第十九話

 俺は、近所に新しく出来た中華屋に来ていた。もちろん俺が注文したのは、ラーメンだ。俺と言ったらラーメン。ラーメンと言ったら俺。と言われるほど、三度の飯よりラーメン好きの俺が中華屋に来てラーメンを注文しないと言うのは、ミンミンゼミと言われながらヒグラシのように鳴く、ツクツクボウシみたいに不自然でおかしな事だ。

「お待たせしました。」

そう言って大将が運んで来たのは、オムライスだった。なぜ?どうして?いや待てよ。これをオムライスと断言するのは、まだ早いかもしれないぞ。これは、中華料理界に革命を起こそうと大将が長年考えに考え、考え貫いた結果、作り出された新しいラーメンなのかも知れないぞ。疑う前に確かめろ!俺の座右の銘が心の中で熱く叫んだ。

「大将これって?」

俺は、恐る恐るケチャップのかかった黄色い物体を指差しながら尋ねた。ラーメンの概念を根底から覆そうとしている中華料理界の革命児の顔を脳裏に焼き付けようと、人間の身体の構造上、自然と閉じようとする瞼に必死に抵抗しながら。

「オムライスでございます。」

俺の中で何かが音を立てて崩れていった。それは、とても重要な何かだった。なんでだ!なんでオムライスなんだ!俺は、ラーメンを注文したんだぞ?焼きそばや中華丼が運ばれて来るならまだ分かる!なぜオムライスなんだ!どうして中華屋にオムライスがあるんだ!!もしや?

「天津丼?」

「オムライスでございます。」

「餃子?」

「オムライスでございます。」

俺の期待は、ボロ雑巾のようにされて投げ返された。何かとてつもなく異臭を放つボロ雑巾だった。中華屋に来てラーメン頼んだらオムライスが出てくるなんて・・・・・・・・・。世の中ってのは、どんだけ理不尽なんだ!ラーメンとオムライス。オムライスとラーメン。まさかとは思うが、大将の聞き間違いと言う最後の望みを託し、俺は再度注文をしてみる事を心に誓うと共に、大きな声ではっきりと言う試みを決意した。

「ラーメン下さい!」

「ございません。」

大将の答えは、俺の今までの人生観を覆す発言だった。ラーメンがない!中華屋なのにラーメンがない!どんな中華屋だ!!俺の魂の雄叫びが胃の中でこだましていた。ないならないで、どうして最初に言わないんだ大将!そうか!俺の言い方が悪かったのかもしれない。大声出しちゃったから大将にしてみれば、このお客さん怒っちゃったの?風に感じてしまったのかもしれない。ビビッてしまって、ついついあんな発言をしてしまったのかもしれない。よーし。ここはもっと自然に、お客らしく注文しよう。

「いやー大将。最近やっと涼しくなってきたね。」

「はい。そうでございますね。」

「過ごしやすくなってきたね。」

「はい。そうでございますね。」

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

くそ!駄目か!いやいや、まだ諦めるのは早いぞ!だったら注文のしかた自体を変えてやる!

「ラーメン下ちゃい。」

「ございません。」

「クダサイラーメン。」

「ございません。」

「ペプロポポポン。」

「ございません。」

赤ちゃんも外国人さんも宇宙人も大将には、通用しないって事なのか!俺のボキャブラリを超えている。負けるな!負けるな俺!ございますと言わせるんだ!そう言わせるように大将を誘導するんだ!

「この店は、トイレってあるの?」

「ございます。」

「会計の時に一万円札出しても、全部お釣りが千円札にならないように、ちゃんと五千円札も用意してあるの?」

「ございます。」

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

「中華屋には普通、中華料理があるよね?」

「ございます。」

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

「ラーメン下さい!」

「ございません!」

頑固者か!!大将の八割以上が頑固で出来ているのか!!こんな中華屋の大将が存在していいのか!!それ以前にこんな中華屋が存在していいのか!!近隣住民からの反対運動やら中華料理界からの勧告とかないのか!!ここまで来るとこの大将には、常識が通じない。そう思った俺は、とんでもない非常識な質問をぶつけてやろうと考えた。もしかしたら今の俺の顔を鏡で見ると、悪魔のような微笑みを浮かべているのかもしれない。ぶつけてやる。質問をぶつけてやるぞ。中華料理の神がいるのなら、間違いなく俺に罰が下るであろう悪魔の質問をな!

