬は私とは違った。クラスを秋の田んぼに喩えよう。クラスメイトはみんな稲穂で、私は薄汚いカラスだ。一ノ瀬は、案山子。さりげなくて、それでいて異質で、私は彼女をほんの少し畏れた。一ノ瀬はみんなの話を聞いていないようで聞いていて、ぽそりと口を開くと周りに笑い声がさざめく。彼女の存在に気づいてから私は居た堪れなくなって、休み時間にわざわざ自分の席を立つことを止めた。

 それから私は何を思ったか、一ノ瀬のことを人にさりげなく聞いて回った。中学からこの学校にいて、ゲームが好きで、世界史が好きだけど割とどんな科目でもテストでは高得点が取れる。兄弟は年の離れた弟が一人。比較的この学校の近くに住んでいて、仲のいい友達は——これだけは、人によって答えが違った。そんなことしてるうちに、なんだか私の方が有名になってしまったのかもしれない。

「普通に話しかけてくれればよかったのに」

 思えば割と最悪なファーストコンタクトだった。初めての席替えで隣の席になった私に、一ノ瀬はいつもの楽しそうな調子でそう囁いてきた。こう言われるまで私自身も、自分が一ノ瀬に強い関心を抱いてると自覚していなかったものだから、その日はちょっと私どうかしてたって思った。けどそんな気持ちもそのうち日々の忙しさにかき消され、一ノ瀬は時々私の隣でお弁当を食べるようになってくれた。

 隣の席になって初めて、彼女と仲のいい友達が誰なのか分かった。同じクラスの二階堂ひなた。彼女は生来の茶髪を肩の上でいつもくるりと内側にひと巻きしていて、目はくりっとして小動物を思わせる。彼女は、毎日欠かさず、休み時間であったり、放課後であったり色々だけど必ず、一ノ瀬のもとに顔を出す。あまり自席を離れない私は必然的に彼女と顔を合わせるわけで、いつの間にやら〝ひなたちゃん〟は高校生活の主要人物の一人になってしまった。

 一ノ瀬と隣の席でいた期間はあっという間で、それ以来私は彼女と隣の席になっていない。昼休みを一ノ瀬と過ごすことも無くなった。ひなたちゃんはそれからもずっと一ノ瀬のところに通っているらしかった。休み時間は退屈で大抵寝て過ごしているから、詳細なことは分からない。

 そんな感じだから、一ノ瀬に話しかけられたのは久しぶりだった。夏休みが明けてから、個人的に声を掛けてくれたのは初めてだったかもしれない——ま、「普通に」話しかければよかったのだろうけど。


「一ノ瀬、魔法少女ってその、マジなやつなの?」

 ネタでもそうじゃなくても、魔法少女の話はあまり人に聞かれちゃいけない気がして、クラスへ向かう廊下の人混みの中、私は小声で一ノ瀬に問う。

「マジじゃなかったら取材乗らないって」

 そう言って一ノ瀬はニッと笑う。新聞の写真と同じ顔だ。「マジなわけないじゃん」という言葉を心の底では期待していたのだろうか、私は狂ったメトロノームのような間を置いて、

「危なくないの」

 と言うことしかできなかった。

「んー、分かんないや。でも、選ばれたから頑張ろうと思う」

 学年代表スピーチみたいなノリで、彼女は戦うことを選んだのか。

「一人で戦ってるの?」

「それは、あんまり言えないことになってる」

 そう答えて一ノ瀬はふふ、と笑う。会話はほんの数ターンで終わり、私たちは教室に着く。予鈴が響く。私の席は窓際、一ノ瀬とは机五個分離れている。

「じゃ、またね」

 自席に荷物を置いてひらりと手を振り笑う一ノ瀬は、多分今日もう私と話さない。


 もう昼休みか。そう思ったのはひなたちゃんの声を聞いたから。

「美影! お昼どうするの?」

「一緒で」

 そう言いながら一ノ瀬の手には既にランチバッグが握られていて、席を立つのは予定通りだったんだなと思う。私はスマホを鞄から取り出し、ブラウザアプリを立ち上げた。

〈魔法少女〉

 有名なアニメが何件もヒットする。その少女たちの大抵は数人のグループだ。一ノ瀬は、一人で戦っているのだろうか。新聞に載っていないだけで、本当は誰か、絆で結ばれた仲間がいるのかもしれない。そういえば、小さい頃に観ていたアニメでは、主人公が仲間探しに奔走するのがお約束だった気がする。一ノ瀬は、そういうことしてるんだろうか。一ノ瀬が声を掛けるとしたら……

 ……私じゃないんだろうなっていうのと、多分あの子だろうなっていうのが、同時だった。


 ホームルームが終わる。教室に一ノ瀬の姿がないのに、皆は気づいているのだろうか。

 椅子に掛けたままちらりと教室後方に目を遣り、ひなたちゃんの姿を見つけて何故か安堵する。視線に気づいたのか、ひなたちゃんは私の方に歩み寄ってきた。

「咲ちゃん、美影、すごいよね」

 そう言ってひなたちゃんは、机の横から私の顔を軽く覗き込んでくる。無邪気な満面の笑みは一ノ瀬のそれとは違って、でも私が浮かべられる笑顔とはもっとかけ離れたものだった。私は視線を外しつつ、喉に息が通り抜けるのを強く感じながら答えた。

