9.蜥蜴ざまあですわ!

 ショットガンの銃声を皮切りに、地底湖の周辺では戦闘が開始されたようだった。

 イオは棚田のようになっている百枚皿――地下水の石灰分が沈殿して二次生成物となり、その二次生成物で縁取られた小さな皿状の池が何段にも積み重なっている――を登りながら背後へと視線をやった。

 キルシェトルテとルールーは、数十体のリザードマンをものともせずに暴れ回っている。

「相変わらず無茶苦茶ですわね」

 足首程度の深さしかない小さな池――百枚皿と言いながら実際には数百枚ありそうだ――をざぶざぶと進みながら、ロレッタが呆れた声をもらした。

 まったく同感だな、とイオは思った。

 第七次図書塔紛争に従軍した元兵士なんて連中は、ゴミ箱から溢れるほどそこいらに転がっている。そもそも軍で訓練を受けたからといって、それはあくまでも部隊のなかでの役割を果たすためのものだ。

 均質化された強さを身につけることはできるが、それだけだ。

 個の強さを追求する〈火薬庭園〉での躾を受けたイオとは、本来はまったく別物のはずだった。

 だというのに、あの二人の強さは異質だ。

「確かに無茶苦茶です。何者なのかよくわからないですし」

「デグランチーヌの私兵ですわ。わたくしも詳しいことは。特にガルー人のほうは、経歴がまるで掴めませんの」

「そういえば、騎士剣闘会というものに出場したことがあると言っていました」

 人狼とやり合ったときのことを思い出し、イオはなんの気なしに言った。

「あら。それは興味深いですわね。現代の騎士剣闘会は巨大なスポーツビジネスですわ。そこに出場するということは、有力貴族か大企業がスポンサーにつくということ。王国から剣闘騎士の称号を与えられた、本物の騎士ですわ」

「確かに兵隊よりは、そんな感じでしたが」

 ルールー・ヴィスクレバレの根底には、一対一の決闘を好む気質のようなものがある。

「〈D&D魔法通商〉は自前の複製本生産工場も抱える割とまともな会社ですの。従業員も基本的には普通の人たちですわ。工場にはパートのおばちゃんだっていますし」

「はあ、そうなのですね」

 イオはむっつり顔のまま気の抜けた声を返した。

 よくよく考えれば、彼女は〈D&D魔法通商〉という会社のことは、あまり理解できてはいなかった。というよりも、特に説明もされなかった。

「ですけれど、デグランチーヌの私兵だけは別ですわ。あの女がどこからかリクルートしてきた、まともではない仕事専門の独立紅蓮隊ですもの。イオ、いまではあなたもそのうちの一人ですわよ」