「大将は、ラーメンって食べ物を知ってる?」

「存じております。」

なら作れ!すぐ作れ!そして、中華料理の神に懺悔しろ!!

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

悪魔だ!この大将こそ悪魔だったんだ!おお神よ。中華料理の神よ。我を守りたまえ。そして、この悪魔の大将を悔い改めさせ、ラーメンを作らせたまえ。

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

恐いもの知らずか!神すら駄目って事なのか?神ですらこの大将をどうする事も出来ないと言うのか!神をも恐れない、悪魔の大将だったんだ!!そして、俺に残された道は、この呪いのオムライスを食べると言う選択肢だけなのか!どうなってしまうんだ?この呪いのオムライスを口にした俺は、いったいどうなってしまうと言うんだ?大将の下僕となり、一生この中華屋でタダ働きさせられてしまうのか?それとも、俺もオムライスにされてしまうのか?そう言えば!店にいる客は、俺だけだ!

「大将?今日は、他に客はいないの?」

「当店に本日ご来店された方は、お客様で二人目になります。」

やっぱりか!!このオムライスは、俺の前にやって来た客だったんだ!純粋に中華料理を食べに来ただけの穢れなき清き心の持ち主だったのに、悪魔の大将の魔の手にかかり、オムライスにされてしまったんだ!そして俺も、オムライスにされてしまうんだ!なんて事だ。こんな運命だなんて!俺は、ただラーメンが食いたかっただけだったんだ。あんまりだ。しかし、運命に逆らう事が果たして出来るのだろうか?生まれた時から運命が決まっているのなら、それを変える事なんて出来やしない。俺は、オムライスになる運命だったと言う事か。しかし!俺は、捩じ曲げてやるぞ!そんな運命を捩じ曲げてやる!運命なんてくそ喰らえだ!

「ラーメン下さい。」

「ございません。」

その瞬間。俺は、何かを悟った。運命とは、時に残酷なもんで、それを受け入れる事が出来るかで、その人間の価値が決まるものなんだ。だったら!だったら受け入れてやろうじゃないか!俺の生き様を見せてやろうじゃないか!俺は、震える右手でスプーンを掴んだ。そして、大将を睨み付けながらこう言った。

「いただきます。」

俺は、頭の中で走馬灯のように駆け巡る今までの人生を噛み締めると共に、震える右手で口の中に入れたオムライスを噛み締めていた。これからオムライスになる俺を、不適な笑みで嘲り笑っているかのように、悪魔の微笑みを浮かべている悪魔の大将の顔を見ながら。

「うっ!」

「お客様?どうかなさいましたか?」

「美味い!!」

なんて美味いオムライスなんだ!この卵のふわっふわっ感!そして、ケチャップご飯の絶妙な味付け!二つが一つになった時の神懸り的なこの美味さ!究極のオムライス!キング・オブ・オムライス!いや、神のオムライスだ!俺は、我を忘れてオムライスに夢中になった。俺のスプーンを持つ右手は、止まる事なく、気が付けばあっと言う間にオムライスをぺろりと平らげてしまっていた。

「美味かったよ大将!ごちそうさま!」

「ありがとうございます。」

そう言った時の大将が見せた微笑みは、まるで仏のようであった。深々と頭を下げる大将の姿は、俺には眩しく神々しく見え、とてもじゃないが凝視する事が出来なかった。ふと気が付けば、頬には熱い何かが伝っていた。そして、感動に打ち拉がれながら会計を済ませ、五千円札の混じったお釣りを受け取り店を出た俺は、店の看板を改めて見て笑った。どうでもいいじゃないか。そう思った。それは、何だかとても清々しい気分だった。それから俺は、またこの店にラーメンを食べに来ようと、固く心に誓った。


第十九話

「中華屋にて・・・・・・・・・」

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