「あ、ひなたちゃんも新聞読んだんだ」

 この子が新聞を読む前から魔法少女のことを知っているなんて思いたくなかった。

「新聞……? になってるの⁉ 美影すごいなあ、新聞にも取り上げられちゃうなんて」

 ああ、知らされてたんだな、やっぱり。

「ね、すごいよね、——」

 ひなたちゃんの目を真っ直ぐ見られないまま、私は「一人で」と語気を強めてしまう。私って嫌な奴かもしれない。ひなたちゃんが少し俯いて、小声になった。

「……私、美影の力になりたいって思ってて。選ばれたりしてないから、分からないんだけど、何か小さなことでもしてあげられないかなって」

 ……それさあ、私に言う必要あったの? 私は机の上にあった右手で無意識に唇を覆う。ひなたちゃんは小さく息継ぎをして、続けた。

「だから、もし咲ちゃんが美影から詳しいこととか、聞いてたら——」

「——私が知る訳っ」

 ガタン、と机が揺れる。いきなり立ち上がった私に驚いたひなたちゃんが怯えたように肩を竦めた。何と戦っていたのか分からないけれど、敗北の合図が遠くから聞こえた気がした。

 ひなたちゃんの肩越しに見える時計の分針が二回動いた。私は、机を真っ直ぐにしながら口を開く。

「私は……知らないよ。ひなたちゃんが知らないことは、多分何も知らない」

 声が震える。鼻の奥がツンと痛くなる。私は削れた机の角のあたりから、濡れたビー玉のように光るひなたちゃんの目に視線を移す。

「一ノ瀬は、ひなたちゃんが力になってくれるなら、どんな形でも喜ぶんじゃないの」

 そう、ひなたちゃんなら。

「それで、そういうことは私じゃなくて、ちゃんと一ノ瀬に言うべきなんじゃないの」

 あなたはそれができるじゃない。

「……できると思うよ、ひなたちゃんなら」

 私は机の横に掛けた鞄を担ぎ上げ、泣き出しそうなひなたちゃんが立ち尽くす教室を後にした。

 私の物語が始まらない代わりに一ノ瀬の物語が動き出すなら、それでいいと思った。



 ホームルームが終わる。担任がストーブのスイッチを切ると、徐々に教室の空気が冷えていくのが分かった。教室は窓の側から冷えていく。あれから二回席替えをしたけど、どういうわけか窓際の席からは離れられないし、一ノ瀬の近くの席にもなれない。机六個分離れた一ノ瀬の席は、六限終わりからずっと空いている。

「咲ちゃん」

 私を下の名前で呼ぶ人間は、このクラスに一人しかいない。背後からの声に振り返ると、つい数日前から後ろの席になったひなたちゃんが私ににっこりと微笑みかけてきていた。

「駅まで一緒に帰らない?」

「あ、うん、もちろん」

 先に鞄を背負ったひなたちゃんが、少し向こうで私を待つ。小走りで追いついた私とひなたちゃんは、並んで教室を出た。

 私がひなたちゃんの背中を押したあの日の深夜、スマホに彼女からメッセージが届いた。私と別れてすぐ、ひなたちゃんは一ノ瀬に連絡を入れたらしい。私も魔法少女になれないか、なれなくてもいいから、近くで応援させてはもらえないか……でも一ノ瀬は、ひなたちゃんの申し出をきっぱりと断ったという。

「美影さ、今日は隣の駅まで行くらしいよ」

 駅までの道には同じ学校の生徒がちらほらと、冬休みの予定を立てながらはしゃいで歩いている。

「隣の駅かあ、魔法少女って交通費とか出してもらえるのかな」

「交通費もらえるってこの前聞いたよ」

「マジか」

 ひなたちゃんの申し出自体は嬉しいが、魔法少女は一人で十分だし、大切な友達を危険には晒せない。それが一ノ瀬の主張だったそうだ。一ノ瀬らしいと思った。先に私が言い出していたらどうなっていたかは、あまり考えないことにしている。

 一ノ瀬はずっと、自分の物語を自分で動かしていたんだなと、そう思う。誰の隣に居ても一ノ瀬美影は一ノ瀬美影で、誰のものにもなろうとしない。

 私は恥ずかしいくらい自意識過剰だった。私がどう振る舞うかなんて、というか、ひとがどう振る舞うかなんて一ノ瀬には関係ないんだ。きっと私はこの先、彼女の物語に触れることすらできない。けれど、それがどんなに苦しくても、私はきっとこれからも一ノ瀬から目を離すことができないのだろう。

「じゃあ、また明日ね」

 改札の側で手を振って、反対のホームに降りるひなたちゃんと別れる。つい先週、ひなたちゃんが小さい頃私の家の近くに住んでいたということが分かった。同じ夕焼けチャイムを聴いていたなんて、妙な縁もあるものだと思う。

 一ノ瀬と本当に肩を並べられるのは、私が私の物語を始められた時だ。校内新聞に載れなくても、友達に囲まれてなくても、何かに負けたなんて思わずに一ノ瀬と向き合える日がいつか来るように、私は少しだけ背筋を伸ばして生きている。



 一年三組の一ノ瀬美影さん(一六)が九月二十日朝、魔法少女に選ばれた。地域で起きる不可思議な事件の元凶たる怪物を、はや三体倒したという。「戦うのは結構楽しいです。たまに疲れて授業中に眠くなっちゃうんですけど、ゲームとかしてる訳じゃないので先生も多めに見てくれないかな、なんて(笑)」と一ノ瀬さん。詳細については生徒及び教師の安全を考慮し伏せるとのことであるが、今後の活躍に期待したい。なお、当面の間二人目の魔法少女を選抜する予定はないとのことである。

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