「一応、秘書ですが」

 イオ・フレシェットの会社での立場は、社長秘書室別班という部署に配属されている一従業員というもので、それはキルシェトルテやルールーも同様だ。

 名刺も支給されている。

 ただ、それを使う機会はなさそうだった。

「……大小姐ダーシャオチェ

 前をいくオードリーが、掠れた声でささやく。

 彼女は剣呑な眼光を、段丘の暗がりへと向けていた。

「ええ」

 ロレッタはそれだけでなにかを察して、上品な顔に酷薄な笑みを浮かべた。

 口元を三日月型に引き攣らせて、昂る感情を抑えている。

「今度は確実にぶっ殺してやるからなあ……!」

 イオもその存在には気づいていた。

 目を凝らし、その姿を濁った碧眼に映す。

「あれが――」

 そいつは獲物を狙う狩人のように、暗がりにそっといた。

 大柄な二足歩行の蜥蜴であるリザードマンとはまったく違う、人間の女性的なフォルム。

 そのくせ身体はごつごつとした鱗に覆われており、顔は――強いて言えば鰐に近かった。だが、誰もが本能的に、おとぎ話に登場するドラゴンを想像する。

 その不気味さに、イオは全身がぞわぞわした。

 リザードマンはまだわかる。

 あれは蜥蜴なのだ。

 だが、暗がりにいる謎の存在は、人間とドラゴンを合成したような異質なものだった。

 事前にロレッタから聞いてはいた。

「新種の〈タイトルホルダー〉。さながらドラゴニュートといったところですわね」

 と、彼女はそのとき言っていた。

 だが、実際に目にすると戦慄すら覚える。

 それは未知なるものに遭遇した際の、人の本能だった。

「っ!」

 不意に、目が合った。

 ドラゴニュートと、目が合った。

 縦に虹彩が入った、真紅の瞳。

「ちっ」

 イオは露骨に舌打ちした。

 頭のなかで警告音が鳴り響いている。

 その瞬間。

 微動だにしなかったドラゴニュートが猛烈な勢いで暗がりから飛び出してきた。

 皿状の池の水を蹴り立てて、獲物を狩る肉食獣のごとく一直線にイオに向かってくる。

 なにかを考えるよりも先に、身体が動く。

 こちらを鷲掴みにしようと伸ばされたドラゴニュートの右腕を、左手で払う。

 同時に相手の右手首を掴み、腰を低く落として力任せに引き寄せた。

 ドラゴニュートが前につんのめるようにして体勢を崩す。

 リザードマン相手ではこうはいかない。

 人間に近しい体型だからこそ、こちらの技が通用する。

「しっ!」

 鋭い息吹を吐いて、イオは右足を高らかに蹴りあげた。

 腹部への強烈な蹴りで、ドラゴニュートの両足が地上から離れて浮きあがる。

「フー師姐シージェ!」

「……イオ!」

 オードリーがイオと背中合わせになるようにして滑り込んでくる。

 彼女は強く握った右拳を、ドラゴニュートの腹に突き刺した。

 どごん、という肉と骨を打つ鈍い音。

 続け様、蹴りあげる。

 ドラゴニュートの身体が、さらに宙に浮いた。

 オードリーはそこから、流れるように三発を撃ち込んだ。

 まるで舞踏のように美しい所作だった。

 見惚れる動きとは裏腹に、生々しい打撃音が連続した。

 驚くべきことに、その間、ドラゴニュートの身体は宙に浮いたままだった。

 二人は一瞬だけ視線を交わし、

「「六合合一」」

 同時に言葉を発した。

 イオはオードリーと背中合わせになったまま、その動きに合わせて踏み込んだ。

 右肩からドラゴニュートにぶつかるようにして密着し、ほとんどゼロ距離から左の拳を叩き込む。

「「八連武式パーレンウーシ」」

 最後の仕上げとばかりに、二人の拳が同時に炸裂した。

 盛大な打撃音を残して、ドラゴニュートの身体が猛烈な勢いで吹き飛ぶ。

 百枚皿を形成している小さな池をいくつかぶち壊し、水飛沫をあげて石灰の段丘に激突する。

 二人がかりで八発の打撃を叩き込む連携技だ。

 まともな相手ならこれで勝負あった。

 だが。

「まだですわよ!」

 ロレッタが叫ぶなり、自動小銃をフルオートで発砲した。

 小気味いい銃声が連続し、ドラゴニュートに次々と命中しては火花を散らす。

 鱗で跳弾している。

 事前に聞いていたとおり、自動小銃程度の銃火器ではダメージを与えることはできないようだった。

 だが、牽制と足止めの時間稼ぎくらいにはなる。

 ロレッタはたちまち全弾を撃ち尽くすと、滑らかな手つきで弾倉を交換した。

 さらに発砲しつつ、声高に叫ぶ。

「魔法戦闘用意! 〈アルマス・リヴォルヴァ〉!」

 イオはその声に反応し、腰のマガジンポーチから複製本を引き抜いた。

 帯封を引きちぎる。

 複製本のページが勢いよく捲れ出し、記されている〈世界干渉言語〉――ワーズワースが滲み、浮きあがり、消える。

 すべてのページが白紙になり、使い捨ての魔法が発動する。

 イオは複製本を投げ捨て、右腕をドラゴニュートに向けて突き出した。

 六本の氷柱が、腕の周りに現れる。

 まったく同じ魔法を、オードリーも使っていた。

 二本目の弾倉が空になり、自動小銃の銃声が鳴りやむ。

 感情がまったく読めない無機質な顔で、ドラゴニュートがこちらを見ていた。

 右腕の周囲に展開する六本の氷柱が。

 ドラゴニュートに向けて。

 時計回りに間断なく射出された。

 イオとオードリーが発現させた合計で一二本の氷柱の弾丸が、ドラゴニュートの周囲に次々に着弾する。

 爆発。

 猛烈な冷気が一気に広がり、鍾乳洞の空気が冷凍庫のように凍りついた。

「……」

 イオはむっつりした表情のまま、一面が氷漬けになった百枚皿を見つめた。

 池の水どころか、〈アルマス・リヴォルヴァ〉が着弾した一帯に分厚い氷が広がっていた。

 それはドラゴニュートも例外ではなく、再びこちらに飛びかかろうとする姿勢のまま氷漬けになっている。

「ふっはは! やりましたわ。ざまあ。蜥蜴ざまあですわ!」

 自動小銃の弾倉を交換しながら、ロレッタは破顔した。

「思ったとおり、冷撃耐性はないようですわね。所詮は蜥蜴」

 デシーカがもち込んだ魔法図書の複製本に、冷撃魔法であるアルマス系統があったことは幸いだった。

 汎用性が高く需要がある炎撃魔法のムスペル系統やソラス系統と違って、冷撃魔法のニヴル系統やアルマス系統はあまり需要がない。そのせいもあって生産コストが高く、複製本とはいえ高価だ。

 少なくともロレッタが〈魔法図書塔〉の探索にもち込む許可を会社に申請しても、簡単にはとおらない。

 だから、もち込んだ魔法図書の複製本はすべて安価なムスペル系統だった。

「中間管理職の悲哀ですわね」

 ロレッタは小さく嘆息した。

 おかげで探索チームは全滅した。

 ドラゴニュートは炎撃系統の魔法に強力な耐性を備えており、少なくとも〈ムスペル・ジャベリン〉や〈ムスペル・カッツバルゲル〉程度ではまったく通用しなかった。

 気分を切り替えるように、ロレッタは言った。

「オードリー、氷ごとあいつを粉砕してさっさとお終いにしますわよ」

「……おまちを……大小姐」

 だが、それに応えたオードリーの声は緊張感に満ちている。

 氷漬けになったドラゴニュートをずっと見据えていたイオも、いやな感覚に身震いした。

 ゆっくりと息を吐く。

 急激に気温が下がったせいで、息が白い。

 びしり、という氷が割れる音がした。

 ドラゴニュートを閉じ込めている氷に、大きな亀裂が走っている。

「ちっ」

 イオは舌打ちして、オードリーに視線をやった。

 氷が硬質な音を立て、粉々に砕け散る。

「ギィィィエェェェ――ッッッ!」

 ドラゴニュートが嬌声をあげた。

 耳をつんざくその声は、明らかに怒っているようだった。

 ドラゴンじみたその顎が、がばりと開く。

 喉の奥から漏れてくるもの。

 それは明らかに炎だった。

「ウソでしょ」

 イオはそれだけを言った。

 瞬間。

 ドラゴニュートは大きく開いた顎から、猛烈な炎を吐いた。

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