近づいていく距離


咲月さつきちゃん!」


 長かった午前中の授業が終わり、昼休みを告げる鐘の音が鳴り響く頃。机の上に散らかした勉強道具を片付けていると、パタパタと可愛らしい足音が私を呼ぶ声と共に駆け寄ってきた。


「あ、春香はるかちゃん」

「咲月ちゃん、一緒にご飯食べよ?」


 そう言って私の目の前にやって来たのは、花柄のお弁当袋と小さなお茶のペットボトルを両腕に抱え、小首を傾げている小動物系の美少女。彼女の名前は宮薗春香みやぞのはるか。一ヶ月前、私に恋愛相談を持ち掛けてきた女の子だ。


「もちろん! それじゃ、いつもの場所に行こっか」

「うん!」


 急いで勉強道具を片付けて、机の横に引っ提げた鞄から愛用のお弁当箱を取り出して席を立つ。私が立ち上がるのと同時に、彼女は待ってましたと言わんばかりの勢いで私の隣へと擦り寄り、ピタリと張り付いてきた。


「ふへへ、咲月ちゃん暖かい」


 ふにゃりとした屈託のない笑顔を浮かべ、ご機嫌な様子で私の左腕に抱きつく彼女。甘い石鹸のような香りがふわりと漂い、私の鼻をくすぐる。


 くりっとした綺麗な瞳。ふんわりとしたショートカットの黒髪。雪のように白い肌。スラリと伸びるしなやかな手足。同性なのに思わず胸を高鳴らせてしまうのは、こんな絵に書いたような美少女を隣に侍らせているからで、こればかりは仕方がないと自分の胸にいつも言い聞かせている。


「もう、春香ちゃんは可愛いなぁ。そういうことが好きな人にも出来るといいのにねー?」

「うう、それは言わないでよー」


 隣に寄り添う彼女の柔らかな頬を突いてみると、彼女はその頬を淡紅色に染めて、恥ずかしそうに俯いてしまった。


 全く、これじゃいつまで経っても意中の相手に告白なんて出来やしないだろうに。二人には早く付き合ってもらわないと私が困るんだけどな。


 未だに私の左腕を固く抱きしめて離さない彼女を見て、呆れ混じりに小さく溜め息をつく。彼女の温もりを感じながら目的の場所まで歩いていると、ふと、廊下の隅で談笑をしている男の子グループの一人に視線が止まった。


「あ、山本くんだ」

「え、うそ? どこどこ?」

「ほら、あそこ」


 きょろきょろと辺りを見回す彼女の視線を誘導するように、彼の居る方へと指を差す。


「あ、ホントだ。やっぱり格好良いなぁ」

「ねー、格好良いねー」


 他の男の子に比べて頭一つ高い背丈。目元まで伸びる横に流した黒髪。やや垂れがかった目尻と筋の通った高い鼻。低くて、でもどこか落ち着いた優しい声。周りの男の子から『山本』と呼ばている彼は、私の隣で恍惚な表情を浮かべている美少女の想い人だ。


「声かけなくて平気なの?」

「かけたいけど、お友達と話してるから邪魔できないよ」

「そっか。そしたら私が一肌脱いであげましょう。おーい! 山本くーん!」

「ちょっと、咲月ちゃん!?」


 慌てふためく彼女を気にも留めず、私は彼の名を呼ぶ。名前を呼ばれ辺りを見渡す彼に向けて大きく手を振ると、彼も私達に気が付いたようで、周りの子に軽く挨拶をしてから私達の方へと駆け寄ってきた。


「やぁ、ひいらぎ。それに宮薗も。どうしたの? 何か用?」

「やっほー、山本君。突然だけど、私達と一緒にお昼ごはん食べない? ね? 春香ちゃん」

「う、うん。一緒にどうですか? もし、良ければ」


 ほれ、と軽く肩を小突き、彼女からも誘うようにと促す。本人を目の前にとうとう観念したのか、しどろもどろになりながらも、彼女の口からしっかりと山本君を昼食に誘えたことに胸を撫で下ろした。


「お、良いね。そしたら他にも声をかけてくるよ。美少女を二人も独り占めするのは、些か申し訳ないからね」

「え? 美少女だなんて、そんな」


 悪戯っぽく笑いながら言う彼の言葉に、体をくねらせながら嬉しそうに笑みを浮かべる彼女。全く、私は今、何を見せられているのだろうか。


「へー、上手いじゃん? ご褒美に美少女二人がお昼の飲み物を買ってあげよう」

「よしきた! 柊姉さん、宮薗姉さん、あざっす!」

「ふふ、苦しゅうない。それじゃ、いつもの場所で待ってるね」

「了解! すぐに行くね」


 一言二言、軽口を叩きあった後、ひらひらと手を振りながら友人を呼びに行く彼の背中を、同じく手を振り返しながら見送る。


「咲月ちゃん咲月ちゃん」


 山本君の姿が他の生徒達の姿に紛れて見えなくなった後、私の左腕にしがみつく少女は小柄な体をうんと伸ばし、私の耳元で小さく囁いた。


「声かけてくれてありがとう」

「はいはい、どういたしまして」


 にへらと笑う彼女の顔はとても愛らしくて、見ていてじんわりと心が暖かくなるのを感じる。


 この暖かい気持ちのまま今日が終われば良いなと、ささやかな希望を胸の中で祈りながら、私は左腕にしがみついたままの彼女の右腕をそっと抱きしめ返した。

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